キルアがはじめて自分で鼻をかめるようになったのは4歳の時だった。はいちーん、てしてあげなくても全部自分で。でもすぐにキルアは風邪なんてひかなくなって、鼻をかむこと自体も少なくなった。花粉症にもならなかった。だから「じぶんでできる!」と突っぱねられた6年以上前の気持ちを思い出したのはとてもひさしぶり。

現在この国の気候は冬なのだとは聞いていた。パドキアの冬よりも断然に冷たい空気の中、ハの字眉毛でずるっと大きく鼻を鳴らしたキルアはどうやら体調不良のようだ。頭と鼻、喉も変。イルミの妙に安らかな寝息をバックにしずかな声でキルアは愚痴る。なるほど確かに元気がない。
薬を持ち歩いているほど殺し屋の女子力は高くなかった。いくら肉体が頑丈でも、人間であるかぎり風邪のひとつやふたつ引く。それをすっかり忘れてすこし薄着で眠らせてしまった自分を悔いた。イルミとキルア、それからわたし。ちょっとめずらしいメンバーでの仕事を無事に終えてお互い気を抜いてしまったのかもしれない。寝相がすこぶるわるいのも知っているのに毛布を掛け直しに起きてやらなかったし、保護者失格だ。そういえば昨日の昼は歯みがきもさせ忘れた。ちなみにイルミにもさせ忘れた。

「身体だるい?」
「うん」

生憎体温計なんてものも常備してはいない。熱があるのかな。白いおでこにわたしのを当ててやると、キルアはすり合わせるように動いて気持ちよさそうにする。「つめたーい…」「熱いね、わたし低い方だけど」「寒いし暑いしよくわかんね」キルアが熱を出すのなんて何年ぶりだろう。カルトはまだ小さくて体調を崩すこともあるけど、キルアは昔から特別強かったからなあ。あとは屋敷に帰るだけだし特に問題はないけれど、ウィルスを貰い受けるような場所には行っていないから首をひねった。普通に疲労だといいけど。汗で水気を含んだTシャツを脱がせると、キルアはくちんとひとつくしゃみをしてからまた鼻をすする。

「えーと、キルアの荷物は」
「はいシャツ」
「わああ起きたのイルミ!」

振り返れば、何年か前から伸ばしている黒髪をだらりと不気味に崩したままのイルミがサイズのちいさい服を片手に起き上がっていた。こわい。今暗いし更にこわい。
「キル、ばんざーい」渋々両腕を上げた弟を着替えさせて兄貴はご満悦のようだ。微かな光に照らされた表情を変えないまま、またわたしと自分でキルアを挟んで横になる。川の字というのだそうだ。気怠そうな弟に毛布をかけてやるその姿はなかなかにいい兄貴であった。そこだけ見れば。

「あついからいい」
「寒気するんでしょ」
「……寒気ってどんなん?」
「……こう、ぞくぞくって、ぞわって」

フィーリングを言葉にするのはむずかしい。わかんねえ、しゃがれた鼻声でわたしの方に唇を尖らせたキルアの首元をイルミの指先がとらえる。急所。「あー本当だ熱い、面白いね」ゾルディックの肉体からしたら発熱は面白いらしい。むずかしい世界である。聞けば大胆に骨を折った時の微熱くらいしか最近は経験がないとのことだった。たしかにイルミが冷えピタを貼る姿なんて見たことがない。あんまり見たくない。

じゅびじゅび鼻を鳴らしながらキルアはこっちに寄ってきた。子どもは体調を崩すと甘えたになるのだと聞いたことがある。イルミとわたしで天秤に掛けたのだろうか。楽勝だぜ。わたしの堂々たる勝利に実の兄の無表情は何となく不服そうだ。「吐く?お腹は無事?」「だいじょぶ」背中を抱けば真新しく冷えていたはずのシャツはもうほわりとしている。なかなかの高熱なのだろうか。

「こっちにおいでキル、なまえにうつしたくないだろ」
「うつんないし渡さないから大丈夫だよキルア」
「……」
「………こういうときだけ無表情解除すんのやめてよ…」

取り合われた少年はいまいち頭が働いていないようで、ぐじゅぐじゅ鼻を鳴らしたままわたしに擦り寄る。かわいいかわいいかわいい。さすがにここまで甘えたなのはレア。よく考えれば本来のこの年齢の子供は甘えたなのが当然かもしれない。非平凡な子供ばかり世話しているわたしには確信が持てないけど。イルミのバランスのいい口元がさらにへの字になった。存分に妬むがいい。何だかんだでイルミはキルアと仲のいいわたしを殺害しちゃおうとはしない。

くしゃみやら鼻水やらで生理的に潤んだ瞳からぽろりと小粒がたれた。まるでイルミが意地悪をしてわたしに泣き付いてきているかのようだ。「イルミ、ティッシュとって」箱の角で刺された。
わたしの身体に回されたキルアの腕には暇をやって、小さな鼻にティッシュを添える。見上げる猫目がゆらゆらと涙で光った。

「はい、ちーん」
「……ん」

右、次は左。すこしすっきりしたらしいキルアは照れくさそうだった。もうオレおっきいのに。そんな風な子どもじみた顔をしている。それがかわいくて思わず世話を焼いてしまう。過保護なのはイルミよりわたしなのかもしれない。なんと不可解な現実だろう。自業自得だ。

ついでに目元も拭ってやると、キルアは水気の減ったそこをぱちっと閉じてわたしの懐に埋まってしまった。安心したらねむくなったのだろう。まつげに乗った涙の珠はふるりと一度揺らされれば消えてしまった。
ひとりで勝手に動いたらしい時計は夜中をさしている。鼓膜を震わせる障害は何もない、誰にでも訪れるただの夜。寝ようね、よく寝たらきっとすこしよくなってるよ。規則正しく布団を叩く音に先に安眠したのはイルミだったので、わたしはすこし吹き出してしまった。


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