わたしそこまで悪くないと思うんだよね。ひたすら無心に足を運ぶ。篤志の言うことは確かに最もだ。でもわたしの意見は人間心理的に最もだ。大体いっつもむかつくのよ毎日毎日わたしをこけにして、ほら見ろカラスだって賛同して鳴いてるじゃない、どや!なんてキメ顔で見上げた塀上の鳥は、少ない街灯に照らされて艶めいている。

南沢家を飛び出してきてから15分が経とうとしていた。着崩れた制服の上にサイズの合わないコート。そばにあったのを引っ掴んだら篤志のだったらしい。2分の1で外れるなんてわたしったら運がなかった。その上足はローファーの堅い革でぐじぐじに靴擦れている。靴下あっても擦れるのに。思わず街灯の下で足を止めると、はだしのかかとがすうっと楽になった。篤志のばか。




喧嘩(?)の理由は何時間か前に遡る。定期テストがおわったということで久々にお泊まり会という名の反省会をすることになって、わたしは買い物をするという篤志より先に南沢家へ来た。馴染みのある篤志ママに挨拶して、部屋で本人をいい子にお昼寝して待っていた。


「誰に許可とって俺のベッド使ってんのお前」

「あ、おかえり」

「はいただいま」


ビニールの音がしたので目を開けてそちらを見ると、篤志は「コンビニ行ってきた」とわたしを転がして落とした。そして当たり前のようにどかっと暖まった場所に座る。いくら自分のベッドだからってひどいやつだ。慣れとは怖いもので、わたしはごく自然に態勢を立て直して部屋のテレビを点けた。

そうこうしているうちに篤志がお昼寝を始めてしまい、わたしはすっかり暇になった。仮にもお客を放置しておやすみなさいだなんて、さすが南沢先輩といったところだろうか。倉間くんがわたしに愚痴りたくなる理由も分からなくはない。うっざいのにむかつくくらいかっこいいもんな、篤志は。見慣れている寝顔を見てみた。かっこいい。むかつく。

とりあえずわたしも軽く寝て、外がまっくらになった頃。そういえば篤志はなにを買ってきたんだろう。部屋の冷蔵庫につっこまれたコンビニ袋を持ち上げた。どうしてわたしは置いていかれたのかといえば多分店内でうるさいからである。やっぱりひどい。覗き込むビニールの中身は一般的なものだった。リプトンとコーヒー、プリンがふたつにシュークリームがひとつ。テレビで取り上げられていたチーズケーキも入って、中3にとってはなかなかリッチなデザートだ。

リプトンとプリンとシュークリームはわたしが好きなもの、残りは篤志が好きなもの。ふたつあるやつは先に食べちゃっても「俺も食いたかったのに」とはならないだろう。これあとでお金払う式かな…。寝息を立てる彼に合掌してから(なむなむではない)ビニール蓋を開けて、一口。普通にうまい。
結局起きないうちにプリンはきれいになくなってしまった。ごちそうさまをしようともう一度ベッドに向き直る。なむなむ、


「わあびっくりした、篤志おはよう」

「…なに、プリン勝手に食ったの」


あれ。起床早々眉間にしわ。挨拶なしで起き上がると、篤志は眠いのかぞんざいに前髪を払った。「たべちゃ、だめだったかな」Yシャツのままの襟元のボタンをひとつ開けて、怠そうに布団ごとベッドを出る。別に。かすれ声はどうでもよさげな割に変な威圧感があった。

いつも篤志はこうだ。本当に伝えたいこともどうでもいいことも、全部同じ調子の声でわたしに言うんだ。カラメルで汚れた器をごみ箱に放って、篤志ははあと浅く息を吐く。


「どうして一人で食ったの」

「…ふたつ、あったし」

「俺がふたつ食うって考えないの?」


淡々としている言葉が重なっていくのをわたしはただ聞いていた。なんか今日、むかつく。ふたつ食べる気なんてこれっぽっちもないのに、罪悪感を与えるだけのための「あーあ」をむだに感情を込めてわたしに向ける。何があーあよ、焼きプリンひとつたまに残す篤志が生クリーム乗りのをふたつも平らげるわけないって、わたしがちゃんと知っていることをこいつは分かっているくせに。

ああ、分かっているから意地悪な顔をするんだ。「なまえサイテー」掌握されているみたいないつもの感じに、なぜだか今日は無性に腹が立った。ごめんなさいを言おうが頭を下げようが篤志の責める言葉は本人が飽きるまで止まらない。だって最初から微塵も怒ってなんかいないんだから。


「…じゃあいいよごめんね、もうひとつ買ってくるから」

「は? どうしたのお前」

「勝手に食べてすいませんでしたあ」


我ながら挑発されすぎだとは分かっていたのに止められなかった。変なの。篤志に歯向かうなんてめったにしないから、きょとんと張られた金色の眼が面白いなあなんて思いながら足元にあったコートを引っ掴んでドアノブをひねった。コンビニだ。コンビニ行って同じやつを買ってきてやる。「食べたかったんでしょ?」ってにやにやしてやる。そんなことが出来たらどれだけ清々しい気分になれるんだろうか。制裁は怖いけど。篤志のたいして必死でもない制止をよそに、わたしは南沢家から真っ暗な雷門町へ飛び出した。そして冒頭に至るのである。





