▼ 君は夏の中
「エース、海に行きたい」
蒸し暑い空の下、アイスコーヒーを飲みながらナマエは言った。
ずっと、ずっと昔から側にいる幼馴染。
サボともルフィとも、よく四人で遊んだ。
彼女に対する気持ちが友情とは違うことに気付いたのはいつだったか、もう覚えていない。
「いいけどよ....あいつらは?」
「うーん、できれば2人で行きたいな」
その言葉に 暑かった体が更に熱を帯びた。
今思えばいつも誰かしらいて 2人きりで出かけたことは無かったかもしれない。
八月の終わり、もうすぐ夏休みが終わる頃、
おれたちは海へ行くことになった。
海に入るわけでもない、ただ海を見に行くだけ。
それだけでもおれは約束の前の晩はうまく眠ることが出来なかった。
「おまたせ、エース」
待ち合わせの改札口、現れたナマエは淡いブルーのワンピースを着ていた。
いつも制服か部屋着、たまに私服姿を見るときもジーンズばかりだったからその姿に気の利いた褒め言葉も言えないまま思わず目を逸らしてしまった。
あまりにも、綺麗だったから。
「あんまり人がいないのね」
「まあ、もうシーズン的に遅ェからな...」
「んー、海の香りだ」
特に何をするわけでもなく、
砂浜を歩き、海の家で少し休んで、ぽつぽつ会話をしながら時間は過ぎていった。
空が茜色に染まって来る頃にはすっかり人も少なくなってきた。
いるのはおれ達と、犬の散歩をしてるおっさんと、カップルが数組。
おれ達は瓶のコーラを片手に砂浜に座り込んで落ちて行く夕日を眺めていた。
海が赤く染まり、太陽が水平線に沈んでいく様は夏の終わりを表しているようだった。
「この夏が学生最後の夏なんだね...」
「...そうだな」
「あっという間だったなぁ..」
「....」
体育座りをしながら海の眺めるナマエを盗み見る。栗色の髪は潮風に揺れ、ワンピースの裾がひらひらと揺れる。
太陽と同じ色に染まった瞳はどこか悲しそうで。
「私、エースのこと好きだったよ」
「、な」
「ルフィも、サボも。皆好きだった」
「...なんで過去形なんだよ」
どうせ夏休み明けに会うだろう、
それよりも思わず勘違いしてしまった自分を恥じる。
もしそうだったら、おれは何て言っていただろう。
おれもずっと好きだった、なんて歯の浮くような台詞を言っていたのだろうか。
「....これからも、ずっと大好き」
おれの手に自分の手を重ね、そう言って笑った。
照れ臭くて返事はしなかったが、ナマエは、おれの知ってるナマエの中で一番綺麗な笑顔をしていた。
触れた箇所が熱を持つ。
心臓の音が煩い。
顔の赤さは夕陽で隠せていればいい、なんて思いながら。まだぬるい、夏風に揺れるその髪をずっと見ていたいと思った。
卒業したら、言おう。
ずっと伝えたかった想いを。心に決めて、俺たちの夏は終わった。
そしてその日が、ナマエと会う最後の日になった。
夏休み明け、学校に行けばナマエは転校したと知らされた。突然の知らせで頭がついていかなかった。
サボもルフィも、誰も話を聞いていないらしく、そんなわけないと家に行ったら既に家は抜け殻になっていた。連絡もつかない。行方もわからない。
そしてどうすることもできず、ナマエのいない半年が終わり、おれ達は卒業した。
その間何度も送ったメッセージも既読がつくことはなかった。
あの日、ナマエはきっとおれに別れを言おうとしていたんだと思う。
そして、きっと、勘違いでなければ
おれ達はずっと同じ気持ちだったはずだ。
帰りの電車で窓の外を眺めるナマエが今にも泣きそうに見えたのはきっと気のせいじゃなかった。
夕陽の中ワンピースを揺らして歩くナマエの後ろ姿はどこか消えてしまいそうに儚かった。
さよならのかわりの、手の温もり。
おれは今でもあの感触を忘れることが出来ずにいる。
もうすぐ夏が来る。
ナマエがいない初めての夏。
八月の終わりには海へ行こう。
あの夏に戻るように。
砂浜に埋もれたコーラの瓶、
少しだけヒールのあるサンダル、
夕陽に踊る淡いブルーのワンピース。
君は夏の中あの日の手の温もりが、今でもまだ残ってる.
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