湿っているような、乾いているような。どろりと暗いような、無駄に明るいような。それに一言二言では表しきれない鬱々とした空気を混ぜて出来上がる流星街は地味に暑い。ティッシュをうちわに持ちかえた夏の広告配りがこの街にいる訳もなく、バケツの井戸水に足を突っ込んで都会に思いを馳せた。
いくら出身地と言えど、故郷が一番過ごしやすいかと言われればそんなことはない。いかんせんここは存在しないはずの場所だ。色々なものが流れつき、それでいて何もない。

フィンクスがどこからか持ってきて日陰にドンと置いてくれた粗大ゴミの冷蔵庫は、地味に拭いてあった。蜘蛛最優先のルールは重視するわりに仲間思いな野郎だ。隣では、怪我人がぐたりと黒猫よろしく寝こけている。彼の言いなりになっているわたしだって、ずいぶん仲間思いなはずなのだが、一向に感謝されることがない。

「…水がぬるくなたね」
「そうだねえ」
「……」
「………普通に換えてこいって言えよ」

命じるくせに動こうとしない猫野郎の細い足首を掴んでバケツから抜き、自分はサンダルを履く。戦いには向かない気を抜いた靴だ。でもパクはいつもピンヒールで壁を走ったりしていた。あ、やばい、会いたい。フィンクスよりもわたしの方が旅団には大分向かない性格をしている気がする。

からから、バケツの硬い音。日向を挟んでまた別の日陰にある井戸の釣瓶を引き上げると、流星街の中でも田舎のこの辺りにしてはきれいな水面にフェイが映った。夏の雲をバックに暑苦しいとがった髪。「来たの?」「とろいよ」「30秒も経っとらんわ」吊っていた包帯はいつのまにかむしり取られて、棒で丁寧に支えられた左腕はわたしの腰にある。処置してあげてもうざったくなるとすぐに剥がして捨ててしまうのがこいつの悪いくせだった。見れば先程座っていた半壊の冷蔵庫に白い布が無造作にポイされている。引きちぎったら再利用できないよっていつも言うのに。物も人間も。

「治り遅くなるよ」
「なまえ捕獲することくらい造作ないよ。足でも良いくらいよ」

もう一杯砂糖を追加してくれてもいいんじゃないだろうか。わたしは玩具ではなく恋人である。でも確かに、フェイの手に掛かればわたしなんて右腕と両足が元気なら十分捕まえられるし殺せてしまうので仕方ない。巻き付く左腕を刺激しないように細心の注意を払って水を汲んだ。深奥から浮き上がる冷たい空気も堪能して、また椅子がわりのある場所まで戻る。
腕が癒着して離れない。もしこのままくっついてしまったら、フェイはわたしの胴体と自分の左腕どちらを落とすのだろう。いや、切り落とす必要はないのか。だって今だって、いつだってくっついていればいい。

「今日のごはん当番さ」
「…シズクね」
「二人でどっか食べに行こうか」

カルトは前にマチの作ったごはんを完食したそうなので大丈夫だろう。完全なる毒耐性でもあるのだろうか。あの外見で。フェイはヨークシンでキャラじゃない腹痛を起こして以来絶対に食べようとしない。旅団男子のトラウマ事件なのだそうだ。止められなかったわたしが厳重に処罰されたのは今だに納得できない。

ぽてぽて歩いたフェイが冷蔵庫に腰を下ろして、片手に抱え込まれたままのわたしもつられるように膝を折った。すこしだけこぼしたバケツの水は、雲の隙間をぬった太陽で気紛れに光る。男にしてはちいさい足がぽちゃんと音を立てた。裸足で歩いたフェイの指の間から砂が浮いていく。
せめて右腕にしなよ。あきれた言葉にフェイはいやそうな顔をした。普段こんなにあからさまに触れてくることは少ない。「こいつはきっと患部をかばって困るだろう」という愛のある嫌がらせによるものだ。わたしから行くと大体ポイするくせに。でも決して壊さないから、わたしは再利用できる。

「腕もう動くよ」
「いやまだ折れてるから、くっついてないから」
「いつかはくつくね。大丈夫」
「大丈夫の意味がわからない」 
「なまえ暴れない限りひどくならない」

脅しをかけられたわたしが大人しくなるまで何秒とかからない。あのとき汚いオーラをかぶってやぶけたフェイの服が、物干し竿に吊られて目の前を通り過ぎていった。お洗濯当番はボノだ。盗賊だって仕事がない日はお洗濯もしたいしシャワーを浴びたいのである。

冷やされ続ける足と、密着する胴体とで、間にたゆたう体温を気遣う。何も考えず何もせずにぼうっとするのも悪くない。ここのところはよく旅団としてみんなで走り回る仕事が多くて楽しかった。今はもう半分に別れているものの、全員揃うのは数年ぶりだったから更に。今隣で二度寝に入るひととは、年がら年中一緒に首はね大会をしているからなんとも感慨が浅いけれど。

「次なにすんのかなー」
「きと人殺し」
「それ願望だろ、…うわっ」

絡まるように倒れこむ。肘をついた冷蔵庫が硬くて、痛い。腕をひっかけたまま、フェイが横になったのである。上着がだめになったせいでなにも着ていない彼の上半身は、案外汗ばんでいない。半分乗っかるように張りつけられたわたしの背中にはまた折れた腕が乗り、怪我を気遣ってしまうわたしは完全に動けなくなった。

「暑いんですけどお」
「…? おどろいたね、今抱き枕しゃべたか」
「おまえ…」

ハハ、軽く笑ってからフェイはなにも喋らなくなった。木陰の冷蔵庫の上で寝息をたて始める猫。いつもよりも、適当に眠っている気がする。わたしが傍らにいることもあるが、故郷とはそういうものだろうか。フェイの本当の故郷はきっと異国だからなんとも言えない。

物干し竿をセットし終わったボノがまた前を通り過ぎていった。もつれて転がった仲間バカップルにはノータッチ。関与すればこの黒猫が爪を出すからである。困ったなあ。こいつの昼寝は浅いかわりに長いのだ。日が落ちて腹が減るまでは動きたがらないだろう。厚い胸板に耳を当てた。どくり、ちゃんと人間の音がする。冷蔵庫もフェイの体も傷だらけで硬いのは同じなのに。愛しくて暖かい、熱い。……暑い。息をするために一旦離れようとした鼻先がぐっと白い肌に押しつけられて酸素が足りなくなった。フェイの熱、ばっかり。一瞬触れるだけじゃわからない、芯をめぐり狂う血が生きていることを訴える。

「全然避暑じゃないなあ」

つぶやきを拾ったボノがついに笑った。もう一生つめたくなることのない粗大ゴミをふみつけた、夏だった。生きていなくても椅子になる冷蔵庫。生きていないと何にもならない人間が、それを尻に敷いている。

生きていてよかった。彼の言う通り、いつかはくっつく。生きていればわたしたちは、くっついていられる。


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