バカがうるせえから早く帰ってこい。
與儀の携帯から送られてきたメールなのに、あの低い不機嫌な声が迷う間もなく再生される彼らしい文面だった。絵文字もなにもない、一文だけの簡潔な連絡。携帯の持ち主からのものでは勿論ない。「早くったってなあ」困り顔が写り込む窓にはごうごう音を立てて猛吹雪が吹きつけている。リノルなんて屁でもねーぜ。
久しぶりにひとり貳號艇を降りて任務に就いたらこれだ。送り出す時の心配症な恋人の顔(と弟分の顔)が忘れられないのはわたしも同じなのに。ため息が聞こえたのかどうなのか、今回わたしを連れ出した燭先生からもつられたように疲れた吐息。


「燭センセがわがまま言わずに昨日のうちに帰るって言えばこんなことにならなかったんですよ」

「うるさい」 

「欲張って雄も雌も欲しいなんて言うからこんなことに」

「二度手間になるよりましだろう!」

「私的な研究に付き合ってあげてるのになんですかそのえらっそうな態度!だから平門さんも朔さんも嫌がってわたしに押し付けるんですよ!」


やーい嫌われ者!外からの轟音に負けない声量のわたしの怒りに、悪者研究者は口をひん曲げて拗ねた。
新種のなんたらが必要で捕まえたいらしい、と元々は朔さんが頼まれた要人のお守りを、なんの因果か暇人のわたしが引き受ける羽目になってもう五日。初期予定では今夜はすでに貳號艇のいつものベッドでかわいい彼氏を寝かしつけているはずだったのに。この崩れに崩れた天気が回復するまではこの小型艇では飛び立てないし、回線も砂嵐まみれで使い物にならない。いつもはこんな荒れないらしいんですけどねえ。研究員のひとりが言う。

こんなに長くおうちと、というか與儀とさよならするのは相当久しぶりのことである。花礫くんが文句を言っている通り今頃めそめそぐずぐずしていることだろう。同じくいい年したわたしだってこの環境ではホームシックだ。ステージに立ちたいなあ。ニャンペローナの隣で子どもに触れ合いたい。无ちゃんすりすりしたい。


「无ちゃんに会いたい…」

「……いきなりどうした」


願いすぎて声に出た。変人にどん引きされた。
聞いたこともない国のド田舎の山中で豪雪に煽られ、艇は時折ガタガタと振動した。付き添い研究員たちは不安げではありながらもそこまで応えている様子は見せず、無事捕獲したなんたらかんたらの世話に明け暮れている。毎年こんな危険な目に合いながらこのひとの下で研究しているのだろうか。まあ彼らは好きでやっているのかもしれないけれどわたしは完全に専門外でとばっちりだ。


「无ちゃんにおやつあげすぎてないといいけどなあ…」

「あいつのことばかりだな。セットのような恋人はどうした?」

「あんたのせいでセットになれなくて今頃べっこりですよどうしてくれるんです……あ、え、携帯の電波消えた!」

「むしろ今まで届いていたのが奇跡な場所だからな」


砂嵐が掻き消えて静かになった艇内。返信できなくなってしまった花礫くんからのメールは先程と変わらず簡潔で、切実である。







「燭せんせいのばかあああ!」

「なまえちゃ、おかえりいい」


何故か大泣きしている无ちゃんを降ろし、入れ替わりにわたしを抱え込んだ與儀は、珍しく真正面から苦手なはずの燭先生を怒鳴りつけた。瞳は潤んでいるけれど、てっきりギャン泣きしてひたすらめそめそするのだろうと思っていたわたしも燭先生も呆気に取られて思わず「ご、ごめんね」「悪い」なんて素直にレアな謝罪を漏らす。


「最高五日で帰ってくるって約束したじゃないですか!今日で十日目!いきなり通信も繋がらなくなるし、俺ほんとに、心配して」

「與儀、ごめんね」

「勝手に予定引き伸ばしたのは燭先生でしょっ」

「なまえちゃんはお仕事だもん…」

「な、无ちゃんまでおこなのか」


庇ってやる気はさらさらないけれど。二対の涙目に晒された燭先生は流石にいつもの高飛車を保てず、若干気まずそうに研究室に帰っていった。半ば強引に一晩伸ばそうとした結果がこれなので、あとはわたしたちの親がねちねちいじめてくれることだろう。

わざわざ研案塔まで迎えに来た貳号艇を見上げると、ツクモちゃんと花礫くんがそっと窓からこちらを見守ってくれていた。二人とも心なしか疲れ顔をしている気がする。この十日間任務もパレードも與儀のことも任せてしまったから申し訳ない。泣き疲れた无ちゃんを小脇に抱えた與儀は「かえろ」とだけ呟いて、同じように飛行できるわたしまでなぜか担ぎ上げて飛んだ。そして貳号艇に着いてただいまを口にしても離してくれなかった。人形手放さねえ赤ん坊みてえ。花礫くんがそう言いながらもふらふらの无ちゃんを受け取ってくれる。繊細な子なので満足に眠れなかったのかもしれない。

