向日葵の影法師

 凛くんは凛くんだよ


5 凛くんは凛くんだよ



凛のおかげか風邪の気配はすっかり消え失せていた。

撮影本番まであと少し。

ここからが勝負どころだ。

凛と恋人という役柄で写真に写る。

それだけではない。

その時の衣装を自分でコーディネートしなければならないのだ。

ファッションのことは勉強中とはいえ、まだまだド素人。

街行く女の子が可愛くて落ち込むことも多い。

どんな格好をすればいいだろう。

どんな服装なら、凛の隣に立っても違和感ないだろう。

悩ませるだけで、頭がパンクしてしまいそうになる。

ここは素直に凛の好みを聞いた方がいいだろうか、江に。

いや、凛の好みは関係ない。凛とは恋人なんかじゃないし……。

ぐちゃぐちゃにかき回される脳内。

頭から煙が上がりそうだ。

故障間近な自分。

せめて本番までは壊れたくない。

せっかく凛が協力してくれているのだから。

最高の思い出として仕事を利用したっていいじゃないか。

自分が好きな格好をするのが一番、だろうか。

心の中を見透かすようにクラシックが流れる。

画面に表示されているのは凛の名前だった。


「もしもし、郁です」

『まあ、郁にかけてるから、他の奴が出たら驚く』

「だよね。それで、凛くん。何か用事? 風邪なら心配しなくても治ったよ?」

『そうか。良かったな。今日はそうじゃなくて』

「ん?」


凛は撮影の詳しい内容を聞いてきた。

郁は知っている限りの情報を語る。

彼の質問に答えられない部分があれば事務所の人間に聞かなければならない。


『そうか……』

「他に聞きたいことはあるかな?」

『どういう雰囲気で撮られたいんだ?』

「雰囲気?」

『ああ。なんて言えばいいんだろうな……』


凛はぽつりぽつりと単語をこぼす。

それを拾う郁は何が言いたいのかわかってきた。

彼は撮られる写真のテーマを聞いているのだ。


「私は……」

『ん?』

「私は、初めてのデートがいい」


浮かぶのは、凛と出かけたあの日のこと。

ドキドキとわくわく、色んな感情が混ざり合ったあの日を改めて形にしてもいいだろうか。


『初めてのデート、か。いいんじゃねえの? 俺に協力できることあるか?』

「……今から会いたい」

『え?』

「会って直接話がしたい……駄目、かな?」

『そんなわけないだろ。じゃあ――』


待ち合わせの場所と時間を決めて電話を切った。

一緒に買い物に行きたいと言ったら、凛は付き合ってくれるだろうか。

優しい彼のことだから、郁が何を言ってもきっと聞いてくれるだろう。

郁は知らない。

凛がただ優しいだけではないということを。



「なあ、郁」

「ん?」

「俺の呼び方、変えてみる気はないか?」

「呼び方? 凛くん。凛ちゃん? り、ん……」


彼の名前を様々な愛称で呼んでみる。

口からこぼれた名前は確かに彼のもの。

それなのに違って聞こえる。


「凛くんは凛くんだよ」

「まあ、そうなんだけどよ……」

「? ……凛」

「!」

「駄目だよ! 呼び捨てで呼ぶなんて恐れ多い!!」

「お前は俺を何だと思っているんだ」


大好きで憧れの人です、と素直にストレートに伝えられたらどんなに楽だろう。

楽だろうけれど、そんな勇気どこにもない。

言うだけ言ったら、全力疾走に決まっている。

いや、全力失踪?


「郁」


名前を一言呼ぶだけですべて問われている。

何も答えられない。

いや、パートナーにこの態度は失礼だ。


「わかった。この撮影が終わったら答えるよ」

「約束だからな」

「うん。約束。これでも約束は守る方だから、安心して」

「約束破ったら、針千本な。ちゃんと用意しとく覚悟しろよ」

「怖い。凛くん、怖いよ」


ニッと笑った彼の歯が光る。

約束を破るつもりなんてないのに、本当に怖いと思ってしまった。

この気持ちを感謝と共に伝えるいい機会だと思った。

勢いがなければ伝えられないヘタレなのだ、自分は。



***



撮影スタジオが入っているビルに足を踏み入れる。

何度か経験してもまだ素人だから、慣れていない。


「郁」

「ひゃい」

「……」

「はい」

「そんだけ緊張されると、俺も苦しいんだけど」


周囲に振り撒いてしまっている緊張オーラ。

それは伝染するものだと聞いた。


「凛、くんも緊張してる?」

「当たり前だろうが」

「水泳の試合より?」

「まあな」


何故だろう。

その言葉を聞いた瞬間、ちょっとだけ落ち着いたような気がした。

今心に存在しているキモチは同じもの、かもしれない。

同じものを見て同じものを感じあえる。

その現実が嬉しかった。

広い控室に入り、髪型と薄い化粧を確認する。

今日のために選んだ服を改めて確認する普段の自分から遠い女の子な格好。

こんな格好で街を歩けば、少し気恥しくて、そしてふわふわして飛んで行ってしまいそうな気がする。


「白崎さん、準備はいいですか?」


始まりを告げる声が聞こえる。

ドキドキドキと心臓が大きく動き回る。

まだまだ慣れないことが多いから、緊張の度合いも半端じゃない。

それでも一人じゃない。

さあ、本番だ。

眩しくて怖い世界へ足を踏み入れる。

隣には凛がいた。



(2015/12/12)


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