(大学生)




この時間の駅ホームは、いつも閑散としている。線路の通ったトンネルから冷たい風が流れてきた。わたしの帰路と真逆の方向へ。そんなに脅さなくたってもう帰る気しかないよ。
ヒールに痛む足を眺めて俯いていれば、先程より大きな風が来た。やっと帰路へ通じる風である。運良く空いた席に身体を落ち着けると途端に楽になる足の平。座席に残った香水も気にならないほど今日は疲れていた。まあ、ただの大学生のアルバイトなんだけれども。

イヤホンに塞がれて、外界の音はほぼ入ってこない。ギターの向こうに少しだけ、電子的な低音が響いているのが聞き取れるくらいだ。ただの車掌の声であろうそれが妙に恐ろしく感じた。なにか異界のもののような。なんせつい最近、異世界に現世の魂を運んでしまう電車の本を読んでしまった。目をつぶる。はっきりしない声はまだ続いている。ぼうっとした頭に遠い音ばかりが入り込んできてくる。

電車が止まった。目を開いて確認する気にもならず、そのままおぞましげな声が駅名を読み上げるのを聞く。もし聞いたこともない場所を知らせていたらどうしよう。隣に座っていた太いおじさんが立つ。かわりに細い誰かが座った。もうだめだ、コイツ黄泉からの使者だな。わたしは疲れていた。

「おかえり」

そのひとが、イヤホンの向こうからこちらへ話しかけてきた。耳を支配し始めていた低音を易々とかき消すその声は、高く綺麗な男の声だった。……知っている。開ける体力がなかったはずの目を反射で開くと、至近距離に思ったとおりの彼が座っていた。

「なんでいるの?」
「飲み会で偶然こっち来たんだ。今から電車ーって連絡したのは誰だったかな」
「…やばいわたし今狐に化かされてる」
「はあ? 寝ぼけてる?」

勝手にイヤホンを引っこ抜きながら彼は怪訝な顔をする。鮮明になったくぐもった低音は、もうただの車掌の車内アナウンスだった。

隣駅で時間の計算がしやすかったので、わたしの終業に合わせて帰ってきてくれたらしい。亮介は説明してからわたしの手を握り、「なんでこんな冷えてるの」と戸惑った声を出した。しかしわたしが一生懸命異界トークをすればするほど先程までの呆れ顔に戻っていった。

「それ、小一の時の春市が同じ事言ってた」「え」「車掌さんの声が怖いって。六歳ね」「ほら、第六感あるひとはあるんだよそういうの!」「いや別に異界は感じ取ってないから。あと六歳ね」ひとを勝手に黄泉の使者にした挙句弟にも霊感を与えてしまった。今日ほんとにダメだ。手を繋いだ方へ頭を傾けると、少しだけ煙臭くなっている亮介の肩が応じて支えてくれた。飲み会は焼肉かなにかだったのだろうか。ずるい。

さっきまで非日常を感じるほど崩れていた体調が、亮介の手の暖かさに侵食されて快くなっていく。単純なものである。「亮介あったかい」「一杯飲んだしね」起こしてあげるから寝たら。優しい高い声に色々なものを祓われて、わたしはありがとうと目を瞑った。ふたりの家に繋がる風に揺られていく。万が一これがアパート最寄り駅ではなくて黄泉に続いていたとしても、こいつが使者ならば別に帰る必要性がないなと思った。


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