久々の埃くさい夜だなと思った。ここの所ずっと船だのホテルだのといいベットで過ごしたせいで感覚が贅沢になってしまっている。リッチになるのも考えもの。
ランプに照らされた字体から顔を上げた。医学書はよくわからない。人体構造はそれなりに詳しいつもりだけれど、それは戦闘のためとして知っているのであって、医者とただのハンターとでは比べものにならない。治す度合いも、目的も。
隣に座って何やら書きつけている本の持ち主に近付く。メモもやっぱりよく分からなくて、わたしは治す側には立てない人間なのだとよくわかる。

「どうした。眠いなら寝ちまえ」
「もうちょいでお腹空くはずなの……起きるとおもうの」
「ちゃんと世話するからお前は無理すんなよ。昨日も寝てねえくせに」
「やだ、あんたにクラピカは渡さん」

いらねえよ。失礼なことを言うおっさんの背中をとりあえず殴った。いるって言われても殴るつもりでいたから、結局こいつはそういう立ち位置なのだ。貧乏くじは大体、一番優しくてバカな人間が引くものなのだ。怒るふりだけする優しいバカは、すぐに勉強に意識を戻してしまった。
今日のヨークシンはやけに肌寒い。眠るクラピカにかけられた布団の枚数を確認してから、自分もレオリオが膝掛けにしている毛布にもぐりこむ。大人の男の体温はとても暖かくて(なんか浮気してるみたいな文だ)息をついた。すこしだけ調達してきたきれいな布団はすべて病人に使ってしまったから、肌触りは悪いけれど暖かいので文句はない。

「クラピカんとこ入れよ」
「邪魔したくないもん」
「オレまだ殺されたくねえよ……」

クラピカはそんな意地悪しないよ。文句のような一言は、更けかけの夜に浮く。
窓から見える都会は、今のわたし達と違ってきらきらしていて、夜遊びに出かけたくなる魅力にあふれていた。わたしたちだってハンター証ひとつ使えば高級ホテルなんてちょちょいのちょいわけだが、今は動きの証拠を残すべき時ではないから仕方ない。本を閉じる。昨日も今日も本が頭に入らない一日だった。食欲もわかず、作業のように菓子を入れておくだけ。

レオリオがでっかいあくびをかました。男らしい豪快なやつだ。もう少しクラピカみたいなかわいいやつが出来ないのだろうか。横目で考えて言うのをやめた。かわいいレオリオとか気持ち悪すぎるわないわ、やめようやめよう。ポテチを完食してしっかり畳んで、わたしもお淑やかにあくびをしてみる。きっとクラピカの方がかわいいけど。こっちを見たわけでもないのに気配を感じ取ったらしいレオリオの大きな掌が、ぽんと頭に乗る。

「…あんたこそ寝たいなら寝ていいんだよ、無理にお勉強してなくても」
「何言ってんだ。飯作ってる間クラピカをひとりにする気か」
「……なるほど」

考えてなかった。ごはん作りに行っちゃったらこの部屋には誰もいなくなってしまう。センリツさんとガキ共は絶賛睡眠タイムで、台所とこの部屋はすこし距離があって。ひとりにしたくない。ひとりにしたら、行ってしまう。きっと。何かはわからない恐怖にぐわりと肩を狭められるような感覚がした。そばにいるようになってからまだ三年も経たない短い時の中ではクラピカの復讐心のすべてなんてわからない。こわい。レオリオの手がわしわし動いて少しだけ落ち着く。気つかうなよ、そんな感じの意味合いだろう。優しくて助かるけどこれじゃ全員寝落ちする時間が出来ちゃうかもな。キルアは円使えないし、ゴンは見張りってキャラでもない。そしてわたしはプロのくせに徹夜嫌い系ハンターだ。寄り掛かった頭がまた体温を感じた。さむい。

「見張りの効率悪くね?」
「今にも寝そうな奴の円なんか信用出来ません」
「はああ?あたし半径30mは余裕だからね、あんた円出来ないじゃないの」
「それ健康時だろ」

正論は嫌いなのでもう何も返さないことにした。大人って本当うるさい。大人ってあったかい。堅くてずるくて、すべてにおいて我が物顔する人間のはずなのに。レオリオもセンリツさんもハンター試験で会った辺りも本当変なやつら。クラピカもそう思ってるのかな。思えてるといいな。
ふわふわする頭で必死に神経だけを尖らせた。他になにも考えられないからちょっと尖りすぎている気もする。やりすぎると逆に察知されてしまうから難しい、でもレオリオには任せない。わたしが守るのだ。壊させはしないと決めた存在だから。言わば、そう、マイエンジェル。相当眠いらしい。まぶたを擦ってオーラを広げて、でも眠いものは眠くて、どうしよう、

