子供じみたワガママ
貴方が愛した家族の中に入りたいとは、言わない。
貴方の心を占領したいとは、言わない。
けれど、貴方が生きていてくれる事、貴方が笑っていられる事、祈ってもいいですよね?
私の道を照らしてくれた貴方の幸せを願ってもいいですよね?
許されるなら、たった一言、『好き』って言っても良いですか?
***
嫌な雨が降っている。
不吉な事の前触れのように。
冷たい黒い雨が、降っていた。
「……アンジェ」
「あ。おかえりなさい」
ラルゴの執務室前。
扉の前で、顔を伏せてアンジェは座っていた。
「こんな所で、何をしている」
「今日は帰って来る日だったから、待っていたの」
「今日……か」
もう日付が変わって一時間経っている。
正確には、ラルゴは昨日帰ってくる予定だった。
だから、昨日から待っている事になる。
「どこもケガしていませんか?」
「大丈夫だ」
見た感じ、大きなケガはない。
アンジェは、ほっと息をついた。
「良かった」
「何かあったのか?」
「……」
そう問われ、うつむく事しか出来なかった。
その気配を察したのだろうか。
「嫌な夢を見たのか。たかが夢だろう」
「そんな事……!」
夢だと笑えたら、どんなに楽だろう。
昨日見た夢……。
アンジェは唇を噛んだ。
「悪かった。心配かけてすまなかった」
ラルゴはドアノブに手をかける。
ゆっくり扉を開けながら、アンジェに声をかける。
「本当なら、もう寝ろと言うべきだが……。一杯付き合わないか?」
「はい」
***
青いカップから立ち上ぼる白い湯気。
ほんのり甘いホットミルク。
「ありがとうございます」
「ああ」
「おいしいです」
ゆっくり息を吹き掛け、一口だけ飲む。
体があたたまる。
優しい味だった。
「ラルゴ」
「何だ?」
カップを傾ければ、底が見える。
もうそろそろ自分の部屋に帰らなければならない。
「今日は、ゆっくり休んで下さいね」
「……ああ。そうしよう」
「ごちそうさまでした。おやすみなさい」
疲れているはずの彼は、優しくアンジェに笑いかけた。
その笑顔が、好きだった。
***
「おはようございます」
「……早いな」
「はい。朝食をご一緒しようかと思いまして」
ラルゴは「早い」と言ったが、時計の針も太陽もお昼を過ぎている。
任務で遅くなると、ラルゴはたいていこの時間に食事をとっていた。
それを知るアンジェだから、待っていたのだ。
「今日、天気良いですね」
昨日の雨が嘘のように、優しい陽射しに照らされた大地。
キラキラと輝いて見えた。
「そういえば、アンジェ」
「何ですか?」
「ディストが呼んでいたぞ」
「……」
「そんな顔をするな」
「べっ、別に……」
アンジェはディストの事が苦手だった。
どんな話をすれば良いのか、その沈黙をどうすれば良いのか、分からなかったから。
「大丈夫です。仕事ですから」
「そうか」
「では、また。ご飯ご一緒させて下さって、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて、その場を離れた。
昨日の夢が見せる嫌な予感は、完全に消えていた。
***
――それから、数日後。
「ラルゴ」
「ああ、アンジェか。どうした?」
「私のワガママに付き合って頂けますか?」
「珍しいな」
ほんの少し驚いた表情が見えた。
いつもと違う顔が見えると、ちょっと嬉しくなる。
「それで、ワガママというのは?」
「ラルゴの今日を私に下さい」
「どこかに行くのか?」
「はい!」
行き先を告げずに歩く。
後ろから聞こえる足音が嬉しくて、声に出さず笑った。
アンジェはダアトのすぐ側にある森の中へ入る。
「気持ちいいですね」
「ああ」
バスケットを持つ手が、少し震える。
ドキドキという音が、よく聞こえた。
「ここで何を?」
「ピクニックです」
「ピクニック?」
「はい!」
後で思うと、焦っていたのかもしれない。
一つでも多く楽しい時間を思い出として、刻んでおきたかったのかもしれない。
当たり前のように、“何か”を感じていた。
「ねえ、ラルゴ」
「何だ?」
「私、ここにいますよね?」
「ああ」
「……良かった」
魔物に襲われ、死にかけていたアンジェを助けたのがラルゴだった。
ダアトでの生活を作ってくれたのもラルゴだった。
彼が時々ツラそうにアンジェを見ていた事に気づいていた。
彼の家族の事を聞いたのは、ずっと後の事だったが。
「アンジェ」
「はい」
「胸を張って生きろ」
「ラルゴ……?」
何かを諦めたような、切ない笑顔を見た。
その瞳は、アンジェではない“何か”……いや、“誰か”を見ていた。
真意を尋ねる事が、出来なかった。
ラルゴの口から語られる言葉に怯えていたからだろう。
いつもの時間が、普通に過ぎて……。
気がつかないうちに、物語は終末へと向かっていた。
***
嫌な雨が降っている。
不吉な事の前触れのように。
冷たい黒い雨が、降っていた。
「行かないで!!」
雨にかき消されないように、必死に叫んでいた。
決意の前に、
子供じみたワガママは、
届かない……。
up 2008/06/04
移動 2016/01/15
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