18:40
インターホンを連続で2回。せっかちな公務員が帰ってきた。鍵を持っているくせに開けるのが遅いと文句を言うので、手が離せない美咲の代わりに走る。

「猿比古おかえりなさぶっ」
「ぎゃあやっぱりてめえクソ猿!! そいつ潰れてんだろーが!!」
「包丁持って歩くなよ」
「誰のせいだよ!」

…離せないはずの美咲にひっぺはがされて洗面所に放り込まれる猿比古は、後始末をして軽くシャワーを浴びていたらこんな時間になったとぼやきながら手を洗った。甘いハンドソープのにおいをさせて戻ってきたそれが朝とは逆にわたしを食卓へひっぱる。
すぐ焼くからまってろな。皿もコップも飲み物も全部用意し終わった食卓で美咲を見つめるだけの時間。猿比古はおとなしく頬杖をついてサラダの大皿を自分から遠ざけると、白米だけ何口かフライングした。

「チーズハンバーグご注文のお客様ー」「はいはーい!」「おまたせいたしゃーした」多分ファミレスをイメージしているんだろうけど、居酒屋にしか感じられない演技でフリーターがわたしたちの前に熱い皿を置いていく。どうせサラダを取り分けてやっても猿比古は素知らぬ顔でハンバーグと白米だけを行き来するので、今日は最初からふた皿だけよそった。ら、なぜか睨まれた。難しい。そんな謎の攻防があることに気付かない美咲がテレビを見ながらソースを机に垂らす。

「ニュース点けてよ」
「あ?タンマツでチェックしてるし」
「ちがくて、今日の事件が取り上げられたら猿比古が映るかも」
「本人そこにいるじゃねーか」
「美咲!」

ため息と一緒に放たれた赤外線でチャンネルが切り替わった。猿比古本人は白米と肉を交互に詰め込むためにずっと俯いている。特に興味もないらしい。カメラと液晶を通した彼を見てみたかったのに、結局何コーナー待ってもお目当ての事件が話に出て来ないままチャンネルは戻された。「ストレインの話がそんなおおっぴらになるわけねーだろ」最初からそう言ってくれればいいのに。ひとつ年上の猿比古の声は大人だ。



20:00
美咲のゲーム機から流れてくる射撃音と、隣で軽快に奏でられる猿比古のタイピング音はうるさいようで意外と合わさって耳に馴染む。慣れているだけなのかもしれない。「…しりとり! り!」「あ? りんご」「ごはん」「猿比古つまんなっ」再び鳴り出す彼らの音を聞きながらわたしは課題。毎日のこと。

国語系の勉強をするときは音楽を聞いたほうがはかどって好きなんだけどなあ。小学生のような漢字練習を前に息をつく。美咲も猿比古も話しかけた時にわたしが聞こえていないとやたらさびしそうな顔をするのでやめてしまった。別に不満を言われたわけでもないし勉強している人間に話しかけるほうがいけないんだけれど、なんとなく。かわいそうになって。子犬のようで。
猿比古が深いため息をついてノートパソコンとの距離を詰めた。わたしが少し前勝手に貼り付けたサーベルデザインのシールが、まだはじっこでこっそり存在主張している。怒っていたわりには剥がさない。

「猿、コーラ飲む?」
「ん」
「ん!」 

美咲にはまだ聞いてないのに返事が来た。美咲ががぶがぶ飲むものだから、基本わたしたちが存在に気付くころには2Lボトルは随分軽くなっている。買ってきてくれている本人だからとやかく言えないけれど、美咲はお腹が決して強くはないのでそろそろやめさせようと思っていたりする。ちなみに猿比古は胃が弱い。そんな貧弱男が炭酸に眉をしかめながらちらりとこちらを見た。

「なまえ」
「んー?」
「…あいつらと、何話した」
「伏見さんは無傷ですよって」
「俺の話だけ?」
「怒らないであげてね」
「……もう遅いし」

拗ねた声が泡に消える。



22:05
他人の入った風呂を嫌がる猿比古も同居人はさすがに例外にしていてくれるらしく、一番風呂でないと入らないなんてわがままは一度も言われたことがない。同居人だから平気なのではなくて、わたしたちだから同居人なのだということ。三人だけの世界がたしかにこの家にある。

