自室の机の上でマリアは唸っていた。
数日後には提出しなければならないレポートがまだ半分も完成していないからだ。
一週間前には資料を集めて何とかまとめ始めていた。
いつもよりは、いつもよりは取りかかるのが早かったはずなのに、結局いつもと変わらず同じように頭を悩ませていた。
「……レポート出された日からやれって話か」
特別頭がいいわけではない人間は、上手く時間を使わなければならないのだ。
どうやらマリアはまだまだ自分に甘いらしい。
また唸り声を上げて、グタリと倒れこんだ。
体が重い。
それより、頭が重い。
小さな鉛の玉がいくつも入っているみたいだ。
体の中から吐き出した息もとても重いものだった。
羽のように軽くなれたら、ここから飛んで行けるのだろうか。
現実逃避ばかり考えてしまう自分は駄目な人間だと言われているようでツラい。
事実なのだが、それを『誰か』に言われることを激しく拒絶していた。
ため息一つ、静かさが嫌味に見える部屋に溶かした。
扉を叩く音が聞こえる。
それはとても軽やかなもの。
すべてをそんな風に感じ取ってしまうのだろうか。
「姉さん?」
「……ヒューバート。どうしたの?」
またサボっていると怒られるのも気にせず、だらけた状態で振り返った。
「どうやら、行き詰っているようですね」
すべてを見透かすような青い瞳。
眼鏡の奥の瞳がやけに優しそうだ。いつもはもっと厳しい目をしているのに。
「ヒューバート?」
「何ですか? それより、少し姉さんに付き合ってもらいたいのですが」
「……付き合う? 私、レポートしなきゃいけないから無理――」
「今の状態が姉さんにとって良いものだと思いません。息抜きも必要だと思うのですが?」
「……」
確かにその通りだ。
わかっているけれど、素直にうなずけない。
弟の誘いを無視しようとしたが、駄々をこねる子どもを引きずるような形でマリアはヒューバートに連れ出された。
「ほら、姉さん」
強い日差しはやけに攻撃的でマリアのライフはほぼゼロになっている。
何が『ほら』なんだと恨めし気に視線を送る。
ヒューバートは慣れた様子でそれを流した。
「ヒューバート。忙しいお姉ちゃんに何の用事?」
「ただのデートのお誘いですよ」
生真面目な弟が珍しく冗談を言った。
思わず目を見開き、彼の顔を凝視する。
「何ですか」
「え、ここはスルーが正解なの? まあ、いいけど」
外の暑い空気にもほんの少し慣れた。
今なら少しくらいの散歩に付き合えるだろう。
「どこに行くんでもいいけど、私今所持金ほぼゼロだから、場所考えてね?」
強引に連れ出されたため、所持品は携帯と小銭入れくらいだ。
この状態でショッピングモールとか連れていかれるとツラい。
欲求に勝てる自信がない。
オシャレなトコに行けるような服装でもないけれど。
「安心してください。姉さんはぼくのことをよくご存知でしょう?」
「……だと思うけど?」
もちろん、ヒューバートもマリアのことをよく知っているだろう。
「少し歩きたいんですよ、姉さんと」
「せっかくのお誘いなんだから、ちょっとは付き合うけど……」
ヒューバートが一歩先を歩き始める。
その足はほんの少し軽やかなものに思えた。
暑い日差しの中を好んで歩く者は珍しくもないが、マリアにとっては奇特な人もいるものだと感じてしまう。
二人がたどり着いたのは、近所の公園。
本当にちょっとした散歩だった。
「少し待っていてください」
真夏の太陽に温められたベンチに腰を下ろす。
いくら木陰でも暑い。
それでも吹く風は少し涼しい。
賑やかに走り回る子どもたちは微笑ましい以外の何物でもない。
「元気だな……。若いって素晴らしい」
「何が素晴らしいんですか」
「あ、ヒューバートお帰り」
戻ってきたヒューバートは両手にソレを持っていた。
「ソフトクリームです」
「……うん。まあ、言われなくても見たらわかるけど」
渡されたソレをちらりと一瞥した後で、ヒューバートを見上げる。
にこりとわざとらしい微笑みに迎えられた。
何を言われるのだろう。
マリアが身構えていると、彼は彼女の隣に座った。
そして一口それを含んだ。
そのまま無言。
さすがのお姉ちゃんでもここは読めない。
「食べないんですか? 溶けますよ?」
「あ、うん。いただきます?」
口の中が冷やされる。
おいしい。
「良かった」
「ん?」
「こっちの話です。食べたら、是非心置きなくレポートに戻ってください」
「ヒューバートの意地悪」
ちょっとした現実逃避をした瞬間に呼び寄せるなんて。
「ぼくはもともと意地悪です」
「嘘ばっかり。こんなに優しいのに」
「……さあ、何のことでしょう?」
遠くを見つめる青い瞳は幼い頃と違って見えて、成長した弟にちょっぴり寂しくなったそんな日の話。
一緒に食べましょソフトクリーム2015/08/31
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