AM6:30
朝来なくていい。いや来ないとすっげえこまるのは知ってる。生きてけなくなることもわかってる。起きなきゃいけないんだよなあこれが人生かあシビアだよなあ、くうっシビレるぜ!あっダジャレじゃねえからな!
文句を言う割に長々と語る同居人の夢を見た。なんて夢のない夢……朝っぱらから萎えるなあ…。でもいつもならわたしも夢のなかのバカのような朝アンチなのに、なぜか今日は珍しく寝起きがいい。勝手に即閉店するはずのシャッターが降りてこない。これはいい日になるかもしれない!とカーテンを開けたらどんより暗い雲が視界いっぱいにあったのでなんだか急速に冷静になった。早めの賢者タイム。

洗面所に立って、そういえば台所から物音がしないことに気付く。いつもならもうわたしと猿比古のお弁当を用意するいい匂いがするはずだ。多分わたしが早く動き始めたわけではなく、美咲がいつもより遅いのだろう。濡れた顔を拭きながら部屋のドアを開けると、予想通り携帯ゲーム機を傍らに転がした子がベッドでおなかを出していた。ひとつ歳上なはずの同居人は就寝中特に幼い顔つきになる。同い年どころか年下に見えるほど。シャツを直してやってから肩に手をかける。

「美咲、お弁当つくって」
「……んあ」
「朝だよ。もう六時半」
「………」
「………起きないとちゅーしちゃうぞう」
「…………」
「…………美咲寝たフリへただね」
「ねねねねねたフリなんかしてねーよ今起きたっつの!!」

「はいおはよーう」ナイス腹筋で飛び起きた美咲のヘッドバットを寸でのところで避けた。チンピラフリーターをしている昔なじみは寝起きは悪いが、起きてからはしゃきしゃき動くよい若者だ。ベッドに胡座をかいてぱっちりツリ目をこしこし擦る美咲は、もう倦怠感のない声で「ゲーム寝落ちしちった」と笑った。チームのみんなとオンラインかな。かわいいなあ。頭を撫でると盛大にまた照れるのでニット帽のないそこを見つめるだけにした。ごはんマシーンが正常に機能してくれなくなるのはこまる。

「すぐ飯用意するからよ、猿よろしくな」

パジャマのジャージを軽くはたいて美咲が立ち上がったので、わたしもそれに続いて部屋を出た。似合わない大人のムスクがふんわり香る。嗅いだことのある匂いだった。たしか鎌本さんが夏になるとつける軽めの。今年ももうそんな季節になってきたのだ。匂いがうつったままということは帰ってきてまだ大して時間が経っていないのかもしれない、きっとわたしと猿比古が家を出たらバイトまでまたひと眠りする予定なのだろう。ご飯と見送りだけのために毎日わざわざ早起きしてくれる美咲は本当に優しいいい子だ。もうひとりの同居人もそんなだったらどんなにいいか。

とりあえず自分のことを済ませてから戦争を始めよう。そう思ったわたしはとりあえず自室に戻った。



AM6:50
廊下の向こう側にある台所から、玉子焼きのいい匂いがしてきた。リビングはまさしく天使のいるヘブン。くらべてわたしが今侵入した部屋は、悪魔のいるヘルにも似たもんである。化粧の済んだ頬を一度叩いて自分の目をしっかり覚ます。じゃないと引きずられるのである。
最低限の丁寧さで放られたワイシャツを横目に、静かな寝息をたてる猿比古のベッドの前。「猿、朝だよ」なんて軽めにゆすれば、無駄に煽情的な吐息と眉間の皺とともに薄目が開く……ここまでは美咲よりも楽なんだけどなあ、起こしてからが問題なのだ。起こしてやったというのに盛大に迷惑そうな顔をしてくるこいつの場合。

「伏見くん、起きなさい!上司命令よ!」
「…んだよそれ」
「おっぱいさん」
「あんなねーだろ…」
「じゃあ揉むな」

やわやわ力なく胸を掴む手をべちんと叩いて布団をひっぺはがすと、猿比古は眉間の皺をそのままに身体を起こした。たまにひっぱってやらないと起き上がらない時さえあるので今日はまだ楽な方だ。眼鏡を右手にほっそい腕を左手に、されるがままのデカイ子供を連れ歩いて洗面所にたどり着くと、ハイ顔洗ってと蛇口をひねった。舌打ちしながらもおとなしく台に向かって屈む178cm。

その間にくしでいつもより低い位置にある髪の毛を梳る。公務員たるもの清潔な頭髪をということらしいが、以前お弁当を届けた時にお会いした室長さんの前髪もなかなかに鬱陶しそうだった。おっぱいさんだってツイン団子だし。
変に流れる髪質の黒髪はうまくまとまらない。「ん」喋れよ。洗顔が終わったようなので用意しておいたタオルを渡してやって、頃合いを見て眼鏡とワックスを手に持たせれば勝手に髪のセットを始めた。床にぽいされかけたタオルも入れ替わりで救出したところで台所から美咲の声。朝ごはんができているらしい。

隣でわたしも髪を整えながら、猿が使い終わったものをぽんぽん放っていくのを片付けていく。手を引いてやらないとさっさと動かないくせに、遅刻しそうになると不機嫌になるので毎日朝は死ぬほど面倒くさい。しかし一人にしておけない。セットがおわったようでうつらうつらする猿の手をまた握った。舌打ちしながら一瞬だけ握り返すのは脊髄反射なのだろうか。