大体一番風呂を美咲がカラスの行水で済ませて、わたしが入って、最後に猿比古が入って蓋を閉めて塩素剤を入れて出てくるのだ……けど、今ほかほかしたままソファに座っている猿比古はとても眠そうなので、今日は忘れているかもしれない。朝同様眠くなるととたんにクズになる19歳。昼間は仕事であまり会うことはなく、必然的にわたしはやる気のないねむねむ王子ばかり知っているのであった。仕方なく確認しに行ってやったら意外としっかり閉まっていて理不尽に腹立たしい。

「美咲ー洗ったパンツ洗濯機に勝手に入れないでって言ってるでしょー」
「おおお大声で言うなアホ!」
「女子かおまえは…」

洗濯機の蓋を鳴らしてからドライヤーと流さないトリートメントを持つ。再びリビングに着けば、ソファの問題児は予想通りがっつり船を漕いでいた。わたしが隣に座って勝手に女物を塗りこみ始めると、気だるそうに目だけでこちらを見る。女くさ。毎日毎日猿比古はそう言う。

「短くしちゃえばいいのに」
「るせえよ、自分の乾かせよ」
「猿のが先でしょ。ほらもーちょっと起きてて」

一度も染まっているのを見たことがない黒髪からは、わたしと同じ匂いがする。女のシャンプーなんてかっこわりー!とかなんとか言って自分専用の物を置いていた美咲も今月は金がないのかエッセンシャル。猿比古は匂いさえ気にならなければ文句は言わないので金銭的に楽である。稼いでるのは猿比古だけれど。ドライヤーに加熱されて髪の香りが今のわたしとおなじものに近付いていく。

「お前さあ、就職…」
「なーに?おっきい声で喋って」
「…就職、」
「あ!なまえアイスくう!?」
「……美咲お前天性の邪魔虫だな」
「なにー?もっとデカイ声で喋れよ」
「………」



23:30

どうせ記憶に残らないようなバラエティばかりだと思って適当に点けた深夜番組が、まさかの大当たりホラーだった。深夜に恐怖映像って頭おかしいんじゃないの。ないわ。両側からへばり付かれた猿比古が固まっているわたしたちを小突いて「悲鳴出ないほどビビるってどーなんだよ」なんて言う。だって。ガチな時間帯にガチ風な映像。ゴールデンタイムにやるゾンビCMとはまたちがう憎たらしさだ。

「八田さん大丈夫? 一人で寝れる?」
「へっ!? ね、寝れるわ! 寝れる、けど、ちょっと用事思い出したから吠舞羅行ってくるわ朝まで帰れねーかもしんねーわ…」
「午前零時の夜道がんばれよ」
「………サルさあ…」
八田さんはおとなしくリビングに布団を敷いた。



23:50

「……布団足りてなくね?」
「美咲が取り過ぎ」
「いや俺半分出てるからな? お前だからな?」
「なまえ、美咲が狭いって。もっとこっち来い」
「お前もう帰れよ部屋!」

結局わたしもひとり部屋に戻れず、美咲の隣に寝床を作ることになった。そうしたらなぜか涼しい顔の猿比古も当然のようにわたしの布団を陣地としてきて、結局いまわたしは二枚の敷き布団の間に半ばはまるように転がっている。せま。なんで猿比古自分の持ってこないの。

「猿比古あしたお休みだよね」
「ん」
「じゃあアラームかけなくていっか…美咲? もっと真ん中おいで?」
「いや、俺暑いから! 大丈夫!」

照れ屋ちゃんモードなのだろうか。タンマツを充電するために壁際に寄っていた猿比古がごろごろ戻ってきて、わたしの体を抱えるように腕を置く。添い寝の鏡のようなポーズである。こめかみあたりに鼻がぶつかってくすぐったい。
「猿は寒いの?」「俺はね。美咲と違って。とっても寒い」「そっか、………………美咲も寒いのね」「お、おう! クソさみー!」すぐそばで猿比古がくつくつ空気を震わせた。全員ポジションを確保したところで暖房を切れば、耳に障らない稼動音が消えて左右の喧騒だけが残る。男兄弟を産んだ母親みたい。

「おやすみ」
「おう」
「ん。おやすみ」

右頬に当たる女の子みたいな唇と、そっと左手を握ってくる男の子の手。両端から支えられて、わたしは今日も生きていた。






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