思い切り息を吸い込む。
土の匂い、草花の匂い、木々の匂い、海の匂い、そして。
血の臭い。
肺を満たす幾つものにおいは一瞬吐き気を引き寄せたが、すぐに霧散した。
現実は簡単にアンジェを追い越して通り過ぎていく。
置いて行かれる不安なんて、数年前に失った。
自分を確かめられるのは自分しかない。
その方法がむやみやたらに任務に没頭することというのは、どうかと思ったが。
剣に着いた血を拭き、鞘に戻す。
金属音が風にさらわれる。
いつもなら、すぐに落ち着くはずの苛立ちが今日は治まらない。
むしろ加速している気がする。
胃の辺りがマグマのように沸騰している気がした。
気持ち悪い。
「……天光満つる所我は在り、黄泉の門開く所汝在り――」
「アンジェ、何してるの? 馬鹿をやりたいなら、他を当たってくれる? こっちはヴァンが無茶言うから忙しいんだよね」
完全に馬鹿にして見下してくる仮面の少年。
可愛いだなんて言えば、拳か蹴りが飛んでくるだろう。
こんな見た目の彼だけれど、『烈風』の二つ名を持つ六神将の一人だ。
神託の騎士団で参謀も務めている。
現在進行形でコンビを組まされている相棒。
どうせなら、アリエッタとかリグレットが良かったと心の中で愚痴る。
シンクと二人じゃ会話も弾まない。
任務は簡単に終わるとしても、その道中とか息苦しくてしかたない。
呼吸困難で死ねるとアンジェは奥歯を噛み締めた。
「アンジェ」
「……何?」
空気はピリピリと張り詰め、それは決闘の前兆にすら感じられた。
喉に手をかけられているかのような不快感を噛み砕き、視線を向けた。
残念ながら、仮面を被っている彼の表情を窺い知ることはできない。
雰囲気だけで読み取るのはかなり高度なテクニックだと思う。
「あんたさ、もっと本気出せるよね?」
いきなりで何の話かわからなかった。
本気という言葉から戦闘についてかと推測する。
「いつも真剣に取り組んでるけど?」
「それは見ればわかるよ。けど、出し惜しみしてるよね」
聞いているのではない確信を持って頷かせにきている。
出し惜しみではないけれど、その言葉に類似することをしている。
反抗するのも面倒だから素直に頷いた。
「何で? さっさと片づけた方が楽でしょ。馬鹿なの?」
「馬鹿と言われる理由が思いつかないけれど、いざという時の為に余力を残しているって言えば納得する?」
「いざという時? 死ぬ時?」
「……」
「何その顔。不細工に拍車がかかっているけど」
「ホント、可愛くない」
「お互い様だろ」
その返事は少しだけ予想外だった。
目を丸くしたアンジェをシンクは笑った。
その笑い声は嘲るものではなく、気の所為か寂しさを含んだようなもの。
「僕は生きた証も死体も残らないからさ、あんたが覚えていなよ。そしたら、手抜き戦闘に目を瞑ってあげる」
「何よそれ」
きみを置いて臨む景色は切り刻まれた花の其れ
title:残香
(2017/08/01)
prev next
bkm