おやすみ、センセイ


※死ネタ?



始まりはいつだったかな。

あ、八年前にダアトに捨てられた時だ。

何となく予感していた。

けど、灯火のような儚い希望を抱いていた。



あの人は、無表情にあたしの手を引っ張った。

教会の前で、乱暴にその手を離された。

まるで、地獄に落とすかのように。


『ごめんなさいね。これも預言なのよ』


相変わらずの無表情で、そう言った。

あたしは、知っていた。

そんな預言はなかった。

あたしは要らなかったから、捨てられたんだ。

あの人は、預言を守る事より、あたしを捨てる事を選んだ。


『っ……』


彼女の名前を呼ぼうとした。

けれど、何と呼べば良かったの?
 
“お母さん”なんて言葉、口に出来なかった。


『っ……!』


走って、彼女にすがりつこうとした。

けれど、何と言えば良かったの?

“捨てないで”なんて言葉、自分の価値を下げること、言えなかった。



人の波に消えていく姿を、他人事のように冷静に見ていた。

涙は、出なかった。

これからどうするかなんて、考える気もなかった。



ぽんと頭に乗った温もり。

その人を見上げる。

彼は、優しい瞳であたしを見ていた。

哀れむでもなく、励ますでもなく、ただ優しい目をしていた。



その人が、センセイだった。



***



真っ青な空は気持ちいいから、好き。

けど、この青空も預言の一部だと思うと、嫌いになる。


「アンジェ」

「センセイ!」


あたしの名前を優しく呼んでくれるセンセイ。

センセイは、神託の盾騎士団の主席総長。

あたしに色々教えてくれる大好きな先生。

今のあたしの大切な家族。


「今日の自習は終わったのか?」

「勿論!」


数枚の紙を見せる。

センセイが作ってくれた問題プリント。


「うむ。合格だな」

「やった」

「これから暫くの間、出掛ける」


プリントを返すと、センセイはそんな事を言った。


「どこへ?」

「私は、お前を置いて行かないぞ?」

「……留守番くらい出来ます!」


初めて会った時の事を言われ、ちょっと拗ねてみせた。

何だか子供扱いされているようで、嫌だったから。

どうせなら、生徒扱いにしてほしい。


「妹に会って、その後バチカルへ行く」

「妹って……ティア、だっけ?」

「よく覚えていたな」


感心するように、目が大きくなった。


「だって、センセイはシスコンだもん!」

「アンジェ!」

「冗談です。お土産、期待してますね」

「勉強を頑張ったらな」


軽く手を上げ、歩いて行くセンセイ。

暫くは、退屈な毎日になりそう。



***



図書室で本を読んでいたけど、やっぱり飽きる。
 
半分を過ぎた所で、本を閉じた。


「アンジェ」

「はい?」


名前を呼ばれ、振り向く。

そこにいたのは、リグレット様だった。

センセイの副官で、あたしが憧れる女性。


「閣下からだ」

「……」


分厚いプリントの束を渡された。

これは、嫌がらせ?

