静かな終わり


近づいてくる夏の気配は、自然と心を逸らせる。

それはきっとあのイベントが待っているからだ。

毎年楽しみにしていたそれが、今年は間近で支える形で見ることができる。あの風を感じることができる。

マネージャーといういつもより近い位置で。

未だもう少し先のイベントに逸る心が抑えられない。

杏樹の前では今まさにリレーションの練習が行われていた。

ある意味息ぴったりな一年生エースコンビ。

そして、頼りになる先輩たち。

嬉しさで綻ぶだらしない表情は見ないふりをしてもらいたい。

壇先生から預かった今日の練習メニューはもう半分を超えている。

そろそろ休憩の時間だ。

水分と塩分を補給してもらうための準備に入る。

新しいタオルと冷やしたタオルも用意して、それから。


「マネージャー!」


細々と動いていたら、部長に名前を呼ばれた。

こっちに来いと手招きしているから、素直に従う。


「どうしたんですか、支倉先輩」

「お前、藤原の不調の理由知らないか?」

「尊の不調?」

「何か様子おかしいんだよな。平然と隠してやがるけど」

「わかりました。今日、さりげなく聞いてみます」

「助かる。サンキューな」

「いえ、私でお役に立てるのなら、何なりと申し付けてください!」

「可愛い後輩を虐めたくなるから、迂闊なことは言うなよ」


なかなか怖いお言葉だと杏樹は数歩距離をとった。

そんな解り易い彼女の反応に彼は声を抑えて笑った。

尊の不調、再び練習を始めた彼の姿に目をやる。

不調どころか絶好調に見える。

何せ、リレーショナーの彼女が彼を絶賛しているのだから。

タイムもいいし、いつもと変わらない無表情。

首を傾げ、その横顔を見詰めた。



***



部活は終わり、着替えが済んだ者から帰路につく。

正門の傍で尊を待っていれば、足を止めて空を見上げる彼の姿に気づいた。


「尊」

「ああ、色瀬か」

「何を見ていたの?」


紺色の絨毯に何が見えていたのだろう。

勝利の星、だろうか。


「色瀬」

「ん?」

「ありがとう」


夕闇に消えてしまいそうな感謝の言葉一つ。

けれど、それは何に対するものなのだろう。

杏樹に心当たりはない。

彼を支えることができたとは思えない。

これでも不器用さなら誰にも負けないくらい変な自信を持っていた杏樹だ。

部活中に転ぶ、引っ繰り返す、壊す、は日常茶飯事だった。

思い出すと顔から火が出そうだ。


「一生懸命頑張ってくれている姿を見ると、俺も……みんなも頑張れる」

「ありがとう」


恥ずかしくなって、語尾が消えかけた。

ただがむしゃらにやっていたことが、彼の目には、頑張っている姿に映っていた。

それは嬉しい、ことだろう。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「? 何だ?」

「尊って今何か悩んでいたりする?」


鞄が落ちた。

眼鏡の奥の瞳が揺れている。

激しい動揺が確かに存在していた。


「尊?」

「いや、何もない」

「何もないことないよね? 明らかに動揺したよね?」


平静を装い鞄を持ち上げ、そのまま逃げるように歩き出す。

杏樹はその背中を追いかけるため、少し小走りになった。


「ちょっと、尊!」

「色瀬、とりあえず、何も知らない振りをしてくれ」

「何の話? 全然わからないんだけど」


何故かムキになっている自分に気づいていた。

マネージャーでは頼りにならないのかと大声で叫びたくなったが、何とかこらえる。


「ねえ、尊!」

「……あと、一月、何も知らない今までみたいにバカみたいな顔で支えてくれると助かる」

「バカみたいって何よ」

「杏樹のそんな顔だ」


初めて名前で呼ばれ、儚げに微笑まれ、何も言えなくなってしまった。



静かな終わり



title:icy



(2017/05/05)


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