fake smile


「行くのか?」


夜が明け始めた頃。

まだ部屋の中は暗い。

扉の開く小さな音に声をかけた。


「……ああ」


普段と変わらないしっかりとした声。

いつもと変わらない見送りなら良かったのに。

こぼれそうになる溜め息を飲み込み、言葉を探す。

彼女に贈る言葉を。

緊張しているのは自分の方なのか。

何も浮かんで来ない。


「ディオ」


ふと気づくと、彼女は側まで来ていた。


「今まで、ありがとう」


そんな言葉は、聞きたくない。

そんな微笑みは見たくない。

無理に笑った表情は、嫌いだった。


「リグ……」


ディオの言葉を彼女は、手を握る事で遮った。

今、自分の言うべき事を、ディオは分かっている。

分かっているけど、言えない。

けれど、言わないわけにもいかない。


「……行って来いよ」

「ああ」

「出来れば、今夜帰って来て欲しいけどな」

「ディオ」


叱るように名前を呼ぶ。


「分かってる。でも、信じて待つのは良いだろ?」

「約束を破るのか?」

「約束って破る為にあるんだろ?」

「守る為だ。バカ」


いつもと同じ。

それが、苦しい。

口の中が渇く。


「リグレット、さよなら」

「さよなら、ディオ。……好きだったぞ」



***



「まったく、ディオはどこへ行ったんだ?」


怒ったような、彼女の声が下から聞こえる。

ディオは気配を消したまま、目を下へと移す。

彼女は何度も周囲を見回している。

自分を見つける為に。


「仕方ないか」


諦めたのか、リグレットはどこかへ歩いて行った。


「ふぅ」

「私をごまかせると思ったのか? 甘い!」


小さく息を吐いた瞬間、銃弾が顔のすぐ側にある葉を弾いた。


「!!」


驚きの余りバランスを崩し、体が落ちる。


「ってて……」

「ディオ、分かっているだろうな」


氷の微笑。

そう呼ぶ事のできる笑顔に、体が凍り付いた。


「あの……リグ――」

「特別に私が訓練に付き合ってやろう」

「そんな、六神将様に――」

「ディオ、十分後に訓練所に来い」

「……はい」


拒否できるはずがない。

サボった罰として、通常の倍以上の訓練が課せられた。

リグレットが最後まで付き合ってくれた事には、感謝しなければならない。


「リ……」

「ほら」


タオルとグラスが渡される。


「ありがとう、ございます」

「筋は良いのだから、真面目に訓練すればいいだろう」

「いや、訓練とか練習とか苦手で」

「……」

「……」

「……」

「……」


微妙な沈黙が続いた後で、リグレットは笑った。


「ディオ、それを言うなら『嫌い』だろう?」

「違います。好きです。苦手なだけです」

「そういう事にしておこうか」


笑いを隠すように口元に手を当て、そう言った。



その日から、ディオとリグレットは、親しくなっていった。

お互い側にいる事が楽だった。

一人でいるより、落ち着ける時があった。

傷ついた時には癒し合い、時には夜通し子供のように未来を語った日もあった。

人前では今まで通り、サボり魔と優秀な教官だったが。



***



「ディオ、約束してくれないか?」

「約束?」


ある日突然、彼女がそんな事を言った。

もう歯車が動き始めていた時期だった。


「私が運命の戦場に立つ時、その時が来たら、私の事を忘れてくれ」

「リグレット!」


彼女は、いつもと同じ顔をしていた。

いつもと同じだから、冗談だと笑いとばす事が出来なかった。

『運命の戦場』。

それは、世界が変わる為の大きな戦いを指していた。


「ディオ」

「……分かった」


リグレットが自分で決めた事。

彼女は、それを譲らない。

それが、分かっているから、仕方なく了承した。

彼女より強ければ、彼女より年上だったら、運命の戦場に立つ前にさらう事が出来ただろうか。

ディオは自分自身に問いかけた。

肯定の言葉など返ってこない。

分かっていた事だ。

覚悟も背負っている物も、全てが違っていた。


「リグレット」

「何だ?」

「何でもない」
 
「おかしなヤツだな」


最近、彼女の笑顔が偽物のように感じて仕方ない。

本当に笑っているとは思う。

しかし、その笑みは自分ではない誰かに向けられていたような気がした。

暗闇で手を離されたような不安が胸に広がっていた。


「リグレット」


その名前を呼ぶ事もなくなるのだろうか。

自分の目の前から、煙のように消えてしまうのだろうか。


「どうした。甘えたいのか?」


リグレットはディオの背に手を回した。

不安を癒し、包み込む母親のソレに似ていた。


「俺はガキじゃないぞ」

「私から見れば、そう変わらないぞ」

「若いくせに」

「そうか? 一言だけ言っておこう。ソレは褒め言葉とは限らないぞ」


ディオはその答えを求めたが、リグレットに自分で考えろと言われてしまった。



***



リグレットがいなくなっても、ディオの日常は変わらなかった。

神託の盾の一兵士として、様々な仕事に追われていた。

世界が混乱していた分、忙しかった。

忙しい方がいい。

嫌な考えを忘れる事が出来るから。



やがて、世界に「平和」が戻った。

ディオが予感していた通り、彼女は帰って来なかった。

胸にできた小さな暗い穴は、まだ埋まりそうにない。



さよならは、言いたくなかった。



本音は、止めたかった。



けれど、彼女の決意を覆す事など、出来なかった。



もう少し強ければ、別の結末が存在したのだろうか。



今思い出せるのは、最後の偽物の笑顔だけ……。



さよなら、リグレット。



本当に好きだったよ。



up 2008/05/02
移動 2016/01/14


 

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