固まったあたしに抑えた笑い声が聞こえてきた。


「あ、すまない。これは、課題だけじゃないぞ?」

「え?」


何枚かプリントを捲ってみた。

復習用のプリントだけじゃなくて、今度ダアトで行われるイベントの事や、お店のチラシ、センセイおすすめの本がメモされたモノとか、色々。


「退屈しないように、だそうだ」

「センセイ……」


あたしの事を考えてくれたんだと思うと、すごく嬉しい。

センセイは、すごく優しい。


「リグレット様、ありがとうございました!」

「私は何もしていない」

「いえ。ありがとうございました」


リグレット様は優しく微笑んで、図書室を出て行った。

センセイがここを留守にする分、忙しいみたい。

あたしはセンセイからの贈り物を持って、部屋に戻る事にした。

神託の盾本部に入ると、訓練の声が聞こえる。

何となく、足を止めた。


「あたし、ここにいてもいいのかな?」


あたしは、神託の盾の兵士になるわけじゃない。

今、何かしているわけじゃない。

ダアトで、人の役に立つような事を、していない。

ここにいてもいいのか、不安になる。
 
いつまでここにいてもいいのか、不安になる。

見えなくなるあの人の背中が、浮かんだ。


「……バカ」


歪み始めた視界。

それに甘えるつもりはない。

あたしは、部屋まで全力疾走した。


「っはぁ、はぁ……」


扉に背を預けて、その場に座り込んだ。

心臓がうるさい。

喉が痛い。

プリントの束を置いて、膝を抱き寄せる。

そして、瞳を閉じた。



真っ暗な世界に響くあたしの声。

それは、暫くの間、あたしを責め続けていた。



「痛っ!」


後頭部に何かがぶつかった。

頭がぼやーっとして、よく分からない。

……あたし、あのまま寝ちゃったんだ。

となると……。

後ろを向けば、数センチ開いた扉。

なるほど、これが頭に当たったんだ。


「ごめんなさい、です」


少し開いた扉の向こうから、声がした。

アリエッタ様だ。


「すみませんっ!」


慌てて立ち上がって、扉を開けた。


「ちゃんと、ノックした……です。でも、返事がなくて……」


全然気づかなかった。

いくら眠くても、こういう時はちゃんと起きないとね……。

今後の課題にしよう。


「アリエッタ様」

「……違う」

「え?」

「様、要らない」


人形を抱いたアリエッタ様が、あたしを睨んでいた。

泣きそうな瞳で。


「でも……」

「アンジェは、神託の盾の兵士じゃない……です」
 

確かに。

リグレット様やアリエッタ様は、あたしの上司じゃない。

センセイを通して知り合った。


「分かった。アリエッタ、どうしたの?」

「一緒に、お茶……しよ?」

「はい!」


……というわけで、アリエッタ様にご馳走になりました。

今日のケーキもすごく美味しかった。



あたし、恵まれているなって思う。

だって、センセイが帰ってくるまで退屈しなかったから。

みんな、あたしの事を気にしてくれてた。

こんなに人がいるんだから、確かに、好意的な人だけじゃない。

でも、こんなあたしだから……世界中が敵になっても、文句は言えないって覚悟してたんだけどね。



みんなの優しさが嬉しい。

けど、その優しさに潰されそうになる。

あたしは、その優しさに耐えられない。

あたし、そんなに良い子じゃないよ。

みんなの為に何も出来ないくせに、迷惑ばかり……。


「アンジェ」

「あ、センセイ。おかえりなさい」
 
「また、変な事を考えていただろう」


そんなに分かり易い顔をしていなかったはずなのに。

さすが、センセイ……。


「何も考えてませんよ?」

「嘘だ」

「センセイ、早く帰って来ないかなぁって」

「……はあ」


センセイは、困ったように溜め息をついた。

嘘じゃないのに。

早くセンセイに会いたかったのは、ホントだし。


「……アンジェ」

「はい」

「暫く、お前の相手が出来なくなった」

「……え?」

「色々と問題が起きてな」


その対応の為、あんまり相手してもらえないらしい。

寂しいけど、仕方ないか。

あたしは、センセイを困らせたいわけじゃないし。
 

「分かりました。あたしは大丈夫です。センセイこそ、無理しないで下さいね!」

「ありがとう」


優しく頭を撫でてもらった。

ありがとうって言いたいのは、あたしの方なのに……。

その言葉は出て来なかった。



暫く……というか、結構な間、センセイには会えなかった。

六神将の人達も忙しいようで、あたしはすごく退屈だった。

退屈で……それ以上に苦しかった。



それから数日後、久しぶりにセンセイに会うと、あの人の話をされた。


「アンジェ、母親は、お前を愛していたぞ」

「……」


唐突にセンセイはそう言った。

それに対して、何も言えなかった。


「お前をダアトに連れて来たのは、預言から抜け出す為だ」

「でも!」


いくらセンセイの言葉でも、あたしは信じられない。

あたしは……!


「アンジェ」

「……」

「無理に理解しようとするな。いつか、分かる」


あたしは、頷く事しか出来なかった。



ねぇ、センセイ。

センセイが何をしているか、少しずつ気づいてるよ。



みんなを幸せにする為には、誰かが傷つかなければならない。

みんなを幸せにする為には、何かを犠牲にしなくてはならない。
 

センセイがそう言った時、あたしが犠牲になるだけじゃ足りないのか聞いた事があった。

センセイは困ったように笑って、暫くあたしに会いに来てくれなかった。



世界は変わろうとしているのかもしれない。

センセイが目指すのと違う方向へ。

あたしは、センセイが間違ってるなんて思わない。

だから、あたしをそこへ連れて行って。



「センセイ」


崩壊するエルドラント。

足場が崩れていく。

それは、あたしが生きた時間さえも、同時に壊していくような気がした。


「センセイ」


今はそこにいない人に話しかける。


冷たい雫を無視して、センセイがいた場所まで歩いた。
 

「センセイ、あたしの道をありがとうございました」


ぺこりとお辞儀。

こんな状況でも、センセイに褒められるようなお辞儀だったでしょ。

センセイ……。



崩壊音が、あたしを巻き込んだ。

センセイが夢見た世界、ちょっとだけ見たかったです。

たとえ、そこにあたしがいなくても。

それでも、見たかった。


「好きでした、センセイ」


あたしの体が落ちていく。

速いのか、遅いのか、分からない。


痛い。


痛い。


痛い。


痛い。


あ、今あたし、生きてるんだ。



センセイ、あたしセンセイと一緒の所へ行けるかな?


それは、贅沢な望み?


それなら、せめて、最後に幸せなユメを見せて……。


おやすみなさい、センセイ。



up 2008/02/29
移動 2016/01/12


 

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