敗者のくちびる


暑過ぎる夏は、少し苦手だった。

焦がすように照り付ける太陽が体中の水分を蒸発させるような気がした。

水分を奪われ、干乾びてしまうイメージを何度拭ったことだろう。

自分という存在が消えてしまうような陽炎の如く不安はいつからか胸の中に潜んでいた。

消えたくない、消えてしまいたい。

対極の感情が綱渡りの中央で睨み合っているそんな感じだ。

こぼれたため息は気温に負けないくらい熱く、そして凍えてしまいそうに冷たかった。

喉の奥に何かが刺さっている様な不快感を拭えないまま、杏樹は家を出た。

ほんの少しのおしゃれは気づかれないようにさりげなく。

本日、2017年8月20日。

我らが西星学園と方南学園の試合が行われる。

準決勝の会場は、誰もが知っている遊園地、スマイルランド。

混雑必至なスマイルランドは今、純粋に遊園地を楽しみに来た人、ストライドのファン、そして、ギャラスタのファン・アンドロメダたちに覆われていた。

人の波に飲まれながらも、杏樹は自分が見守りたい場所を探して歩いていた。

もう間もなく試合は始まろうとしていた。



***



試合は終わりを告げた。

走り抜けた両選手を迎える大きな拍手と歓声。

うるさい筈なのに、何故かその声は遠い。

ぼんやりとした杏樹の瞳はただその終わりを呆然と見つめていた。

そこにあるのは、終わり。

最後。

目の前の道が突然途切れた絶望感のようなものに包まれていた。

自分が一緒に走っていたわけではない。

彼らを支えるような役職に身を置いていたわけでもない。

それなのに、酷い喪失感に驚愕せずにはいられなかった。

騒ぎ続ける観客の間を縫ってその場を離れた。


「……暑い」


喉が渇いていた。

必死になって叫んでいた記憶なんて無いけれど、多分声援を送り続けていた。

彼が風のように走れるように、ずっと。

自販機でスポーツドリンクを購入し、三分の一くらいを一気に流し込む。

ようやく落ち着いた気がした。そのままゆっくりと飲み進めながら、今日の試合を振り返った。

ペットボトルをゴミ箱に捨て、そろそろ帰ろうとした時だった。


「……来て、くれていたんだね」


背後からかかった声はいつもより弱々しく思えた。

泣いていたらどうしよう、なんて考えながらゆっくり振り返った。

そんな心配は杞憂で、走り終えて満足げな怜治がそこにいた。

浮かべていた微笑みは消えてしまいそうに儚かったけれど。


「お疲れさま。カッコ良かったよ」


何と言って良いのかわからず、当たり障りのない、使い古された台詞がこぼれ落ちていた。

杏樹自身の言葉では無い。

そう感じていたのは間違いない事実だけれど、何だか違う気がして唇を噛み締めていた。


「もっと、速くなりたかったなあ……」


彼の試合はここで終わってしまった。

この先走る機会がまったくないわけではないだろうけれど、現在の西星メンバーと走る機会はもしかすると、もう――……。


「あのね、怜治くん!」

「ん? どうしたんだい、そんな顔して。君が泣いてどうするの」


知らない間に杏樹は涙を零していたようだった。

熱い雫が熱い頬を流れていく。

優しい指先がその雫を拭った。


「ごめん。泣きたいのは怜治くんだよね」

「泣きたい、わけじゃないよ。満足しているのは確かだからね。百パーセントかって言われたら自信は無いけれど」

「私はっ!」


どんな言葉ならこの心の中を表すことができるだろう。

この胸に溢れる感情に当てはまる言葉は一体どれで、何が正解なのだろう。


「私は、怜治くんが走っている姿が好きで西星スト部のみんなが好きで、叶わないことだってわかってるけど、ずっとこの時間が続いていけばいいって思ってた」

「ありがとう、杏樹。でも俺は、動いていく時間の方が嬉しいよ。君と一緒に歩いて行けるのは、止まっている時間じゃないからね」

「怜治くん……」


引き寄せられるように影を重ねる。

一瞬、蝉の鳴き声が止んだ。

少しの間、世界の時間が止まった気がした。



敗者のくちびる



title:残香



(2017/06/08)


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