新しい黒猫いりませんか?
3

 商店街を抜けて踏切を越えて、橋を渡ったもう少し先に小学校がある。まっすぐ向かえば子供の足で十五分。けれど毎朝そこまでの道のりは冒険のようだ。少し幼さがある昭太郎くんは目に留まったものに気をそらすことが多い。
 道で列をなしている蟻に足を止めてみたり、電車が通り過ぎるまでじっと見つめたり、空の雲の形に足を止めてみたり、学校に着くまで実質三十分くらいはかかる。しかしそれはお母さんからも聞かされていたので、時間は織り込み済みだ。

「みったん、あおさん、元気?」

「ん? ああ、紺野さんはたぶん、元気、かな?」

「先生、頑張ってるの?」

「うん、今日も頑張ってるよ」

 以前、群青先生と大人の人たちが呼ぶのを聞いて、それを真似ようとした昭太郎くんだったけれど、ちょっと舌っ足らずな彼はうまく発音ができなかった。しかしそれに気づいた紺野さんが、群青は青色だと言ってしょんぼりとするこの子の頭を優しく撫でた。それから昭太郎くんはあの人のことをあおさんと呼ぶようになった。

 人付き合いなんて全然しなさそうなのに、素っ気ないくらいの紺野さんの周りには人が集まる。外を歩けば先生先生――と声をかけられるのが常だ。下手をするとしばらく部屋に篭もって出てこないこともあるが、いまは夏なので毎日とはいかないが週に何度か夜に銭湯に出掛けている。

 そこでもどうやら近所付き合いをしているようだ。とは言ってもあの人は聞いているのか聞いていないのかわからないくらいなのだが、それでもみんな口を揃えて最近の彼は喜怒哀楽がはっきりしてきたと言う。

 何度それを聞いても僕は首を傾げるしかできないのだが、表には見えない彼の優しさをほかの人たちもきっと感じているのだろうと思うことにしている。そしてそれと共に僕が傍にいることを喜んでいるかのような話を聞くたびに、テンションがうなぎ登りになった。

「みったん、いた!」

 ふいに手がぐっと引っ張られて足を止めると、昭太郎くんは道の向かい側を指さしている。ここ最近の彼のお気に入りは美人な三毛猫さんだ。二週間前くらいから見かけるようになった。顔の部分が黒と茶色のはちわれで手足もお腹も白い。背中が三色でお尻の近くにハートに似た形の模様がある。

 いままで見たことのない猫なので、きっとどこかの町から引っ越してきたのだろう。いつも僕たちの登校時間に見かけることが多い。昭太郎くんの声に立ち止まった猫は黄色い旗がはためくポールの傍でこちらを振り返り、彼としばし無言の会話をする。
 そこまでがいつもの光景。しばらくするとまた猫はスタスタと歩いて行ってしまう。その姿が見えなくなるまでじっと見つめて、昭太郎くんはようやくまた歩みを再開させた。けれど少し歩いた先でまた足を止めてしまう。

「んー」

 川に架けられた石橋を渡った道の先に、今度は茶トラの大きな猫がちょっとふてぶてしい顔でこちらを見ている。その射るような視線に昭太郎くんはきゅっと唇を噛む。

「ボスは意地悪さんだから、あっち行こ」

 わりと犬猫とすぐ仲良くなる彼だけれど、この猫とは相性が悪い。前に一度、シャーッと威嚇された挙げ句に、飛びかからんばかりに追いかけられ泣かされてしまったことがある。
 この橋を越えた一帯が縄張りなのか、登下校で出くわす確率が高い。そのためこの猫を見ると少しばかり遠回りをすることになるのだ。今日は一本道を変えてその道路脇の住宅で柴犬と挨拶をしてから学校にたどり着いた。

「おはようございます!」

「はい、昭太郎くんおはようございます」

 校門につくとそこには年配の先生が立っていて、登校してくる児童たちに声がけをしている。今日も元気に挨拶をした昭太郎くんに目を細めて、その先生は優しく返事をしてくれた。そして僕にも柔らかい視線を向けてくれて、それに応えるように小さく頭を下げる。

「みったん、ばいばい!」

「学校楽しんできてね」

「うん!」

 ぶんぶんと手を振った彼は友達の背中を見つけてまっすぐに駆けていった。玄関口に入り姿が見えなくなるところまで見送ると、もう一度先生に会釈をして僕は来た道を引き返す。
 ズボンのポケットに入れている折りたたみの携帯電話を取り出して時刻を確認すれば、大体二十分ちょっとくらい。今日はまだまだ許容範囲だ。帰った頃には市場へ仕入れに出ていた吉吾さんが帰ってきているはず。

「あれ?」

 足早に歩いていると橋の向こうに行きに会った三毛猫さんがいる。少しウロウロとしていたが、僕が見ていることに気づくとさっと脇道に走り込んで行ってしまった。昭太郎くんとは視線で会話を交わすのに、僕とは目を合わせてくれたことがほとんどない。

 なんとなく寂しい気持ちになるのだけれど、きっと幼いあの子の純粋さが動物と心を通わせるのだろう。僕もそんなに大人というわけではないと思うのだが、純粋さがあるかというと悩ましい。
 いつあの人の布団に忍び込んでやろうかと思ってしまうくらいには邪だ。そういやキスも最近は全然してない、と思い出してやっぱり締め切りが明けたらデートがしたいなと思った。

「隣町の海まで四十分くらい、だったっけ? んー、それが無理ならちょっと夏っぽいこと。……花火とか? うん、いいね。それならアパートの庭でもできそう。紺野さん出不精だからな」

 一人で夏の計画を立ててぐふふと笑いを噛みしめると、よーしと気合いを入れて僕は帰り道を駆け出した。計画倒れ? そんなものは気にしないのだ。だってあの人ととの思い出がいっぱい欲しいからね。


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