20

 
目を覚ませば外は明るくなっていた。寝た時は暗かったからもう朝、なんだろう。視界の端でなにか鮮やかなものが動いている。なにも考えずに頭を動かすと、ぐわんと痛みが響くように広がった。1日寝こけたのに治ってないのか。

悩みすぎだと思っていたのは知恵熱でも何でもないただの風邪だった。昨日は本当に気だるくて、何もする気が起きなくて、トイレに行ったまま開けっぱなしになっているドアからノーザンが入ってこようが私は何もしないでいた。くしゃみも鼻水も風邪で元々ひどいから今更気にならない。

人のリアル充実っぷりを盗み見た罰だろうか。暑くて布団を退けると、鮮やかなそれがぱっと視界の真ん中に入ってくる。


「よ。食えるか、飯」


晴矢だった。何だ晴矢か。その感情があからさまに顔に出たようで、私を見た晴矢は不満そうに目を細める。喉の腫れは軽くなっていてしゃべれそうなのだが、熱のせいですべて億劫だった。
晴矢の燃えるような赤い髪がやたらと目につく。赤は今嫌いだ。誰が悪い訳でもない、言ってしまえば私が勝手に嫌っているだけなのだが見慣れたそれが今は気にいらなくて、少なくなった体力を使って寝返りをうつ。赤は見えなくなった。変に安心した自分がいやになる。目をつぶると、動いた時のだるさの余韻がやたら身にしみた。


「いい加減何か食わないと治るもんも治んねえぜ。持ってくるからな、粥」

「…んー」


口を開きたくない。唸る。晴矢はそれでも満足したようで、私の額に貼りつけられたぬるい冷えピタを確認するように触ると、「よし」と頭を痛まない程度に撫でた。犬扱いみたいで非常に気に入らない。でも振り払う元気はない。晴矢はされるがままの私が少し面白いようだった。むかつく事この上ない。
ただ、その手の動きはなまえに似ていてつらかった。唸ると手を離す。しばらくして晴矢は加湿器をいじってから「粥作るかんなー」と出ていった。

あいつは、来てくれないのかな。また布団に埋まって晴矢が階段を降りていく音を聞く。どすどす。…うるさい。なまえはこんなぶっきらぼうな音じゃない。とんとんと、軽すぎはしないけど小さな音。痛む頭にも全然響かないような。

朝ずっと毛布に甘えている理由は、布団から出たくないのともうひとつある。なまえが起こしに来てくれるから。たまに他の奴らだったりするけど、今日はなまえかなって柄にもなく楽しんでいる自分がいる。あの軽い足音とともに私の名前が呼ばれると、私はやっと起きた気分になるのだ。他の奴らだともう一回寝る。


「…なまえ」


あの雨の日より一層声はかすれていた。固有名詞が湿気の中に混ざって薄れる。きっとヒロトのものになってしまった大切な家族は、本当に私の前から薄れて消えてしまいそうで、でも捕まえる術は分からない。

こぼれかけの熱いのが眦にたまって視界が不快感を訴える。散々私を撫でてくれた手を、私は甘えるばかりで決して掴みはしなかった。抱きしめて、甘えて、でも離す。かならず返ってくるから安心していたのかもしれない。


「おいで、なまえ」


あの日のように呼んだとして、彼女はきっと来てくれないだろう。突然母さんの顔が浮かんだ。私から目を逸らす時のつらそうな眉間のしわ。
私はそんな表情の母さんを思い出したかったんじゃない。でもやっとぼんやり出てきた母さんの顔は、どうしてもうれしそうに崩れてはくれなかった。ふいとそっぽを向いて、もう髪しか見えない。いやだ母さん、いないみたいにしないで、私は、私は、これでも必死に涙を溜め込んでいたんだ。きっとこれ以上嫌われたくなくて。悲しいなにかを与えたくなくて。

気持ち悪いくらいに今私は彼女を掴みたくて仕方がない。嫌われたくなくて出来なかったのだということを、私は知った。







「ほらあ、何も食べないからだよ」


体温計を手にしたリュウジの困ったような声にそっぽを向いた。口ぶりから察するに下がらなかったか、更に上がってしまったかだろう。空気の入れ換えに開けられた窓からつめたい風が入って、暑すぎるくらいの体温なのに身体がぶるりと揺れる。あの後そのまま寝てしまったらしい。
目尻はすっかり乾いて、晴矢が張り替えてくれたのか額にある冷えピタはちゃんと仕事をしていた。まだあるけど食べる?聞かれたのでやっぱりなにも言わずに頷く。

「夕立来るかも。お粥食べたらすぐ寝ちゃった方がいいよ、うるさいと思う」カーテンを閉めながらリュウジがそんなことを言うのを私はぼんやりした頭で聞いた。今日も雨か。自業自得だがなんだか忌々しい。

なまえはきっと怒っているだろう。ちゃんと湯槽に浸からなかったんでしょ、眉を吊り上げて静かに声を震わせて、でも氷袋をくれる手は優しい。だから私はなまえを、
そこまで考えて潤んだ。いやだ、女々しい、こんなの私じゃない。病の時は心が弱ると聞く。だから涙なんか出るんだ。でも、もし彼女がもう私のことなんて構ってくれないとしたら。完全にヒロトのものなのだとしたら。ああ気持ち悪い私。ぐっと目を擦ると、いいタイミングでリュウジが覗き込んできた。


「なまえも心配してるよ。じゃあお粥あっためてくるね」


…なんで、私に言うの。浮かされた神経が働かなくてうまく睨めなかった。悶々と寝返りを打つ脳内は何日も前から変わっていない。いい加減解決に近づいてもいいような気がするんだけど、実際悩んでいるだけでなまえとはなにも対話していないものだから進む訳がなかった。せめて確認くらい取りなよ、あほくさい。

冷を求めて布団から出した手になにかが触れた。思わず引っ込めてから猫だと気付く。リュウジがドアを閉め損ねたようだ。薄く目を開けば、ノーザンは鳴きもせずにじっと私を見つめていた。とりあえず皆のまねをして撫でてみると私とよく似た青の双眸が細まる。なまえもよく撫でてる。間接撫で、なんてね。意味不明だ。

手を戻して目を閉じると、くしゃみがひとつ出た。ノーザンが動く気配がして耳を澄ますと、どうやらカーテンを登り始めてしまったらしい。でも今の私にそれを止める体力はあっても気力はなかったので放置した。落ちても怪我はしないだろうし。何だかんだでカーテンよりも猫を心配している辺り、私にも彼への愛着は一応あるのだろう。それよりも眠い、あれだけ寝たのに。ゆるり、目を閉じた。ベランダに続く窓から吹く風は相変わらず冷たい。

窓から、風。


「…待てノーザン、」


久しく動いていなかった関節が悲鳴を上げる感覚がする。やばい、窓、開いてるのに。ぐらつく肘を必死に立ててちかちかくらむ視界で捉えた猫の尻尾はするりとベランダの向こうに消えた。

私のせいだ。


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