家を出てすぐ、わたしは大事なことに気がついた。お財布、持って、ない。まさかリアルサザエさんする日がくるとは。財布はないし踵は痛いしすぐには帰れないしコートあったかいしもう訳わかんない。コートいい匂いする。普通こういうのってほこりっぽいのにそこはさすが南沢篤志だった。むかつく。鉄塔の方からカラスの群れが移動してきていて、群青色の中にぽつぽつ浮かぶ大量の黒はさっきも見たものなのになんだか不気味である。

……なにしてんだろう。わたし。人っ子ひとり通らない住宅街の街頭の下にしゃがみ込む。かかとは真っ赤になって皮が剥がれていた。でもローファーの踵を踏むってわけにもいかない。爪先立ち、かなあ。携帯も忘れてしまった。もう自宅に帰ろうか。でも自宅は篤志んちのド近所だ。冷えた膝に手をついて立ち上がって、とりあえずコンビニであったまって帰ることにした。ことこと、ゆっくり歩く。ことこと、ことこと、どすどす、ことこと。スープではない。


「………………?」


わたしが立てる革靴の音の中に、別の足音が混ざった。そんな遅い時間でもないし帰宅中のサラリーマンとかだろうか。いやサラリーマンも革靴だよ。ちょっと振り返れば顔なんて見えるのに、わたしの首はぎちぎちと動かない。
普通なら部活が終わるくらいの時間帯。帰宅する学生を狙って変質者が多発するころなのだと、いつもの淡々とした口調で篤志が言っていたのを思い出してしまったのだ。自意識過剰とかいうどころではない話になってきた。

ためしに道を曲がってみた。曲がって曲がって、ことことどすどす。予測どおり何回折れても道は同じである。踵を見捨ててスピードを上げると、後ろも心なしか早くなった。ことこと、どすどす、とんとん。やっぱり離れない。

というか足音増えてる…。

やばいどうしよう、振り返ったらいけない気がしてひたすら早歩き。でも踵がいたくて爪先立ち状態なのでなかなか思うようにスピードが上がらない。指先すら出ないコートの袖を握りしめた。やだ、どうしよう、こわい。まだコンビニは見えない。むしろ意味わかんないとこで曲がったから遠ざかってる。篤志のにおいに顔をうずめた。なんでわたしいきなり家出たりしたんだろうほんと意味わかんない、これであいつの機嫌そこねたまんま死ぬのかなあ(彼がわたしの機嫌を損ねまくるのはよくある話なのでこの際どうでもいいのだ)。


「……たすけろ、篤志…」

「来てんだろ」

「うえあ!?」


いま、篤志の声した。あんなに怖かったのに何の迷いもなく振り返れば、パーカーにマスクの男の人が少し後ろにいるだけ。わたしはついに幻聴まで聞こえるようになったのか。だってあの怪しくないって言ったら嘘になるお兄さんは、南沢篤志とは似ても似つかない「どこ見てんのお前」お隣にちゃんと本物がいらした。

どすどすはあのお兄さんで、とんとんは篤志だったんだ。とんとんの主が立ち止まったのでわたしも止まれば、あれだけしつこくくっついてきていたどすどすの主はこっちをちらっと見ると路地へ消えてしまった。怖かった。力の抜けた足をいきなり篤志がつかむ。


「なんでお前靴下履かないの?前に靴擦れするって言ってたろ」

「あ、冬サンダルもってきてくれたの」

「サボって言うんだよ女子力低いな」


無理矢理ローファーを脱がされて、かかとのない突っ掛けみたいなふわふわ靴に着地させられる。サボっていうんだ。コートのない篤志の手はわたしよりも冷えていた。Yシャツにカーディガンだけでわたしの脱ぎたてローファーを持つ彼は、時間と格好を考えて明らかに急いで出てきた感じである。


「人のコート持っていくわ裸足にローファー履いていくわ、見に来てやれば案の定付けられてるしもう何なんだよお前。財布もないんだろ」

「……ない、です」


はあ。またため息をついて、くるっとわたしに背を向けた。帰るぞってことだ。寒そうな篤志の背中を追い掛ける。
怖かった。うれしかった。いつも計算されたようなタイミングでわたしのところに来てくれるのは秀才だからかな。関係ないかな。もう痛くない足を軽やかに動かして、隣に並ぶ。憎いローファーをぶら下げた方とは逆の手がひまそうに動いていた。いま繋いだら怒るだろうか。


「大体前にこの時間帯は危ないって教えてやっただろうが。1回聞いたことは覚えろ」

「大事なことはもっと印象に残る言い方してよ! …というか、篤志」

「なんだよ」

「わたしのコート、持ってくればよかったのに」

「……まあ、うん」


ごまかすようにばっと向こうから手を繋がれたのでどうでもよくなった。こんな調子だからわたしは篤志にばかにされるのかもしれない。絡めてぎゅうと結んだ彼の指は、どれだけむかついていようがびびっていようが心身がいきなり安心してしまうのだ。あの異様にいらいらしていた時も無理矢理手を繋いで勝手に落ち着けばよかった。

怖いひとにストーカーされたのも靴ずれしたのもほぼわたしのせいなのに、篤志は急いで来てくれる。あのクールな南沢先輩がコートを忘れるくらい急いで。倉間くんが知ったらどんな顔するんだろう。お互い冷えきった手は合わせてもあんまり暖かくならなかったけど、嬉しいので気にしないことにした。おうちへ帰ろう。






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