向日葵の影法師

 凛くん、が、好き、です


8 凛くん、が、好き、です



ドキドキドキ。

耳の奥に響く鼓動。

息苦しい。

水分が蒸発して喉が張りつく。

自分の体は、こんなにも自分の思い通りにならないものだと知らされた。

操り人形の方がまだ動けるのではないかと思う。

指先を眺めてみたところで、そこに糸はない。

当たり前だ。


「……郁?」


黙って固まれば、誰だって同じ反応をするに決まっている。

両手の平にかかった凛の息に驚き、慌てて距離を取った。

そして、頭を下げる。


「ごめんなさい!」

「いきなり何だよ」

「ちょっと、上手く言葉が見つからなくて、その……黙っちゃったから」

「悪い話なら、早めに頼む」


凛は右手で頭をかきながら、視線を泳がせた。

郁の口から飛び出す言葉をほぼ百パーセントそんなものだと思っているのだろう。

『命を差し出せ』なんて言わないし、『江を寄越せ』なんて言わないし、『また協力しろ』なんて……それはちょっと言いたい。

郁は頭を激しく左右に振った。

必死で否定していると、凛は郁の頭に触れた。

優しくて大きな手。

その手が続きを促した。

今言わなければ、後悔する。

そうわかっていても、音に変えることが恐怖でしかない。

怖い怖い怖い。

そんな気持ちが心音を大きく響かせる。

それでも、一歩先へと踏み出すことを決めたのは自分だ。


「凛くん、が、好き、です」


喉が掠れてしまったせいで、きちんと音になったのか不安だった。

彼の足元を見つめて言った告白は少々不誠実だったかもしれない。

郁は思い切り息を吐き出し、顔を上げた。

かなりの勇気を必要としたが、これからの経験に活かせるのならば、失恋だって……。

最悪の事態に涙がじわりと浮かんだが、顔は笑みの形に。

痛む頬は気にしない。


「好きだよ、凛くん」


二度目はさっきよりもはっきりとした言葉になった。

涙が心の奥から湧きあがり、視界は完全に歪んでしまった。

ぽつぽつと熱い雫がこぼれ落ちていく。

こんな面倒くさい女、凛は嫌がるだろう。

目の前で勝手に泣き出されるなんて、酷い一日だと思ったって仕方ない。


「郁」

「……はい」

「何を勝手に決めてやがるんだ」


濡れた頬に凛の手が触れた。

そのままぎゅっと引っ張られる。

そこにあるのは、いつもの空気だった。


「凛くん?」

「俺なんか、ずっと前から好きだって―の」

「……へ?」

「だから、俺はお前のこと好き――」


郁は思わず凛を殴ってしまった。

そのままその場へしゃがみ込む。

彼は何と言った?

自分の記憶へ問いかける。

好きだと聞こえたのは、幻聴か。

ご都合主義な自分の脳内はお花畑か。

頭の中がぐるぐる回っていて気持ち悪い。

乗り物酔い状態だ。


「おい、人殴っといて放置とはいい度胸だな、郁」

「ご、ごめんなさい!」

「何勝手にフラれた気になってるんだよ」

「だって、凛くん、カッコいいし面倒見いいから、モテるし……」


彼を頼る人間は多い。

後輩たちに好かれていることも知っているし、邪魔にならない位置で応援するファンの女の子たちの存在も知っている。

そんな彼が自分を好いているなんて思えるだろうか。


「……本当?」

「ったく、疑い深いな」


ため息と共に差し出された手には疑問が浮かぶ。

じっと見つめていれば、腕を掴まれて引っ張られた。

これは、抱きしめられているのだろうか。


「……凛くん! ここ、人通る場所!」

「わかってるし」

「だったら、放してよ」

「嫌なのかよ」

「嫌じゃなくて嬉しいけど、恥ずかしい」


想いを確かめ合った男女と言うのは、人前でこんなことを披露するのか。

恥ずかしくて死ねる。

ドラマや漫画、身近で言えば友達。

それならば気にならないのに、当事者になると叫ばずにはいられない。

悲鳴でも上げれば、もれなく凛が事情聴取行きだ。

爆音を奏でる心臓を落ち着ける。

自分はアイドルの卵だ。

演技の一つくらいできなければ。

平静を保って見せる。


「何泣きそうな顔してんだよ。そんなに嫌か? それとも……」


意地悪くにやりと笑った凛は、きっとろくなことを考えていない。

渾身の力で彼の束縛から抜け出した。


「意地悪な凛くんは好きじゃないです」

「もっと可愛いこと言えよな」

「可愛いこと? たとえば?」

「たとえ? ……そんなの江に聞けばいいだろ」


どうやら、凛も思い浮かばなかったらしい。

今度江から凛が好きそうな『可愛い言葉』を仕入れておこうと決意一つ。


「あの、改めて、聞く、ん、だけど」

「普通に喋れよ」

「あ、うん。ごめん」

「突っ立って話するのもなんだし、どっか座れるトコへ行こうぜ」


自然と手を繋がれて、またもや心臓が大きな悲鳴をあげた。

以前彼と手を繋いだことがある。

けれど、その時とは状況も感情も違う。


「……凛くんの恋愛経験を到着まで尋問したい」

「は?」

「慣れてるから、その経緯を知りたい」

「慣れるか、馬鹿」

「だって」

「黙ってついて来い」


大通りから外れたところにある喫茶店に着くまで凛は何も話さなかった。

郁も話さなかった。



(2016/09/06)


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