舞い散る飛沫に愛を歌え


夏色は確実に姿を消しつつある。

短い秋はやがて冬を連れてくるのだろう。

そうなれば、卒業も目の前だ。

きゅっと締めつけられる胸の痛みに今は気づきたくない。

小さなため息をこぼすことでそれをごまかした。


「どうした、色瀬」


涼しげな瞳がまっすぐに杏樹を見ている。

心配の色を見せる視線に頭を振ることで答えた。


「どうもしないよ。それより、ハルカくん」

「ん、何だ……」


いつもより強い口調で名前を呼べば、ポーカーフェイスが警戒してみせた。

少し前までなら気づかなかったかもしれない変化。

それがわかるようになってきたことが、たまらなく嬉しい。

嬉しいと同時につらくもあるんだと現実が目の前に迫る。


「何でもない」

「そうか」


それきり会話は終わってしまった。

おしゃべりとは無縁に見える遙だから仕方ない。

これが仲のいい友達だったら、言葉は尽きることを知らないだろう。

これが例えば彼の幼馴染だったなら、気を遣っていろいろ話題を提供してくれただろう。


「……ハルカくん翻訳機が欲しい」

「……?」

「つまり、橘くんが欲しいってこと」


杏樹がそうこぼせば、表情の変わらない遙の眉間にしわができた。

杏樹は気づいているのだろうか。


「真琴……?」

「そう。欲しいって言うか、橘くんになりたい」

「……」


遙は完全に黙ってしまった。

何か考えこんでしまったらしく、ぶつぶつと彼女には聞き取れない言葉が続く。

この場合の彼女の言葉の意味は、決して男になりたいわけでも、遙の幼馴染になりたいわけでもなかった。

今よりももっと近づきたいだけ。切れない絆が欲しいだけ。


「ハルカくんが何を思っているのか、何を言いたいのか、全然わからないんだもん」

「色瀬……」

「でも、それはお互い様、かもね。私も全部話してないんだから」


自分を知ってほしいと願うくせに、知られることに恐怖を感じる。矛盾した感情。

多分恐怖の方が勝っているだろう。

嫌われたくないと願う気持ちは、間違いなく恐怖だ。


「……」


きゅっと閉じられた唇は、何かを語ろうとするけれど、開かれることはなかった。


「……」


杏樹も唇をかみしめる。

そこで、ふとある考えが浮かんだ。

考えなんて大げさなものではない。小さな願い事、だ。


「ねえ、ハルカくん。名前で呼んでほしい……ってわがままかな?」


遙は頭を左右に振った。

それから深呼吸をする。


「……杏樹、でいいか?」


口数の少ない遙が杏樹の名前を呼んでくれた。

初めて聞く音。初めての響き。


「杏樹? 何か問題があったか?」


問題があるとすれば、心構えができていなかったこと。

思った以上に破壊力があった。

心臓を掴まれたような気がする。

この場合掴まれたのは心臓ではなく、『心』。心の奥底。

痛い。けれど、それはとても幸せな痛みだった。


「ハルカくん」

「……?」

「ありがとう。あとね」


アンジェはそこで言葉を区切った。

深呼吸一つ。それだけで落ち着くものでもなかったが、口からさらりと飛び出していた。


「ハルカくん、好きだよ」


今伝えなければ。そう思えば、悩むより先に口から飛び出していた。


「な……何をいきなり……」

「ちゃんと言いたかったの。ハルカくんが私をどう思っていようが、迷惑だろうが、別れてしまう前にちゃんと」

「杏樹……」


いずれ会えなくなる。

進路が分かれていることはとっくに知っていた。

だから、この瞬間だけ、一緒にいたかった。

一瞬でいい。刹那でいい。ただ今だけ……。


「はい、この話は終わり。そろそろ帰ろうか。きっと橘くんが心配……」

「杏樹」


わりと強く呼ばれた名前にドキリと心臓が動くことを一瞬拒絶した。

肩がわかりやすく跳ね、ぎこちない動きで遙と視線を合わせた。


「杏樹のそういうところ、嫌いだ」

「そういう……ところ……?」


意味がわからない。

けれど嫌いと言われたことに胸が痛む。

じんわり浮かぶ涙はきっと遙に迷惑をかけてしまうだろう。

だから、顔を背け走り去る準備をする。


「そっか。ごめんね。じゃあ、また明日」


その明日は来ない気がした。杏樹が走り出すための一歩を踏み出した時だった。

右手首をぎゅっと掴まれる。


「杏樹、何か勘違いをしていないか?」

「してないです。用事を思い出したから、帰るね」

「やっぱり、勘違いしてる」


ため息と共に掴まれた部分に力を込められた。


「ハルカくん……?」

「誤解を解くべきだと思う」

「えと……」

「ちょっと付き合ってくれ」


短い言葉と共に歩き出す遙。

掴まれた部分が熱を放つ。

そんな秋のはじめ。



舞い散る飛沫に愛を歌え



(2014/09/25)


 

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