ただいまー。みんなの脱ぎ散らかした靴を整えたおわったあたりで、奥の部屋からひょこりとヒロトが顔をだした。「ほかえりー」何かを食べているせいでわたしがお風呂上がりみたいになっている。


「みんなスパイクでサッカーいっちゃった」

「だから靴あるのに静かなんだ」


からっとした笑顔の手招きに促されてヒロトの部屋に入る。とたんにし始めた微妙な生臭さに目を細めると、気付いたのかごめんねえとまた笑った。

一人部屋の床にていねいに置かれているのは、読みかけの本となにやら彩りの悪い食べ物の袋。座り込んで取り上げると、それはヒロトをあまり知らない人であれば想像できない代物だった。


「煮干し好きねえ、あんた」

「食べていいよ」


遠慮なく一尾。噛めばじわあと苦みと一緒に独特のうまみが広がった。昼のお弁当以来なにも食べてなかったからいい小腹の足しになる。指先を拭いたヒロトが本を読み始めたので、「サッカー行かないんだ?」とだけ聞いた。


「明日までに読まなきゃいけないんだ」

「借り物か」

「鬼道くんの本」

「あー」


明日は元エイリア混合チームと雷門中サッカー部の交流試合なのだ。ヒロトが円堂くんと電話してたらいつのまにかそんな流れになっていたとか何とか。円堂くんって何でもサッカーだね、そう言ったわたしにヒロトがとても嬉しそうな笑顔を返してきたのが印象的だった。
メンバーは違えど雷門中サッカー部との試合ともなればみんなの気迫はちがう。だから今日も揃ってどたばた練習に行ってしまったわけだ。帰ってきたらまずお風呂につっこまなきゃなあと夕飯のメニューに思いを馳せた。

しかしあの円堂くんとの試合なのに、横に転がっているうちのキャプテンときたら余裕綽々で読書に励んでいる。自信があるのか諦めているのか、それ以上に本が大事なのか。
夕日が差し込む薄暗い部屋でひたすらページを繰る音。邪魔しないように、わたしはひたすらいい子に煮干しを食す。なんだこの状況は。

何分か経ってもずっと本を構うヒロトに、わたしは正直むっとしていた。別に夜読めばよくね?なんてため息。サッカーしに行くならついていってサポートするのに。なによりサッカーなら、チームで1番かっこよく活躍するヒロトが見れる。黄昏に読書っていうのもなかなかロマンチックだけどさ、もうすこし構ってほしいというか。わたし無視ですかというか。そんなことを言ったって自分はヒロトが行くまでグラウンドに出ないんだろうなって分かってるんだけど、分かってるけどね?秘め事のひとりごと。ぼりぼり。煮干しの袋ががんがん軽くなって残り少なくなってきたとき、「ねえ」という突然の待ちわびていたはずのヒロトの声に予想以上に驚いてしまった。


「隙あり」

「っ!?」


あむ。わたしの口から間抜けに飛び出た魚のしっぽにヒロトがかぶりつく。近い近い、そして意味もなく目がえろい。そのまま噛みかけだった胴体もかっ攫われてしまった。揺らいだわたしの腰を支えて「おいしいねえー」なんてご機嫌で言う。わたしがうつむいて悶々と考え込んでいる間に、目の前に座っていたらしい。


「……煮干しでポッキーゲーム…」

「あは、色気ないね」


あっけらかんと言ってまた本を開くヒロト。ああまた構ってくれないのか、恨めしげに睨んでもこっちを見ないのであきらめた。見られても困るんだけど。さびしいの?とかにやにやされるに決まっている。煮干しだけがわたしの友だ。親友に格上げだ。

触れ合う寸前で離れていってしまったから、何も接触のなかったさっきよりもひどく寂しい。欲求不満みたいでいやだ。煮干しをつまみながらちらっとそっぽを向いているはずのヒロトの唇を盗み見ようとしたら、なんとこっちを向いていて煮干しを取り落とした。なんというか、本当にタイミングが悪い。


「…ど、どうなさったの」


わたしは雷門さんか。
顕著すぎる動揺に、ヒロトは案の定にやにやして「煮干しを頂けるかしら」と首を傾けた。オネエ言葉なのになんでかっこいいんだろう。お上品なのに内容がじじくさすぎて思わず吹き出すと、彼もからから笑いながらわたしに擦り寄る。


「なまえー」

「んー?」

「煮干しゲームもっかい」


にこにこ言ってのけて、ヒロトは本を置くとわたしの隣に座りなおした。両手で袋を持って開け口をこっちに向ける。拒否権はないらしい。仕方なく一尾つまむと、なんだか嬉しそうに「手汚れなくて助かるよ」なんて飄々と言ってみせるヒロト。照れのかけらもなくて非常にむかつく。わたしばっかり余裕がないみたい。

しかめっ面のまま干からびた魚をしっぽから食べてぐっとヒロトの方を向く。にがい。そちらをじっと見つめる死んだ目に、まあ当たり前というか、緑のきらきらした目を向けた彼はぶふっと吹き出した。
わたし的にはせめてもの反抗だったんだけど、よく考えたら口から魚の頭という何ともシュールな絵が出来上がっているわけで。横でしばらく肩を震わせて動かなくなったヒロトに、悔しいと同時に無性に恥ずかしくなる。「…もういい、」ばくんと唇を閉じるとあわてたように緑の目がこっちを見た。


「あっちょっと、食べちゃダメじゃないか」

「!」


収納した魚がずるりと引き出されて息を飲む。もちろんヒロトのくちびるに。攫われた魚の頭は軽やかにヒロトの舌に着地して、ぽかんとわたしが彼を見つめている間に嚥下されたようだった。
キスが、にがい。これは思った以上にロマンがない。


「ごちそうさま」


でも最後にぺろりとわたしの口をなめたヒロトは結構上機嫌だったので気にしないことにした。煮干しのキスにロマンがないなんて当たり前だ、だって煮干し自体どう考えても乙女ちっくじゃない。かと言ってポッキーは乙女ちっくなのかと言われると言い返せないところもあるけど。

父さんっ子のヒロトは、煮干しを始めとしてお茶だの煎餅だのが異様にすきである。もちろん小さいころからふたりでべたべたしていたからわたしも渋いものがすきで。
まあ、わたしはキスの口実に使いたくなるほどすきではないんだけど。そんなの別に構わない、だってヒロトのことがすきだから。

お互い顎を動かしながら笑い合って、彼はわたしの太ももにとんと頭を置いた。本を開いて甘えた声。


「明日さあ」

「うん」

「なまえ来てくれないと負けちゃうから、来てね」

「なんだそれ」

「だって俺練習してないもん」


来てくれないとがんばれないもん。本に集中し始めてしまったキャプテンの赤い髪を撫でながら、はいはいと表面上だけ呆れた声を返した。






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