第二章
01
宮田は大きなダンボールを抱え、隣り合った部屋を幾度となく往復をしていた。無意識に今日何度目かのため息が洩れる。
別に力仕事が嫌なわけではない。単純作業だって嫌いではない。けれど――
「なんで自分だけ捜査会議に出られないんだよ」
今頃は大会議室で今回の事件と前回の事件について話し合われているはずだ。本来ならば宮田もその場にいるはずだったのだが。
小塚の一言で会議室から放り出された。
「なにが悲しくて今更資料室の整理」
再び大きなため息が洩れる。
二つの資料室に年代がばらばらに放り込まれた捜査資料を整頓して来いという。何の脈絡もないその言いつけに、驚き過ぎて思わず顎が外れかけたが。小塚に逆らっても得がないと渋々ながらに任務を真っ当中だ。
「うわっ……やっちゃった」
静かな室内に宮田の慌てた声が響く。
抱えたダンボールの底に机の角が思い切りよくぶつかり、抜けた底から紙の束が盛大に落下していく。
「あぁ、もう面倒くさいなぁ」
辛うじてダンボールに残ったものを机に置いてしゃがみ込むと、床に散った紙の束を番号順に拾い集めながら宮田は大きく肩を落とす。
「あれ、これは覚えがあるなぁ。確か半年前……」
手元で開かれた調書が目に留まり、不意に頭の隅で記憶が過ぎる。
「宮田くん……ってなに散らかしてるの!」
「え?」
突然の呼び声に宮田が振り向けば、入り口から警務課の立花美穂が顔を覗かせていた。美穂が小さな顔を僅かに傾け部屋を覗き込むと、肩まで伸びた黒い髪がふわりと揺れる。そして忙しなく右往左往する宮田に美穂は目を丸くしながら瞬きをした。
小動物を思わせる大きく黒目がちな瞳が印象的な美穂。小柄な体躯と身長がさらにそれを際立たせる。
「あ、立花さん。いや、これはちょっと不幸な事故で」
美穂の姿に一瞬目を奪われながらも、宮田は慌てて首を横に振ると、思い出したように床に散らばったものをかき集めた。
「あとは私が拾っておくから。お客さん来てるよ」
落ち着きのない宮田の様子に美穂は肩をすくめて笑うと、身を屈め足元に散らばるものを拾い始めた。
「え? お客さん?」
美穂の言葉に宮田は大きく首を傾げた。
「誰だろう?」
宮田はこの春に交番勤務から刑事課に異動してきたばかりで、その頃お世話になった近所のお爺ちゃんお婆ちゃんが署に訪ねてきて驚かされることがあった。
しかし一度窘めてから、最近は来ることがなくなったはずだが。
「平田さんかな? 中島さんとか?」
頭に思い浮かぶ名前を指折り数えながら、宮田は階段を下りていく。そしてゆっくりとした足取りで一階の受付に近づいていくと、次第に歩みが鈍くなっていく。
終にはその足が止まった。
無意識に足が踵を返し来た道を戻ろうとする。
「あれ? 宮田さん」
自分の背に問いかける声に宮田の肩が跳ね上がった。
何も聞かなかった、そう小さく呟きながら宮田が足早に階段を上ると、背後から足音が忍び寄る。さらに足を速めれば、それに合わせて足音も付いてくる。
「ひぃっ!」
小さい悲鳴を上げて宮田が振り返ると、いつの間にか踊り場の端に追い詰められていた。不意に低い男の声が耳元を掠める。
「なに人の顔見て逃げ出してんだよ」
視線を合わせないよう目をウロウロさせる宮田に、目の前に現れた男は不愉快そうに目を細めた。それでもなお、逃げ道を探すように宮田は視線を動かす。
「人の話、聞いてる?」
顔の横に付かれた手に宮田の顔が怯えで歪む。
「で、出た……デビル王子」
慄く宮田の口からこぼれた言葉に男は怪訝そうに眉をひそめた。
「なに? そのダサいネーミング」
「あ、あ……悪霊退散!」
突然そう言って腕を振り上げた宮田は小さな音を立てて男の額に手のひらを落とした。男の視線が目の前から消える。
「おい、こら」
「南無阿弥陀仏……」
両手を擦り合わせながらブツブツと呟く宮田の脳天目掛け、男の手が水平に振り下ろされた。
「悪魔の次は悪霊か」
「いっ」
痛みに顔を歪めた宮田の目の前で貼り付けたお札がもぎ取り取られ、笑みを浮かべた男が再び視界に現れる。