AM7:00
「これいらね」「えーわたしもいらん」「ブロッコリー全部俺の皿にリレーすんのいい加減やめろよ」「じゃあ朝から茹でなくていいよ…」パンとたくさんのジャムと、牛乳とサラダと卵料理。所詮美咲の料理なので凝ったものはあんまり出てこないしパンもスーパーで一番やすいものを買ってくるから日によってちがうけれど、バイト先やバーで覚えてきたらしいメニューはどれもおいしい。机に所狭しと並べられたジャムは猿比古が飽きっぽいせいだ。かわいい色したイチゴジャムをべったりつけて大口を開けたかわいい美咲を猿比古がからかう。朝から元気なんだか無気力なんだか。ジャム戦争を予想してウエットティッシュをふたりの前に置いておいた。まだ今日が始まって1時間経ってないのに疲れたくはないので放っておこう。

案の定手やらほっぺたやらおでこやら(?)を色とりどりにした歳上を置いてお皿を運ぶ。「髪にはつけんなって言ったろこの猿!!」「なまえ、ん」「聞けよ!自分で拭けよ!」椅子から立ちもせずにまた細長い腕を差し出す猿比古も歳上なのは外見だけである。おまえの目の前に鎮座してるボックスは何だと思ってるんだ。そんなことを考えたって朝のこいつにはなにも意味がない。お望み通り緑色(???)のべったりを拭きとってやりながらサラダだけきれいに残されたプレートを一瞥してため息をついた。やっぱり朝は牛乳じゃなくて野菜ジュースにしてもらおうかな。



AM7:30
歯磨きをさせているうちに猿比古のかばんにお弁当をつめこむ。「遅くなりそうならちゃんと連絡しろよ、飯の時間ずらすから」台所でお皿をがちゃがちゃ言わせながら美咲が洗面台へ叫んでいるのがドア越しに聞こえた。毎日喧嘩ばっかりのわりに美咲は猿比古になんだかんだ甘くて、猿比古もふたりにひどいことばっかりのくせに構ってやらないとブチ切れる。そしてその八つ当たりの矛先は構ってくれる方に二倍になって向かうのだ。朝以外は甲斐甲斐しくて優しいところもあるにはあるけれどまじなんでわたしたち一緒に住んでんだろう。

冷蔵庫に貼り付けられた100均のホワイトボードには三人の今日の予定を書くことになっている。わたしは今日はバイトなし通常授業。猿比古は青い細ペンで通常とだけ、美咲はといえば真っ赤な太いペンで「昼バイトからのゆーはんかいもの」とのこと。今更だけれど中卒の美咲が書ける難しい漢字って吠舞羅だけなんじゃないかと思う。美咲にも猿比古にも、お前は俺達とはちがう人種なんだから学校は行っておけって言われて、なんとなくだらだらとわたしは高校三年生になった。

わたしの準備が終わったあたりで猿比古がちょうど洗面所から帰ってきた。「猿ほら、靴下はいて」フローリングがぺたりと静かに鳴って片足が上がる。今日はいつにも増して無気力な日なようだ。わたしは溜息と共に膝をついた。

「靴下くらい自分で履けよ何やってんだよ!」
「羨ましいなら素直にそう言えばいいだろ」
「…お前いい加減にしろよ」
「声裏返ってんぞー」
「うるせえ!早く行けクソザル遅刻すんぞ!」

そう言いつつ投げつけているものはハンカチとティッシュなので、つくづく美咲はかわいいなあと思いながら世話のかかるもうひとりに指定靴下を履かせ終わった。 そろそろ出ないと本当にこいつが遅刻する。青服の上着に勝手に手を突っ込んで定期を確認するとわたしは玄関へ出た。なにやらぎゃんぎゃん言い争いをしながらふたりもついてくる。弁当とご飯さえ作ったらもう寝てしまってもいいのに、美咲はいつも元気なお見送り笑顔を見せてくれるのだ。そういうところ大好きだなあ。言うとショートしそうなので言わないけれど。




8:00
家ではあんなにぐたぐたしている猿比古も、外に出るとプライドが左右するのか雰囲気が変わる。気だるそうなのは変わりないもののひっぱってくれないと動かなーいなんて甘えはしなくなるのだった。スカした顔してわたしをドアの方へ寄せ、圧迫してくるサラリーマンたちに容赦のない舌打ちを放ったりする。おじさんだって潰したくて潰してる訳じゃないのに。

彼の緊急出動のことや電車嫌いを考えて、セプター4のある駅が近い家を選んだのだけれど、すこしでも耐えられないと言いたげに猿比古は毎日不機嫌マックスでわたしの肩越しにドアに寄りかかる。角に追いやられているから窓か彼かの二択の景色。「代わる?はしっこ…」「はあ?お前の図体で俺のことこのデブ達から守る気?」「……猿比古わたしのこと守ってくれてるんだ」チッてだけ返ってきた。

車内アナウンスに反応して、わたしと同じ柔軟剤の香りをさせた猿比古が動く。セプター4の最寄り駅。ここからはすこし空いてくれるので、この電車にわたしがひとりで乗っても猿比古は怒らない。わたしや美咲に自分以外が触れることを、彼は潔癖症とはまた違う病気かのようにいやだと言う。

「行きたくね」
「毎日わがまま言わないの。いってらっしゃい」
「……お前もな」

一瞬で車内に入り込んできた湿気を纏った外の匂いを塗りつぶすように、猿比古はわたしを一度きゅうと抱きしめてからホームとの隙間を飛び越えていった。残されたわたしに浴びせられる視線のことくらい分かっているくせに、むかつく。


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