那月の料理がひどすぎて家庭の味というものの正解がわからなくなってしまったと翔くんが言っていたのを思い出しながら、久しぶりに暇になったある日夕飯を作ってみた。ネットで調べたかんたんレシピ。翔くんのすきなもの、なんだかんだで結構知っていることに気付く。わたしもいままであまり料理する方ではなかったのでむしろお菓子作りのほうがなけなしの自信があるのだけど、まあ四ノ宮さんのポイズンクッキングには勝るものができるだろう。超美味しいわけではなくてもそれなりのものが仕上がるはずだ。翔くんがアメリカにいる間すこし練習したけど、最近はなにもできていない。引越しそばの天ぷらも共同作業だったし。

よく考えたら部屋を行き来するようになって何日も経つというのに、デビューのバタバタやらで引っ越してからお互いジャンクフードしかたべていなかった。これからはきっと人気者アイドルの帰りを待ちながらわたしが作ることになるのだろうし、今日は記念すべき第一回目の食卓である。

そんなこんなで食べた翔くんは普通に喜んで普通に完食してくれて、わたしはそれなりに満足した。まさに想像通りだった。でもなんだか物足りない。高級食材を使えるわけでもプロ並みの腕なわけでもないわたしにはこれだけしかできない。将来大物アイドルになる王子様の恋人なのに。よくわからなくなったわたしの心中をのぞき見たかのように、翔くんは突然わたしの頬をにゅっとつかんできた。

「作曲に詰まったときとおんなじ顔してるぞ」
「そんなことないよ」
「あんの」

暖房の継続的な音をバックに翔くんは怒ってるんだぞ!って顔をした。ふたりきりの部屋は、わたしが黙り込んでしまうとすぐ静かになる。今の今まで騒がしかった暖房ですら、自動運転の風速を突然弱くして音をなくしてきた。わたしあなたにふさわしくない気がするの。漫画とかで聞く定番の言葉をそっと送っても、翔くんはきっと優しいことを言ってわたしを笑わせてしまうだろう。そしてその優しい言葉は上っ面だけではなくて、筋が通っていないわけでもない。

はじめて会った時から翔くんは、わたしを安心させるのがどうしようもなく上手い人だった。タイプの違うわたしの思考回路をなぜか上手に汲み取ることができて。だからこそ困ってしまう。大人気アイドルにいつまでも手間をかけさせる作曲家でいいのだろうかと。かといって彼から離れようとはもう思うことができない。それに翔くんもわたしを手放したりなんてしない。それを結局信じているわたしは自己中で弱くて、でもその信頼だけがわたしの心のかたちをとどめていた。

ハンバーグソースの残りを隠すようにいそいそ皿を流しへ持っていく。たしかにおいしかった。でも、それだけだった。専門分野じゃないことをするとわたしはすごく普通になって、地味で影の薄いひとりの凡人に戻る。普通より下かもしれない。作曲だって本当はそんな自信なかった。翔くんがくれた勇気、わたしが自分から上げた士気ではない。

「家庭の味って言っただろ」
「よくわかんないよ、家庭の味って」
「それは俺もわかんないけどー……俺の家はお前だろ。お前の味知れて嬉しかった、ごちそうさまっ」

お箸をまとめた翔くんがにっと笑って流しの方に来る。なにそれ。わたしの味って、これレシピの味じゃん。でも同じレシピでもわたしが作るのと四ノ宮さんが作るのとではきっとちがう。それのことなのだろうか。わたしにしか出せない味なんてある気しないけどな。むしろわたしには出せない味のほうが多いよ。
翔くんはシンクの前に立っていたわたしの胴に手を回して、わたし越しに食器を片付けた。ソースがこびりついちゃうからってちゃんとお湯もかけて。こういう小さな生活知識が合うたびに、わたしは将来の姿を勝手に想像してしまったり妄想してしまったりする。

「翔くんの味はあるの?」わたしを抱えたままお皿を洗い始めた彼に聞く。料理はあんましないからなーなんて言いつつも食器を綺麗にしていく手際はいい。あ、なんかいま。新婚さんっぽいかも。そんなことを口に出したら彼はきっと真っ赤になって離れてしまうのでわたしはなにも言わずに泡と水を見つめた。あんまり変わらない背丈。吐息がちかくてうまく動けない。

「これからはわたしがご飯作っておいてもいい?」
「サンキュ。てか勝手にそのつもりだった。……なんかいいなこういうの」 

わたしの肩に帽子のない頭を預けて吐き出す声は優しい。なにも言わずに首を傾ける。おんなじ事を思ってた。「翔くんはいい旦那さんになるね」「だ、……お前は、その、いいお嫁さんに」「ふふ。わたしに翔くんはもったいないよ」「なんだよそれ」口を尖らせているであろう表情は近すぎて見えない。遠くて見えないよりよっぽどよかった。翔くんが泡だらけにしたお皿をわたしが流していく。一人暮らし用に作られたシンクは少し狭くて、結構な確率で手が触れ合ったけれど、すこし昔のようにそれだけでドキドキは、……する。すぐ上で大きく息を吸う気配がしたので、ああなにかすてきなことを言うんだなとわたしは思った。こんなことももう気付けてしまう。

「もうお前の味は俺のものだからな」
「はい、旦那さま」
「………お、う」

自分からかっこつけたくせに。振り返って抱きしめたら翔くんはきっとお皿をほったらかしにしてしまう。そんな翔くんを見るのもわたしはたまらなく好きだから、いい。わたしの味をはしっこにくっつけたままのくちびる。まだ16歳だというのにどうしてこんなにも将来のビジョンが鮮明なのか、今の稚拙であふれた弱虫小物のわたしにはまだ説明できない。でも。お嫁さんには絶対なりたいんだよ。勝手かもしれないけど、どんなにすばらしい女性にも翔くんは渡せない。こんなふうに一生帰りを待っていたい。そんなわがままを詰め込んだ愛情はどうやらおいしかったようだ。


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