「いってえ!!」
「!?」

開く暗い視界でレオリオががなっている。その先で、マイエンジェルは投擲終了の体勢で紅い目を光らせていた。…デビル。本で見た魔獣はこんな気品を持ち合わせてはいなかったので、やっぱり彼は天使寄りだ。



大人が額を抑えてキッチンへ退散して、再び夜らしい空気が部屋に立ちこめた。都会でも夜は静かなもの。ベッドに寄れば一旦閉じていたまぶたが開いて真っ赤な瞳が現れる。自制できるようになったはずなのに夢でも見たのかな。嫉妬だけでは変わってくれないことは知っているから微妙にさびしい。「鎖しまっとけ」傷のついた指先をなぞって言う。冷たくて硬いそれがすうっと消えると、触れるのは対照的すぎる熱。暑かったのかぼろ布団を一枚蹴り飛ばして、クラピカは何度かまばたきをした。

「おはよう」
「おはよう、…ずっと看ていなくても平気と言ったのに」
「ちまちま休憩してるよ」

ほんとはトイレも行きたくないくらいべったりだよ。それはわたしの勝手なので言わないことにした。彼が元気になる前にクマ隠ししないと。今は暗くて見えていない。本片手に擦り寄れば伸びてくる手。「好きなのか、医学書」「いや全然。クラピカも読む?」「…明日、起きたら」明日の朝はまだ体が動きそうにないということだろうか。ほっとしてしまった自分に地味な嫌気がさす。早く元気になってほしいのかほしくないのか、正直言えばほしくない。

ランプの届かない暗がりに、ただ赤い光が浮いていた。人魂は青いのだと聞いたことがある。じゃあこれはなんだろう。眼球だけど。クラピカが集める宝石。
その赤を通り越して額に手を当てると、まだうっすらと汗ばんでいる。組み替えておいた洗面器からタオルを絞ってごしごし顔を拭いてやった。目をつぶる動作もその目の光り方もさながら猫のようだ。猫といったらキルアだけれどクラピカキャットもなかなかかわいい。首もとにタオルを差し込みながら聞く。つめたかったのかふるりと顎がゆれた。儚い。

「ボスんとこ帰ったらさあ」
「ああ」
「やっぱりまた仲介所いく?次も同じ仕事受かるといいねえ」

クラピカはなにも返事をしないかわりにじっとこっちに視線を向けた。目の色は、戻らない。まばたきする度に美色が落ちたり登ったりして、夕日、みたいだと思う。明かりも光も全部引きずって去っていく暗がりの太陽。まるで本人とは正反対だ。枕元に置いていた医学書をクッションで作った即席ソファに投げ込んだ。闇ばっかりもらっていくのがクラピカ。本がきれいに着地したのを確認してから、わたしも倒れる。

「ついてくるなって言おうとしたでしょ」昨日より少しだけ低い体温をつかんだ。きゅ、控えめに指を握り返す彼は子どもみたいでちょっと楽しい。あんまり見たことがない。強みも弱みも全部守ったまま闇を振り返ってしまうクラピカがわたしは嫌いだった。好きだった。ああ、ねむい。好きだよ。

「もう諦めたさ」

熱でうるんだ夕日は一度も細まろうとせずにただ夜を写している。わたしと、壁。殺風景な景色。数えられるくらいしか見えない星もいまは遮断してしまっていてわからない。月明かりを断った部屋に倒れたクラピカは不釣り合いなほど美しくて、わたしが今その瞳に映りこむのはちょっと嫌だった。でもどんなに埃の匂いのする方に逃げても視線を外してくれない。逃がさないでほしい、そう思っているのはずっと前にばれている。だからわたしも逃がさない。この数年、振り切られそうになっても必ず着いてきてそばにいたのだ。見つめあっているうちに一粒だけ汗を流したクラピカは、根負けしたように眉を下げて笑った。

「そうしたら、また二人になるな」

それがすきなんだっての。笑う。クラピカも指を握って笑う。軽くつぶられた両目がもう一度開くと、それは青く澄んで宵に似合っていた。


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