向日葵の影法師

 返すも何も私は凛くんのものじゃないよ?


7 返すも何も私は凛くんのものじゃないよ?



撮影から数週間が過ぎた。

その間、郁と凛の間には何もなかった。

会うことはできたはずだった。

連絡先は知っているし、恋人役を抜けても友人にはなれたはずだ。

けれど、郁は彼に連絡を取らなかった。

凛から彼女にも連絡は無かった。

あの日スタジオで別れて以来会っていなかった。

声も聴いていないし、姿を見掛けもしなかった。

完全に繋がりが断たれている様なその不自然な壁を壊そうとは思わなかった。

そんな郁は今、書店の雑誌コーナーに立っていた。

目の前に平積みされている10代女子向けのファッション雑誌。

表紙は人気モデルのあの子だ。

彼女の笑顔を隠さないようそっと綴られた文字。

あの企画がやけにハードルを上げにかかったな、なんて思う煽り文句だった。

それを手に取り、パラパラとページを捲る。

その手が止まる。

郁と凛のページだ。

凛の顔は上手い具合に隠されているけれど、彼を知る人が見ればすぐにわかるだろう。

それだけ彼らしさが溢れていた。

そんな凛と一緒にいたからだろう。

郁もいつもより笑顔が綺麗に映してもらえている気がする。

あの時自分はこんな顔をしていたのかと思うと頬が熱くなった。

その時の空気を肌に感じる。

ドキドキと心臓が急かすように動き出した。

あの時の緊張感、触れた凛の手の温度、傍に立ってくれる安心感、そして……郁の気持ち。

真っ直ぐに好きだと伝えられる程に自覚した感情は隠せない。

憧れでは無く恋愛感情としての確かな『好き』。

自分から凛に連絡を取らないのは、それも原因の一つだろう。

雑誌を眺めてため息をつく姿はどう見えるのだろう。

このままここにいると泣き出してしまいそうで、それを一冊買ってから店を出た。

書店の袋を持ち歩いていると、携帯電話が着信を告げた。

そこにあるのは、江の名前。

一つの疑問符を弾き飛ばし、通話ボタンを押した。


「もしもし?」

『郁さん、今日はお暇ですか?』


明るい声に笑顔が引き出される。


「暇と言えば暇だけど、何かあったりする?」

『ちょっとお茶したいなって思ったんです。例の雑誌発売しましたよね? その話も聞きたいなって思いまして』

「恋バナ聞くみたいなトーンにならないでよ。でも、大丈夫。付き合えるよ」


苦笑しながらも江の誘いを受けた。

彼女と話をしたいと思えたからだ。

改めてお礼を言わなければならない。

凛が協力してくれたのも江の力添えがあったからこそだ。

そのお礼と、それから……。

待ち合わせの場所に着き、腕時計を確認する。

間に合わないかと思ったが、十分弱前に着いた。


「郁」

「凛、くん……」


もう二度と会わないんじゃないかと、馬鹿げたことを考えていた。

それなのに、こんなにも簡単に会ってしまった。

彼の後ろで江のブイサインを見た瞬間、彼女の悪戯に気づいてしまった。

悪戯と言うか、余計な気遣い、だ。

そんなもの必要ないのに。

そう思いながらも嬉しく思っている自分がそこにいた。


「久しぶりだな」

「うん。元気そうで良かった。この前はありがとう。何かお礼できることがあればいいんだけど……」

「礼が欲しくて協力したわけじゃねえからな」

「……だよね」


彼女の頭に獣耳があれば、確実に落ち込んでぺたりと垂れていたことだろう。

そんなわかりやすい反応に凛は盛大なため息をついた。

面倒臭い女だと思われただろうかと、郁は体を震わせる。


「相変わらずだな」

「相変わらず面倒臭い?」

「何の話だよ。つーか、俺がお前にそんなこと言ったか?」

「……どうだっけ?」

「何だよ、それ」


凛は隠しもせずに笑った。

そんな風に笑われてしまうと文句の一つも言えなくなってしまう。

凛は本当に狡い。

それも好きなんだから、しょうがない。


「お兄ちゃん、笑ってる場合じゃないでしょ!」


距離を取っていた江が近づいて来た。

そして、ふわりと優しいそよ風のように郁を包んだ。


「え? 江ちゃん?」

「お久しぶりです、郁さん。雑誌見ました。相手がお兄ちゃんなのに、様になっていて、ちゃんとしたモデルさんで、何だか遠くに行っちゃったみたいで寂しくて、でも……すごく素敵でした」

「江ちゃん……」


彼女の背中を撫でる。

触れる赤い髪がとても柔らかい。

江だってとても素敵な女の子だ。

郁が持っていないものをたくさん持っている可愛い女の子。


「おいこら、二人とも。俺を放置して何してやがる」

「え、ヤキモチ?」

「江、何だよ、それ」

「違うの? ちゃんと言わないと郁さんは返してあげない」

「江!」

「返すも何も私は凛くんのものじゃないよ?」


郁が当たり前のことを言うと愛らしい笑い声を残して、彼女は離れた。


「私、郁さんのことお姉さんみたいだと思ってますよ?」

「……時々子ども扱いしてるのに?」

「それとこれとは話が別です」

「自覚症状アリ」

「邪魔者はそろそろ失礼しますね」


意味深な微笑を浮かべ、江は本当に帰ってしまった。

こんな気まずい空気を残していなくならないで欲しい。


「……写真、綺麗に映ってたな」

「あ、うん。いつもより、笑顔が自然だって褒められたし、私もそう思う。きっと凛くんのお陰だよ」

「俺は役に立ててたか?」

「? 当たり前だよ」


凛は大きく息を吐き出した。

それから、真っ直ぐに郁を見つめる。

その真剣な瞳の色に空気も緊張し、心持ち冷たい空気が張り詰める。


「郁」

「はい」


凛が言葉を続ける前に自分は言うべきことがあるんじゃないのか。

聞いて欲しいことがあるんじゃないのか。

足を進め、両手のひらで凛の口を塞ぐ。


「凛くん、私、言いたいことがあるの」



(2016/08/25)


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