あの日の笑顔、未来の笑顔
※死ネタ要注意!
気持ちいい風。
よく晴れた空もホント気持ちいい。
空を見上げると太陽が優しくて、眠たくなる。
仕事中の私は、サボりに見えるかもしれない。
ほうきを少し強く握って作業を再開した。
「アンジェ!」
せっかく覚悟を決めたのに……。
動き始めたばかりの手を休め、私は笑った。
「ガイラルディア様、おはようございます」
「お、はよっ」
そんなに急いで、何があったのかと、少し身構える。
けれど、その心配は無用だった。
「ほら、あのね、直ったよ」
弱々しく、けれど自信満々に彼は言った。
目の前に差し出されたソレを受け取る為に、しゃがむ。
「ガイラルディア様、本当に器用ですね」
「えへへ」
もうすぐ五歳の誕生日を迎えるこの方は、ガルディオス家を継ぐ人物。
少し気が弱い所はあるけれど、きっと立派な方になるだろう。
それを近くで見ていられたらいいな、なんて曖昧に思っていた。
***
ガイラルディア様の誕生日パーティーの準備が、少し前から始まっていた。
時間さえ、待ち切れないのだろうか。
そう思う程に、毎日が忙しくて、時の流れが早かった。
そして、彼の誕生日……。
主役が見つからない、と私を始め数人の使用人は屋敷中を走り回っていた。
「ガイラルディア様?」
「アンジェ」
使用人仲間に名前を呼ばれ、彼女の手が示す方に目をやる。
不安そうに、幼い瞳が遠くを見ていた。
「一体何を……?」
「貴方、鈍いわね。ガイラルディア様は、ヴァンデスデルカ様を待っているのよ」
「そうですか……」
私はあまり会った事はないけれど、ガイラルディア様がお兄さんのように慕っている彼の姿が曖昧に浮かんだ。
彼が、ヴァンデスデルカ様だ。
「……来てくれますかね?」
「さあね。私が話をしてくるから、アンジェは会場へ」
「はい」
暫くすると、ガイラルディア様は笑顔で現れた。
満面の笑み。
弾む声。
その場にいる誰もが、幸せそうな笑顔を浮かべている。
私も例外ではなく、去年より少し大きくなったガイラルディア様を見られて、嬉しくなった。
来年は、今日よりまた大人に近づいているんだろうな。
そんな事を考えていたその時……。
「!!」
慌ただしく広間に入ってきたのは、この屋敷の兵士達。
彼らが叫ぶように言った言葉。
一体、何が起きたのだろう。
思考回路が凍り付いたかのように、理解出来なかった。
……悲鳴が、頭の中をぐるぐると回る。
何が起きたか、詳しく分からなくても、本能で理解した。
この危険な状況を。
「アンジェ、ガイラルディア様とマリィベル様を!」
「は、はいっ!!」
私は、いなくなった二人の背を追うように、走り出した。
けれど、二人の身を案ずる前に、恐怖が先に体を走る。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
怖いっ!
扉を叩き壊す音。
平穏から、かけ離れたたくさんの足音。
重苦しい鎧の音。
剣を交える音。
悲鳴。
……血の、におい。
心臓がうるさい。
心臓が痛い。
怖い。
逃げ出したい。
……死にたくない!
殺さないで!
――ガチャ……。
「はぁっ、はぁっ……」
「アンジェ!?」
「マ、リ……べル、様……ご無事です、か?」
「ええ。ガイラルディアも無事よ。貴方こそ大丈夫なの?」
「は……い。ただの運動不足、です」
震えが、止まらない。
臆病だと笑われるかもしれない。
けれど、怖かった。
どうしようもなく、怖かった。
どうして、この方は強く笑っていられるのだろう。
「アンジェ」
「はい」
「ガイラルディアをお願い」
「マリィベル様!?」
仕えるべき人物。
守るべき人物。
そんな方の背に隠れる事は、許されない。
どんなに怖くても。
今すぐ逃げたくても。
「アンジェ、私たちが守らなくてはならないのは、あの子よ」
強い光が宿った瞳。
その瞳が、だんろを指した。
「……」
「アンジェ」
「……分かりました。けれど、私は貴女も守りたいのです」
驚いた瞳が、優しく笑った。
安心できるような、そんな微笑み。
「ありがとう。それじゃあ、私を守る為に、あの子の側にいてね」
「……敵いませんね、マリィベル様には」
「あら。ありがとう。落ち着いたら、貴女の得意な事で勝負しましょう?」
「……はいっ!」
私は、マリィベル様より二歩、だんろに近い位置に立った。
使用人になる際、簡単な護身術は習った。
実践は初めてだった。
こんな事になるなんて、思っていなかったから。
体がまだ震えている。
扉が……開いた。
キムラスカの兵士が入ってくる。
振り降ろされる刃を見る事が出来なかった。
怖くて、怖くて、目を瞑る。
マリィベル様の声が、響いた。
「ガイラルディア様っ」
咄嗟に開いた瞳に映った光景。
頭が白くなって、何も考えられない。
――死ナナイデッ!!
