卒業したら、聞き慣れたこのチャイムもなつかしく感じるのだろうか。入学する訳でも卒業するわけでもない学年なのに、不思議な感傷に襲われた。ひとりで歩く学校の廊下ってふしぎ。先生の行事で部活のない午後3時半。なにやら職員室に呼ばれた友達が先に帰ってろというので、ひとりで小さな無駄遣いでもしようと自販機に行ってみたところ、運良く海士くんと遭遇した。友達を待つというルートは脳内で瞬時に破棄する。
おつかれさま。声をかけて隣に並ぶと、「おつかれーい」と軽い返事。悩むわたしにお先ねーなんて小銭を入れて、海士くんは真ん中の缶を取り出し口に落とした。「…ブラック、飲めるんだ」「んー?たまに飲む飲む」初めて知った。海士くんがわたしの分まで100円玉を取り出すのを必死に阻止してミルクたっぷりのカフェオレを落とす。一緒に帰ろうか。もうずいぶん自然に隣に並ぶことができる。あまさを飲み下す。

桜の咲いた門から出て、灰色なのかも見えなくなりつつある地面を歩く。ひょうひょうといった感じの歩き方をする海士くんは時折桜と私を見比べてへらへら笑った。サッカー部の友達は一緒じゃなくてよかったのかなあ。でもふたりきりが好きだから聞かないまま花びらを踏みしめる。恋をすると女は性格が悪くなるのだ。恋は盲目とはすこし違うけれど。結局友達も軽く見捨ててきてしまった。仕方ない。


「桜、汚くなっちゃったね」

「なー。ちゅーか昨日雨ふっちったし」


私も彼も踏んでしまっている花びらは、水と圧力でぐちゃぐちゃに茶色く変色し始めていた。お花を踏んじゃいけませんというのは桜には適用されない。かわいそうな気もする。所々に今日新しく散ったらしいピンクが映えもせずよく分からない地面。儚いのうー。海士くんが言う。
少しだけの草の匂いの中に、香り高い苦い風味が混ざっていまいち特に季節感がない。日常なんてこんなものだろう。海士くんがごみ箱へ缶をスイングして失敗して落ち込んでいるので、私のも渡してあげながら軽く息を吐いた。なんの不満もないのに何かがモヤるのは今年お花見してないからかな。今度こそナイスシュートした海士くんを撫でた。びゅう、風が吹く。散り急いでいくのをただ眺めているのももったいなくて、とりあえず暇している手を伸ばした。


「桜キャッチするとさ」

「んん?」

「幸せになれるって言うよね」

「えっまじ、やるやる」


浜野くんがアップを始めました。まるで今が不幸せだとでも言うような全力キャッチ。でも実際彼がそんなことを考えて跳んでいるのかといえばまったくそんなことはないのだろう。わたしも十分幸せなくせにちゃっかり跳ねている。人間そんなもの。もらえるものはほしい。
「後輩に技でネット出せる奴がいてさ。あれ便利ねー」「便利だね」どこで活用できるのかわからないけど。「ゲットされんなよ、なまえ」「わたしは魚か」せめて人魚姫だといいなあ。フォローを入れる前に海士くんは桜ゲットに興味を移してしまったらしいのでわたしもその話題はやめた。マイペースにも慣れた。一足先に降りてくる桃色をぱちんと捕まえる。なかなかべっぴんさんをゲットできた。ポケットに偶然入っていた、書き込みひとつない生徒手帳をひっぱりだして挟み込む。押し花ってどうやって作るんだったっけな。すぐ忘れてしまう。ほしがるくせにすぐなくす。うん、そんなもの。ばちんと隣ですこしいたそうな音が鳴った。


「取ったどー!」


少しつぶれたピンクを差し出して、海士くんは白い歯を見せた。生徒手帳なんて持ってない系男子の代表はそれを大事そうにポケットに入れる。明日になったらもう忘れてしまうだろう。でもそれは確かにちいさなお揃いだった。へへへー。顔を見合わせればもれるゆるい笑い。なんだかよく分かんないけど楽しいからいいや。帰ろ帰ろ、マイペースな彼にめずらしく急かされて前を向き直る。桜吹雪く下り坂。季節感がないなんて言ったけれど、ちゃんと風情たっぷりな場所もあった。少し冷たい風の中で手を繋げばまたゆるい顔がこっちを向く。舞い落ちてくるひらひらのせいでいまいち視界がよくなくて、笑顔をばっちり見れないのが地味に悔しかった。


「釣り堀にもさ、でっかい桜の木があってさ、ちょうど満開くらいで」

「釣り堀行きたいだけじゃないのー?」

「ちげーし、お花見デート!」


お供しますよ。財布の小銭の数を脳内で数えてからうなずいた。海士くんとしか行かないのにどんどん上達していく餌釣りはわたしも嫌いではない。なによりデート。釣り堀のきたない水面にきれいなピンクが浮いているのを想像してすこし首を傾げてしまったけど、海士くんがご機嫌で走りだしたのでそんな余裕なくなってしまった。コーヒーの香りがする。子どもと大人が混ざり合った、春。






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