「俺をなんだと思ってんの?」
「杉崎亮平と書いてデビルと読む! ちょっとばかり見た目が綺麗でも騙されないぞ! 王子王子って女の子にちやほやされてたって、俺は知ってるんだからな」
目の前に突き出されたお札の束と十字架に男は――亮平は呆れたように目を細めた。
無造作に掻き上げた長い前髪の下から覗く亮平の瞳が光に反射して紅く染まる。
「あんたいくつのガキだよ」
「今年二十六だ! 君より四つも上なんだから敬えよ」
まるで駄々をこねる子供のように騒ぐ宮田へ向け、亮平が大きくため息をつき、ゆっくりと瞬きをすれば、不可思議な色を含んだ瞳は色素の薄い茶色へと変わった。
「コヅさんどうしたんだよ。俺が呼んだのはあんたじゃねぇぞ」
腰を抜かして座り込んでいた宮田の横に片足を付きながら、亮平はちらりと周りを窺う。
「それはこっちの台詞だ! 客だからって来て見たら君が現れたんだから」
不遜な亮平の態度に宮田の声が大きくなる。
だが、目の前にいるこの男はチンピラやヤクザより性質が悪いと宮田は思う。
「あらぁ、宮田くんどうしたの?」
喉から飛び出てしまいそうな恨み辛みを宮田が飲み込んでいると、驚きに目を丸くした美穂がのんびりとした足取りで階段を下りてきた。顔を上げ呆けたまま宮田がその様子を見ていると突然腕を取られ引き上げられた。
「躓いたみたいです」
横でそう何事もなかったかのように微笑む亮平は、先程とは打って変わり柔らかな雰囲気をまとっている。
「この猫っ被りめ……いっ」
亮平の変わり身の早さに宮田が毒づくと掴まれた腕がさらにきつく握り締められた。そしてそのあまりの痛みに小さく息を飲んで宮田は口を噤んだ。
「コヅさんは?」
「え? ごめんね、小塚さんいま会議中なの……宮田くんじゃ駄目だった?」
目の前のやり取りに全く気がついていないのか、美穂はニコニコと笑みを浮かべながら首を傾げる。
「えぇ、まぁ」
言葉を濁した亮平の視線が宮田を見下ろす。
身長は変わらないはずなのになぜか上から降ってくるその視線に宮田はとりあえず引きつった笑みを浮かべた。
「それなら警務課でお茶でもしてく? 亮平くんが来るとみんな喜ぶし」
「そう? 美穂さんが淹れてくれるなら行こうかな」
「えっ」
亮平が笑みを浮かべ小さく首を傾げると、美穂の頬がほんのり桜色に染まった。そしてその紅潮を誤魔化すかのように美穂は何度も指先で髪を弄っている。
「あ、あぁぁ!」
突然宮田が大きな声を上げた。
「ど、どうしたの宮田くん」
「ほ、ほらぁ、なんかい、いま会議終わったぽいなぁって」
驚いて肩を跳ね上げた美穂に引きつった笑みを向けながら、宮田はぎこちなく上を指差した。ざわざわとした気配と足音が微かに聞こえる。
「あ、ホントだ。じゃ、じゃぁ亮平くんまた今度寄ってね」
美穂はどこか慌てたようにそう言って笑みを浮かべると、足早に階段を下りていく。
「うん、またね美穂さん」
「ま、またね!」
亮平の声にほんの少し振り返った美穂は、亮平と目が合うと顔を真っ赤にしながら走り去ってしまった。
「可愛〜い」
ひらひらと手を振って小さな後ろ姿を見送ると、亮平はにやりと口の端を持ち上げた。そして横から感じる視線に肩をすくめる。
「捜査会議外されてんの?」
「うっ」
傷心の宮田に追い討ちをかけるような言葉が突き刺さる。
「ふぅん」
うな垂れる宮田を一瞥し亮平は考えるように指先を口元へ置く。
「ふぅんってなに?」
「なんだろうなぁ」
恐る恐る宮田が問いかけてみれば、再びにやりと口の端を上げて亮平は含み笑いをした。
「宮田、資料整理は終わったか」
不意に頭上から聞こえた声に宮田と亮平はその先を見上げた。
「コヅさん、来ちゃった」
大あくびを噛み締めながら、のそりのそりと階段を下りてきた小塚の歩みが不意にその動きを止めた。そしてにこやかな笑みを浮かべ片手を上げた亮平に驚きを示し目を見開いた。
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