「アンジェっ!!」
いくつもの悲鳴や罵声の中で、誰かが私の名前を呼んだ。
「っ……」
一瞬……オトが消えた。
世界から、見捨てられたような、錯覚。
冷たい塊が……体に突き刺さっていた。
痛い。
熱い。
寒い。
気持ち悪い。
苦しい。
よく分からなくて、泣きたくなった。
泣きたくて、泣けなくて、ぼんやりとだんろを見た。
その先にいるはずのあの方は、やっぱりいなかった。
「姉上? アンジェ? みんな?」
その声に、ゆっくり目を合わせる。
私、誰かの為に死ねるだなんて思わなかった。
私は、自分が一番可愛くて、他人なんてどうでもいいと思ってた。
苦しい思いまでして、救う価値のある他人なんて、いないと思ってた。
それなのに……。
怯えた幼い瞳の少年。
私が仕える小さな主人。
「ガイラルディア様」
体と心が剥されたような、離れたような違和感。
体が重くて、思うように動かせない。
「アンジェ……?」
涙が浮かんだ空色の瞳。
幼すぎるこの方に、この状況を理解させるのは難しいだろう。
……違う。
今はそんな事を考えている場合じゃない。
「ガイラルディア様、生きて下さい。貴方自身の為に」
そう紡いだつもりだったが、きちんと声になっていただろうか。
ちゃんと、貴方に伝わっただろうか。
この方を安心させる為に、私は微笑まなければ。
笑うの。
笑いなさい、アンジェ。
それが、今の私がやらなければならない事だから。
……出来なくてもやらなければならない事だから。
「ガ……ラ……」
「アンジェ!」
お願いします。
大きな声は出さないで。
貴方の命が危なくなるから。
私みたいに弱い人間じゃ、貴方を守れない。
「……いで!」
何かを叫ぶガイラルディア様の口に手を当てる。
それは、思った以上にキツい動作だった。
「アンジェ……」
指の間を抜ける音。
ありがとうございます。
私の名前を呼んで下さって。
ごめんなさい。
貴方の家族を守れなくて。
生きてください。
貴方は、光の中を。
貴方は、私達の希望です。
お願いします。
憎しみを重ねないでください。
笑っていてください。
泣かないでください。
貴方は、
貴方は……幸せになってください。
大好きな、小さなご主人様。
世界が消えていく。
「私」が消えていく。
おやすみなさい。
明日も、貴方の声が聴きたかった……。
***
「久しぶり」
もう消えてしまいそうな、幼い記憶の中で笑う彼女に告げた。
「終わったよ」
彼女はいつも笑っていた。
退屈そうに。
楽しそうに。
鬱陶しそうに。
嬉しそうに。
苦しそうに。
幸せそうに。
本当に笑っていた事は、数えられるくらい少なかっただろう。
当時の俺は、彼女の事をどれくらい知っていたのか。
当たり前のように、そこにいてくれた彼女の事を。
俺の味方でいてくれた彼女の事を。
「アンジェ」
『はい』
彼女の声が、耳の奥で聞こえた。
浮かんだ笑顔は、困ったようなカオ。
「心配しないでくれ。俺は、大丈夫だから」
100%大丈夫だとは言い切れない。
けれど、キミは心配しなくていいんだよ。
俺だって、強くなったんだから。
けれど、あいつの事を思うと不安が募り、心が蝕まれる。
信じていないわけじゃない。
誰よりも信じている自信がある。
それでも……。
強い風が吹いた。
それは、俺の中にある重い気持ちをさらうように。
背中を押してくれる、風。
「アンジェ。キミは今、心の底から笑っているかい?」
瞳を閉じて、風を感じる。
彼女の本当の笑顔が見れたような気がした。
ガイラルディア様、生きて下さい。
どんなに愚かで、苦しくて、理不尽でも、それでも素敵なこの世界を……。
up 2008/02/29
移動 2016/01/12
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