小野の篠原しのぶれど 「枕詞?」 「うん」 「俳句とかの、あれ?」 「うん」 頷きながら目の前の友人は暗記カードをバラして机に広げた。その一枚をつまみ上げ自分に見せる。『白妙の』。続くのは、衣やら雲やらだったか。無造作に置かれた白いカードはあっちを向いたりこっちを向いたりしているのに綺麗に全て裏面だった。 しかし、その枕詞がなんだと言うのだろうか。友人は手にしたカードを伏せて置き、少しかき混ぜた。そういえば、彼は百人一首が得意であったし、古文が大好きであった。記憶力の良い彼のことだ、恐らく机の上のカードにある枕詞は全て覚えているのだろう。その自慢だろうか。いや、この友人はそのようなことはしない。彼は驕らない性格だ。 昼休みの教室は他クラスからも人が行き来しざわついている。けれども、彼の声はしっかりと耳を叩いた。 「このカードはただの例えだけどさぁ」 「うん」 「枕詞がバンバン使われていた頃のそれは、連想ゲームに近い感覚なんじゃないかなあ」 「……つまり?」 「林檎、といったら、赤い・甘い・丸い・ジュース……人によって色んなものがでてくる。けれどそれも、ある意味一種の現代枕詞なんじゃないかって話。ほら、物語の登場人物の名セリフを言ったら頭に登場人物が思い浮かぶように」 「難しいなぁ」 「そういえば君は生粋の理系だったね」 くす、小さく笑う友人はけれども嫌味を感じず、自分まで微笑んでいた。そう、彼の話はたまに難しい。それは自分が馬鹿だからか理系だからか、などと言うのはただの甘えであるだろうか。 「百人一首は覚えているのでも好きなのがひとつあるぐらいだ」 「へえ」 「わたの原、八十島かけてってやつだね」 「ああ、篁か。彼は朝廷の役人の中でも特に秀でていたらしい」 「自分とは真反対だ」 「はは、違いない」 話しながら手早くカードを仕舞う彼は、結局何の話がしたかったのだろうか。それもわからないまま彼はマイペースに話を進めていく。 昼休みも残りが少なくなっていた。次の時間は化学だっただろうか。友人とは受けている時間割が違うので確かめることはできない。ただ、彼の次の時間が世界史ということは分かっていた。机の上には教科書が我が物顔で鎮座しているからだ。ここは友人の席であった。 「そうだ、君に贈るに相応しい歌がある」 「なんだい?」 「篁と同じ参議の歌さ。生きた時代は少し違うけれど」 「ふむ」 「浅茅生の……いや、全て詠む必要は無いね。これは三次決まりだから」 「それは酷いんじゃないか? こちらは百人一首の知識など無いに等しいのに」 「調べれば一発だ。ぜひ自分で確認してくればいいさ。もしかすると本歌の方が出てくるかもしれないが、それでも僕は構わない」 予鈴がなったのと、友人が悪戯げに笑ったのは同時だった。 ╋╋╋ わたの原 八十島かけて こぎいでぬと 人には告げよ あまの釣り船 参議篁(小野篁) 浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき 参議等(源等) 2012.10.01 |