先輩達が修学旅行に行かないことを聞いたのは、倉持にとって一回目の夏が終わってすぐのことであった。高校生としての秋ではなく高校球児としての秋を選んだ先輩達は、夏を経てますますバカかっこよく見えた。入学して四ヶ月が経ち、ユニフォームもグローブも身につけない彼らのこともそれなりに知れてきた一年生の倉持だったが、晴れて相棒となることの出来た先輩のことは正直そこまで詳しいわけではなかった。

「修学旅行休むと彼女と溝出来て別れるらしいぞ」
「そういう女とは何したって長続きしないもんでしょ」
「亮介は相変わらず余裕持ってんなあ」
「まあ溝も何もねーもんな」

食堂でどんぶり三杯平らげた後の休憩をしている二年生たちが、そんなことを騒いでいる。その中に混ざる小湊亮介は倉持にとって言わば観察対象であった。プレーに関しては網膜が焼き切れるくらい脳内録画と再生を繰り返しているけれど、思えばプライベート方面ではここまで意識してこなかった。相棒となったからにはそれなりに、いやわりと知っておきたい。倉持は仲間に対して真摯で真面目な男である。

溝も何もねーとは。麦茶を煽りながら首を捻る。亮介はいつも通り飄々としている。いくら相棒とはいえ先輩に不躾に「彼女いるんスか?」なんて聞くことは出来なかった倉持にとって予想外の情報だった。
出来なかったというよりは思い至らなかったと言った方が正しい。あの練習量は女にかまけているような人間のものではない。確かに女子に対して細かい気配りが出来ることは知っている。口を開くまでの雰囲気も柔らかい。が、開いた後はもうなんというか魔王である。ドジを踏んだら女子にだってバカバカ言いそう。プレーの魅力でカバー出来るレベルであるのかどうか疑問なところである。なによりチビだし。女の方がでかいことだってザラにあるだろ。……マジか。彼女いんのか。もう色々と勝ち組じゃねえか。麦茶が空になって手持ち無沙汰になった倉持は、無意識に寄せていた眉間の皺を渋々ほぐした。

溝が出来ないということは、彼女も修学旅行に参加しないということだろうか。野球部の女子マネージャーの誰か。誰だ。相棒なんだから本人にスパッと聞いてしまえば終わるものを、倉持のプライドはそれを許さなかった。




正直言って倉持は、他人に対する観察眼にそれなりの自信を持っていた。毎日共に練習を重ね泥まみれになっている先輩のことも勿論見ていたつもりだった。マネージャーの誰かということは、部活動中に絶対に絡みがあるはずで。恋人同士であることをここまで巧みに感じさせてこなかった亮介に、倉持は色々な面で負けた気分を味わった。

挨拶を交わして通り過ぎたマネージャー一同のほうを振り返る。彼女達はちょうど亮介に頭を下げているところだった。…全員倉持との時よりも嬉しそうな顔をしていた。色々と挫けそうだ。

とか言いつつも本格的に観察を始めた倉持の、半ば妬みのような調査生活は、数日であっさり解決して終了してしまった。授業も補習もない夏休み、部活をサポートするだけのために通ってきてくれているマネージャーのひとりに亮介が「駅まで送っていこうか」と声を掛けたのである。自主練習のクールダウンを、共にこなしていた倉持の真隣で。

声を掛けられたマネージャーは、普通に自分もずっとお世話になってきた二年生のひとりだった。学年の中でも美人であろう藤原先輩と比べてしまうとどうしても平凡に見えるが、年上に感じない優しい物腰で倉持はわりと好きであった。なんと言えばよいのだろう。藤原先輩が高嶺の花であるならば、程よく美しくて手にも届きそうな花屋の売り物、だろうか。

「え! いいの? 去年より早いね?」
「そりゃ一年の時に比べたら少しは余裕出るよ」
「そ、そっかあ……」
「うん、お待たせ。自主練習はちゃんとするから安心して」

涼しい顔をした亮介に対してみょうじは、はたから見ても心臓が飛び出てきてしまうのではないかというくらいの慌てっぷりである。そんなやりとりをぽかんと不躾にガン見しながら、まるで片思いの相手に誘われた漫画のヒロインみてえだなと思った。