「おかえりなさい、すごく心配したの。與儀、よかったわね」高い位置から見下ろすツクモちゃんは任務状況等を説明してくれながらほこほこ微笑むと、食事までゆっくり休んでと自室に戻っていった。知らぬ間に花礫くんたちも羊も解散してしまっていて、無機質な廊下にふたりだけが取り残される。こういう時だけ動くの早いんだから。見上げると、與儀は涙の表面張力をキープしたまま姫抱きしたわたしをじいと眺めていた。


「お部屋、ひとりじゃ寂しかったんでしょ」


証のようにくまを作っている眦を指で拭ってやれば、頷いた拍子に大粒がこぼれ落ちてわたしの服に染みた。

ふたりで過ごしてきた部屋は、気のせいではない勢いでニャンペローナが増えていた。壁にはわたしと撮ってきた写真が所狭しレベルで並んでいる。五日連絡を取れないだけでこんなになってしまうのか。こりゃ困った。わたしが死んだら暴走しそう。黄色と桃色をかき分けて、抱えこまれたままベッドに倒れこむ。いい匂い。お日様とお花の混ざり合った、やさしい與儀の匂いだ。深呼吸に割り入ってきた本人の唇はしょっぱくてかなわない。


「もう泣かないの」

「…燭先生に言い足りない」

「いっぱい怒ってたじゃない」

「もっと大事なこと言おうと思ってたもん!」


ぼろりぼろり、幾度も泣いた痕のある瞼が降りるたびに涙が押し出されてくるのを、わたしはひたすら拭ってやる。自分から連絡なんてめったに取らないタイプであろう花礫くんですら思わずメールを送りつけたくなるレベルなのだから覚悟はしていたけれど、これは本当に困った。子どもよりもたちが悪い。ダムが決壊したように泣いてはキスをしてをしばらく繰り返した大きな子どもはわたしの肩口に顔をうずめて「あのね」とかわいいかすれ声を出す。


「なまえちゃんは俺のだから、勝手に連れてかないでって」

「……え、燭先生に? それ言うの?」

「でもやっぱ怖かったああ…」

「いやそもそもあのひとはそういうの気にしてくれないと思うけど」

「だって、もしなまえちゃん取られちゃったら俺、」

「お仕事と混ぜて考えちゃダメ! はい、ちーん」


ずびびび。かわいくない音が出て、與儀は恥ずかしそうにすこしはにかんだ。帰宅してからやっと見ることができただいすきな笑顔である。3回も鼻をかませてやってようやくぐしゃぐしゃの顔が治った。顔の赤みと一緒に精神も落ち着いてきたようだ。部屋中のニャンペローナもほっとしたであろう。「部屋が広いなあって言ったらね、ツクモちゃんたちが集めてきてくれたんだあ」わたしのそんな視線に気づいたらしく枕元に伸びていた一匹を捕まえながら彼が言う。この惨劇の原因は不器用な家族からの愛だということか。ニャンペローナをわたしに渡してから、與儀はその人形ごとわたしを抱きしめた。


「お兄さんなのに心配かけちゃったな」

「そうだよ。仕事で寂しいのは我慢しよって昔お約束したよね」

「だって通信切れちゃうなんてなかなかないことでしょ……あの辺りまだよくわかんないって平門さん言うし…」


せっかくイケメンに戻った声がまた上ずってしまったので、心中で大人組を糞認定してやりながら背中に手を回す。仕事押し付けるのとわがまま自由人なのと素知らぬ顔で余計なこと言うのと。我がナイーブな恋人になんて事を。花礫くんですら空気を読むというのに。
「怖かった? 一緒に行けばよかったよね」「んーあんまり」「うそお、俺は艇と連絡取れなくなったって聞いた時心臓止まるかと思ったのに!」「……そんな大きい話になってたの?」「通信切れてた間はね」ぎゅうぎゅう。長い腕は離れないまま。顔は見えないけれどどうやらもう泣いていないらしい。夕食までにはピッカピカのきらめき王子に回復してくれるといいけれど。

することもないのですんすん與儀の胸あたりを嗅いでいると、いつもの癖なのかひどい眠気が襲ってきた。でもこのタイミングで眠ったら女としてアウトだろうか。久しぶりの逢瀬でベッドにふたりきり、食事まではまだゆうに時間があって。
ふと、擦り寄っていた胸板が動いた。どうしたのなんてふざけたことを訪ねようとした唇が、しょっぱくなくなった與儀の味で塞がる。いつも仕事明けの日はがんばって我慢するのだと前に語っていたけれど、今日はやっぱりそう来るよねえ。そう思ったけれど眠くて応じることができない。反射で引き結んでしまった口をせめて開こうとしたところで、ふふふと與儀が笑った。わたしの重いまぶたの上に着地した唇はまた柔らかく離れていく。


「俺もね、眠れなかったんだ」

「…もってなによ」

「俺がこーやってぎゅってしてあげるとね、なまえちゃんぐっすり眠れるんだよ」

「なにそのドヤ顔?」

「え、なまえちゃんのことだいすきですの顔かな?」

「………………おやすみ」


羊が起こしに来るディナーの時間までわたしは久しぶりに爆睡をかました。羊にふっとばされて半泣きになった寝起き男が、プロの技でうまい具合にベッドに残されたわたしを見つけて「なまえちゃんとごはんだ!」なんてぱあっと笑う。こっちが多分、本当のだいすきですの顔なのだ。


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