第一章
05
「解決したら、か」
よろよろと覇気のない、おぼつかない足取りで歩く和美の後ろ姿を窓辺から見下ろし、亮平は大きくため息をついた。
「失踪ねぇ」
ぽつりぽつりと言葉を反芻するように呟きながら、亮平は手にした煙草を咥えて火を点す。細く吐き出され立ち昇った紫煙は一瞬にして宙に広がり、視界を曇らせる。
僅かに目を細め、再びブラインドの先へ視線を向ければ、和美の姿は既にそこにはなかった。
「全く良い予感がしねぇなぁ」
煙草を再び口に咥え煙を燻らすと、亮平はデスクに腰掛けそこに散らばる紙を一枚拾い上げた。
「原因がわからないのはなんともいい難いが、ただの家出じゃないんだろうな恐らく」
和美が入院をしていたその間になにがあったのか。
家出なのか、もしくはなにかに巻き込まれた事件なのか。
ただぼんやりと事柄を追うだけでは何も見えてこない。だがもし本当に金沢雪奈と関係があるならば間違いなく事件だ。
「六月に入院して退院は今月、七月初め。一ヵ月の入院。行方が分からなくなったのは……先月の半ばか。半月の空白。それまでは毎日のように顔を見せていた娘が突然見舞いに来なくなって、気にならないもんかねぇ」
和美の話からまとめた調書は些か穴だらけだ。しかし気が動転していて、記憶があやふやになっている和美の雰囲気は見て取れた。
「これって結局、母親身辺も調べないと駄目かよ」
面倒くさそうに髪を掻き回し、亮平はため息と共に煙を吐き出す。そして短くなった煙草の先を灰皿で押し潰すと徐に携帯電話を取り出しメールを送信した。
「あぁ、畜生なんか頭痛ぇ」
送信完了の文字を確認し亮平は携帯電話を机上に放り出す。そして微かに違和感を覚える額を押さえて目を細めた。
「……あんまり雰囲気は似てないけど、母親も若い頃はこんな感じか?」
紙面にクリップ留めしていた写真を見つめ、ほんの少し首を傾げながら亮平は口の端を持ち上げた。
写真に写る立川伸子は黒髪を胸元まで真っ直ぐに伸ばし、どこか澄ました表情を浮かべていた。常に視線を俯かせていた母親とは違い、芯の強そうな瞳はこちらをじっと見つめている。愛想のある雰囲気ではないが、スッと綺麗に通った鼻筋や形の良い唇は彼女の品の良さを感じさせた。
「写真通りのお嬢さんなら好みだけど。写真って結構嘘つきなんだよなぁ……っと」
小さく唸り亮平が顔をしかめていると、着信した携帯電話の振動が机に反響し低い音を立てた。
「はいはい、俺」
開いた画面を一瞬見やり、亮平は電話の着信に応える。しかし携帯電話を耳に当てるがその向こうから返答はなく、後ろでざわざわとした人の気配だけが感じられた。
「…………」
「コヅさん、無言電話なら切るけど」
亮平が無言の相手に眉をひそめると一瞬だけ小さくため息が洩れ聞こえる。
「お前なぁ、昨日といい……名を名乗れ。今度オレオレなんて言ったらこっちこそ電話切るぞ」
「あぁ? コヅさんの第一声、誰だ、よりマシだよ。誰からかかってきたかくらい出る前に確認するだろ普通」
ため息混じりの声に亮平が不機嫌そうに口を曲げると、その気配を察したのか再び今度は盛大なため息が聞こえた。
「人に物を聞いておいてその言い草はなんだ。オレはいま忙しいんだよ」
「ふぅん、忙しいのに反応早くて助かるよ。さすがコヅさんだね。失踪した女の子が立て続けに殺されてる事件やっぱコヅさん担当? 奇遇だよな、俺もいま気になることあるんだけど。車回してよ俺と話ししない?」
突然矢継ぎ早に話し出した亮平に電話の向こう側が一瞬息を飲む。その微かな気配の変化に亮平の口の端が持ち上がった。
「人を足に使うな! っつうか、またお前は人のヤマに首突っ込む気か」
「俺は好意で言ってんだけど。ねぇ小塚さん」
「やめろお前がまともにオレの名前を呼んで良いことあった試しがねぇ」
僅かに焦ったような声を上げ途端にボリュームを落とした小塚の様子に、亮平は肩をすくめ小さく笑った。そして不意に電話の向こうが静まり小塚が場所を変えたのが分かる。その気配に亮平は笑みを浮かべて、デスクの引き出しから煙草を掴むと足早に玄関へと向かった。
「署まで迎えに行こうか?」
「来なくていい! お前が来ると女どもが煩くて仕事にならねぇんだよ」
間髪入れずに亮平の言葉を一蹴すると小塚は小さく舌打ちをする。
「あぁ、そういやお姉さんたちに最近会ってなかったな」
玄関扉の鍵を回しながら、亮平はふと思い出したように首を傾げる。
「会わなくて良い! 出会い頭に口説いて歩きやがってこの女たらしが」
「はぁ? 挨拶してるだけだろ、失礼な」
「だったら愛想振りまくな。お前は無駄に顔が良いから性質が悪い」
亮平が鉄階段を軽やかに下りる音が辺りに響くと、それに比例するように電話の向こう側にいる小塚の足音も早まる。
その気配に堪えていた笑いが思わず亮平の喉元から零れた。
「とにかく亮平、お前は来なくていい! いつものトコで待ってろ」
そう慌ただしく告げられ有無も言わせぬ勢いで通話は一方的に切られた。耳元でツーツーと鳴る電子音に亮平は肩を震わせる。
「せっかちだな」
小さな画面を見下ろし亮平は楽しげに目を細めた。
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