でも話の流れからして多分、今まで合意の上で放置状態にあったということだ。亮介は夏大会の間、つまり倉持が入部して亮介と近しい関係になってから今まで、本当に部活中彼女とただの選手マネージャーとして触れ合っていたのではないか。それって、まあ確かに溝以前の問題なのではないか。いくら応援していると言ったってそれは。
大会に向けての過酷な練習を一生懸命サポートしてくれる数少ない女子マネージャーに、知らずに好意を寄せてしまう部員が出ないとも思えない。そしてそいつが女を優先してしまう腑抜けた野郎であれば、寂しさを紛らわしたくなった先輩も不可抗力でこう…。

「倉持、聞いてんの」
「あだっ」

受け慣れ始めた手刀を決められて、倉持は我に返った。いつのまにか立ち上がった亮介が自分に愛用のバットを向けている。「これ部屋持って帰っといて。送るついでに走ってくる」「え、まだ走るんすか」「まあね」自分はまだ身体から気怠い熱が抜け切らない。重たくなった腕を上げてバットを受け取ると、亮介はありがとうと笑ってから制服姿の彼女へ向き直った。

「汗くさいかもだけど」
「当たり前でしょ、球児なんだから」

そう返したみょうじの微笑みが、それはもう本当に柔らかくて幸せそうで、倉持は本日二回目の「なんだ」を心でとなえた。届きやすい花に目を向けてこなかったことに心底安心して、同時に少しだけ残念に思った。この全身に溢れているかのような恋心をもし一直線に自分に向け続けてもらえたら、どれだけ頑張れるものなのだろうかと気になったからである。
汗くさいかも、だと。あんだけシーブリーズばしゃばしゃしておいてよく言う。





倉持が修学旅行に行かないという話をすると、亮介は「まあそうだよね」とやはり涼しい顔で笑った。
生活リズムのずれから同じ時間に寮の施設を使うことはなかなかない。食堂で珍しく顔を付き合わせた先輩は引退前と特に変わりがなくて、倉持は何となく安心していた。観察なんて笑えることをしていた頃から一年が経って、この先輩のことをもう嫌になるほど知っていた。正直部活中の亮さんのことならみょうじ先輩よりも知ってるんじゃねーの、なんて思う。

あの後しばらくは幾度も一緒に帰るところを見たものの、秋大会が始まるとふたりはまた選手とマネージャーになっていた。それが終わると仲睦まじい適度な距離に戻り、また冬合宿…というように、彼らの部活後のいちゃつき周期は目に見やすく決められているようだった。そして引退した今はといえば、毎日駅まで彼女を送るのだという。休日はふたりで勉強して、キャッチボールしちゃったりもするそうだ。

確かにあんな彼女、溝もクソもない。亮介が野球をしているのを間近で見ているだけで、一ヶ月以上のマネージャー業なんて屁でもなくなってしまう様子だった。試合中でも学校がある時はお弁当一緒に食べてるしね、なんて幸せそうなみょうじの笑顔はしばらく脳裏を占めていた。羨ましい。その一言ですべて終わる。

「倉持は溝の出来る彼女いないし、安心して打ち込めるじゃん」
「わざわざ言ってくれなくていいっす」

閉め時の人の少ない食堂で楽しそうに肩を揺らした亮介は、白米の椀を置いてそういえばと倉持を見た。

「お前さ、すんごい女子ばっか見てたことあったよね。ちょうど彼女がどうたらって話が流行ってて、こいつもそろそろ欲しいのかなって思ったよ」
「……? 俺そんなやらしいことしてましたっけ」
「見てた。なまえも言われてみれば確かにーって」
「えっ俺変態じゃないですか」
「いや、野球漬けの限界が来たのかなって心配してた」
「……みょうじ先輩ってほんとイイ人っすね」
「絶対あげないけど」
「いらねーっす、痛っ」

ほしいって言っても殴るくせに! 倉持の恨みがましい目など気にもせず、亮介は話すために中断していた飯を進める。こういうお行儀のよさも女に好まれる要素なのだろうか。俺だって口に入ってる時は喋らないけどな。好き嫌いだってしねーのにな。まあ、亮さんかっこいいもんな。倉持は沢山の理不尽に包まれながら、亮介の皿に残っていたトマトを食べた。










補足・亮介とマネをばれないように観察する敏い倉持と、マネを観察しているのに気付いた倉持よりも敏い亮介の話。「手に届く花」と思われているであろうという感覚は亮介にもあって、余裕持ってるフリしてるくせにやっぱり気になって牽制しちゃう亮介さん。倉持の野球を認め始めているからこそ心配になってしまう亮介さん。野球にもなまえさんにもべたぼれの亮介さん。



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