新しい黒猫いりませんか?
6

 学校を背に右手へ、道を二本過ぎたら左へ、言われたことを反芻しながら道を辿り辺りを見回す。けれどそこに昭太郎くんの姿はない。まだ近くにいるかもしれないと電話を鳴らしてみれば、近くで甲高い電子音が聞こえる。

 隈なく見渡しながら進むと道の先に音を響かせる携帯電話があった。走り寄ってそれに手を伸ばしたら、その傍に点々と赤いものが散っている。ペンキ? などと現実逃避したくなるが、ぶんぶんと顔を振ってその考えを吹き飛ばす。
 一気に嫌な予感が湧き上がってパニックを起こしそうになるが、泣き言を言うのは彼を見つけてからだと、とっさにポツポツと続くその赤いものを追いかけた。

「なんかやけにぐるぐるしてるな」

 所々点々とするそれは、色んな細い道をぐねぐねと蛇行している。まっすぐ行けば大きな通りに出るのに、いつまで経っても小道を抜けない。進むほどに途切れていくそれを見失いそうになる。

「あっ、えっ、嘘! 雨!」

 どんどんと見えにくくなってきたそれに追い打ちをかけるように、ぽつりと地面に水滴が落ちた。ぽつぽつと道を濡らし始めた雨粒に、僕は地面に目をこらして足を速める。けれどそれ以上に雨脚のほうが速い。

 夏の雨は突然だ。青空だった空にはあっという間に積乱雲が垂れ込めてきた。慌てふためく僕が最後にたどり着いたのは川沿いの道だった。左右を見回し場所を確認すると、いつも渡っている石橋から学校へ向かって左手に二百メートルくらい離れた場所だろうか。目印の黄色い旗がはためくポールが見えた。

「ここからどっちに行ったんだろう。そもそも、追いかけているものが見当違いだったら」

 焦りや不安で考えがまとまらなくなってくる。それでもなにかないかと頭の中で色んなものが駆け巡った。普段、昭太郎くんが目にしているものはなんだろう。そう考えながらその場で苛立ちを紛らわすようにつま先を揺らす。

「んー、でもいつも昭太郎くんが気にするものって、……あ、猫さん、猫さんあっちがお家だよ?」

 ふいにいつだったかあの子が指さした。お母さんとお買い物に行った時に三毛猫を見かけた、橋の下に住んでる、と言っていなかっただろうか。右、左、どっちだ?
 あれは朝、それとも帰り道? 必死で記憶を掘り起こそうとする僕の足はウロウロとその場で円を描く。そうして五分くらいは過ぎただろうか、僕の脳裏にその時の場面がふわっと浮かんできた。

「学校に行く途中、左! 左の先の石橋だ!」

 それを思い出すといまいる場所とその先、ピースがはまった気がする。いつもの橋を背に僕は数百メートル先の石橋に向かって走った。そしてザーザーと音を立てて降り出した雨に追い立てられるような気分になりながら、あの子の名前を呼んだ。

「昭太郎くん! 昭太郎くん!」

 小さい子が河原に下りられる場所があるのか、ガードレール越しに確認しながら進む。しかし橋までたどり着いてもそれが見当たらない。いつも通る橋より少し幅の狭い石橋。それを渡り、もうしばらく進むとふいに雨音に混じり子供の泣くような声が聞こえた。
 進む足を止めて振り返り、僕はガードレールから身を乗り出して河原を覗く。

「昭太郎くん! いるの? いたら返事して!」

「……みったん! みったん!」

 雨の音に負けてしまいそうなか細い声だが、確かに自分を呼ぶ声だ。下りる場所を探すのがもどかしくなった僕はガードレールを乗り越えた。上部は草が生えていたが下のほうはアスファルトで、段差に引っかかった僕はつんのめるように落ちてしまう。
 じゃりっと小石がこすれる音がして頬と手のひらが熱を帯びる。河原が土砂利で助かった。

「みっ……たん、みったぁぁーん!」

 痛みに顔をしかめながら身体を起こすと、さっきよりはっきりと昭太郎くんの声が聞こえる。橋の下へ足を進めれば、違法放置されたガラクタの傍で彼はわんわんと大声を上げて泣いていた。

「昭太郎くん、大丈夫?」

 傍まで行って頭を撫でてあげれば涙いっぱいの目で見上げてくる。なにかを抱えている彼の手元を見れば、小さな身体であの三毛猫を抱きしめていた。込み上がってくる涙が止まらないのか、えぐえぐと声にならない声を発しながら昭太郎くんは僕の手を握りしめる。

「……ね、こさんっ、猫さん、怪我してるの、痛い痛いって」

「怪我しちゃったの?」

「ボスに意地悪されたの、猫さん痛いって言ってるのにっ」

「そっか、昭太郎くん、守ってあげたんだね」

 腕の中の三毛猫は顔も手足も傷だらけで、血で汚れた身体を震わせてか細い鳴き声を上げた。その声に抱きしめている彼はまた涙をボロボロこぼして泣き始める。見かけた三毛猫を追いかけていたらボス猫に絡まれたようだ。
 縄張りによその猫がやって来て苛立ったのだろう。苦手なボス猫を相手に頑張って、一人でずっと不安だったに違いない。泣き止むまで僕は大丈夫と何度も繰り返して、小さな二つのぬくもりを両手で抱きしめた。

「あ、あれ? 僕、携帯どこにやったんだろ?」

 しばらくして落ち着いたのを見計らってから有希さんに連絡を取ろうとしたが、ポケットを探っても辺りを見回しても携帯電話が見つからない。ポケットに入れていたはずのものがない。それどころか勢い込んで飛び降りてしまったから、昭太郎くんのものまで行方不明だ。

 もしかして川に? その状況にさーっと血の気が下がり顔が青くなった気がする。けれどそんなことなど気づくはずがない昭太郎くんは立ち上がろうとした僕のシャツの裾をわしっと掴んだ。踏み出す足を引き止められた僕が振り返ると、どこからか猫の小さな鳴き声が聞こえてくる。

 一匹? 二匹? いやもっと?


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