十束さんがソファに放り捨てていた本を我らが王が拾ったのを見た。尊さんが本を読んでいるのはあまり見たことがない。それに十束さんが読むのといえば大体その時はまっているものの専門書なので彼は興味が無さそうだ。いまは何がいちばん好きなのかな。読むのなら覗こう、そう思ってカウンター席を立ったのに、尊さんはその本を捨て直してたばこに火をつけてしまった。そんな。せめてテーブルに乗せるとか。草薙さんの気苦労は今に知ったことではないけれどやっぱり同情してしまう。一般客がちらほら見えるのでわたしも尊さんもおとなしく、端っこでグラス片手。すぐ横に立ったわたしを見上げて尊さんが眩しそうに目をすがめる。うちの店の照明はそんなに明るくないので眠いのだと思う。

「尊さん、おはようございます」
「……おう」
「十束さんの本なんでした?」
「何歳からでも大丈夫、養鶏入門書」
「養鶏」
「第四巻」
「わりと出てますね」

おら。わたしにその本を渡すと、低く短い声と共に視線を自分の横へ滑らせる。十束さんのがらくたで狭くなったソファにいつのまにか人ひとり分のスペースが空いていた。寄せてくれたらしい。ありがたくお隣に座って意外と重いページを開く。
「これ全六巻ですって」「そうか」「応用編も出てますけど、これだけで鶏飼えるのかなあ」そうか。中身は耳に入っていなそうな返事をしながら尊さんはたばこを擦り消した。すこしだけ残った苦甘い香り。

最近尊さんは、わたしかアンナが来ると時折たばこを消すようになった。それなりに長い付き合いのはずなのにそれをするようになったのは最近のこと。八田くんやらがいくらワンワン駆け寄っても特に何もする様子はないので非喫煙者への対応というわけでもなさそうだ。あの子はキャラのわりにたばこ吸わないっすよ主義のいい子なのだ。なかなかないけれど、たまにわたし以外の女性と関わるときも別に遠慮なく紫煙をくゆらせているのでレディ思いということでもなさそう、アンナは子供への配慮かもしれないけれど私は何なのだろう。

「…八田」
「は!?」
「八田が持ってきた菓子が冷蔵庫にある。……なに大声上げてんだ」
「こ、心読まれたのかとおもって」

顔を向けるわけでもなく視線だけ寄越して、尊さんが鼻を鳴らす。機嫌がいいときも悪い時も鳴るので厄介である。「いやあのいま、ちょうど八田くんのこと考えてて!」弁解が逆に怪しいことに自分でも気付いてはいたけれど、眉間に皺を寄せた王が真横で黙りこんでいればだれだって賢い思考なんて出来ない。カウンターの向こうから草薙さんの視線を感じる助けて。いや営業スマイルで目逸らさないで。ちがうんですよを数える余裕もなく必死に繰り返すと、尊さんは鋭い瞳を下に向けてふっと口元をゆるめた。

「青いもんだな」
「いやだから、浮気とかこう、そんなんじゃないんです!」
「そうか。だろうな」
「だっ、!?」

お前今日声がデカイ。まるで声の調子を変えずに、尊さんはグラスの氷を鳴らした。誰のせいだと思ってんだこの王様は。昼間っからお酒飲みやがって。文句を言おうとしたわたしの肩にのしっと尊さんの腕がかかって、グラスから烏龍茶の匂いが届く。えええかっこよく飲んでるからウイスキーかと思ってたのに。もうなにもかも紛らわしい。引き寄せられる力になにも抵抗せずに身体を倒すと、元々あまりなかったスペースのせいでわたしの頭はすっかり彼の肩に寄りかかってしまった。おら。またぶっきらぼうな声と一緒に烏龍茶を飲まされる。膝の上に乗ったままの養鶏本がずっしり重く、抵抗する気力を失くさせていく。本のせいにする。

「別に落ち着いてますよ!」
「喉が乾いてねーかと思っただけだ」
「っあー尊さんほんといじわる」
「そんなことお前しか言わない」
「…言われてるとしたら尊さん浮気者でしょ」
「……」
「言われてるんですか!?」
「いや?」
「っっざけんなほんと」

文句だけ。口だけしか反抗しない。塞がれてしまえばおわり。灰白くなくなった息が近付いてきてわたしはとっさに目をつぶった。草薙さんに怒られるから一秒だけの短い轡。されたあとは、素直にいじめられて甘やかされることが出来る。全部尊さんのせいにしてしまえる。まだ苦いままのキスを誰にともなく隠すように烏龍茶を奪って飲むと、もてあましたらしい大きな手がきゅうと優しくわたしの肩に沿った。眠いから力がないだけかもしれないけど。

尊さんのたばこの味を嫌いだと特に伝えたことはないし感じたこともないのに、今更どうしたのだろう。でも少し前よりも薄くなったキスの味が好きで仕方がないことを、もしかしたら尊さんは気付いて高くからこっそり笑っているのかもしれない。精一杯見上げた時点ですでに尊さんは真顔に戻っているだろうから、きっと一生わたしにはわからないのだ。呆れ笑いでわたしの隣を見ているむこうの草薙さんだけは、その真実をわかっているような様子で目を細めていた。




「キングにね、副流煙は子供の成長にとってもわるいから、アンナのそばで吸うのは出来るだけ減らそうって話をしたんだ」

案の定眠かったらしく昼寝に行った尊さんと入れ替わるように帰ってきた十束さんは、わたしが聞いたわけでもないのにそう言った。「だから座ってる時にアンナがそばに行くと消すんだよ。立ってる時は届かないからね」がらがら音を立てていかにも鳥の入りそうなゲージを店の端っこに一旦置き、カウンターでこちらを睨んでいる草薙さんからうまく目を逸らしながら続ける。なるほど、彼とわたしたちの身長差はそれなりにある。だから必ずではなくて時折なのか。また尊さんが捨てなおしてしまった本を拾い上げてやった。

「わたしが行っても消すんですよ。だから何の遠慮なのかと思って」
「なまえにも? へえ、キングもかわいいことするんだなあ」
「かわいい?」

ありがとー。わたしから本を受け取って御機嫌に笑った彼は、人をからかったりいたずらするときのような顔でいる。何でそんなに嬉しくて何がかわいいポイントなのかさっぱりわからない。おなじく顔に出ていたらしいわたしに、間延びした声で十束さんが囁く。

「なまえと自分の未来の子供のためかもねえ、それ」

とっさに自分の下腹部を見たわたしに十束さんは爆笑をくれた。


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