お菓子やら飲み物を入れたビニール袋ががさがさ鳴る。花も片手に病室のドアを引いたとたん、ホイッスルの高音が耳を心地よくつんざいた。見れば、備え付けのテレビにDVDデッキを繋いでじいと液晶を見ている部屋主。「アルティメットサンダー!」神童くんかわいい。
「また京くん見てるの?」
「あ、なまえ。いらっしゃい」
やっと気付いてこっちを見た優一は溢れんばかりの笑顔、ブラコンは今日も健在なようで安心。サイドテーブルの花瓶を引き寄せながらわたしも帝国戦の観戦をはじめた。もう何回目だろうこれ見るの…言わないけど。
「京くん最近忙しそうだね」
「いよいよ予選決勝だから。頑張ってるみたいで何よりだ」
優一はそう言って、わたしがベッドに座れるように足をよいしょと手で持ち上げて動かした。動かなくなった最初よりも言うことを聞くようになったような、そこまで変わっていないような。目をそらした先に転がっているサッカー雑誌と目が合う。ホーリーロード特集号。どこもかしくもサッカーと京くんまみれで、苦笑どころではない。
わたしと剣城兄弟は幼なじみだ。同級生の優一が入院しはじめた頃から学校以外はずっと病室にいるので、看護士さん達ともすっかり仲良くなってしまった。
京くんの、京介の成長もずっと見てきたつもり。優一のために歪んでいくのを止められなくて、そこまで歪んでいることも知らなくて。わたしはなにも出来なかったししなかった。間違ってはいたけれど、優一のもう一度サッカーをしたいという夢のために自分を殺していた京くんに気付いてあげるべきだったなあと今更思う。
「ほらなまえ、京介が」
「はいはい、アルティメットサンダーテライケメン」
「かっこいいだろ」
「そうだねー…いきなり大きくなっちゃって」
あんなに小さかった京くんは、ちょっと前についにわたしの身長を越えていった。優一に促されて背比べした時のはにかんだ笑顔がすごく嬉しそうだったのを鮮明に覚えている。そして誰よりもその成長を喜んでいたのが優一だったことも。
…どうしても京くんの話ばかりになるあたり、わたしも人のことをブラコンとか言えないのかもしれない。京くんはわたしにとっても、二人でもちゃもちゃいじり倒して可愛がってきた大切な弟なのだ。
「海王戦の応援行きたいってメールしたらさ、だめって言われちった」
「残念」
マッハウィンドの突き刺さったゴールネットが大きく形を変える。朗らかに画面に視線を戻す優一の隣で、わたしは彼が退けた掛け布団を捕まえた。「寝るの?」うなずけば、日に焼けていない手が伸びてくる。細い左腕がシーツに横たわったので遠慮せず頭を乗せた。肘を曲げてあやすようにわさわさ撫でてくるのが心地よくて目をつぶる。
「外の匂いがする」
「そとの、におい?」
「病院は消毒浸けだからね。京介もだけど、なまえからは特にいろんな匂いがするんだ」
一定のリズムで髪を撫でる手。病室の窓からはいい感じに日がさして、皮膚越しなのにまぶしい。でも閉めに行くのがいやになるほど、今わたしは気持ちよかった。
ここに来るのは優一に勉強を教えるためのはずなのに、大抵食べたり話したり昼寝したりでおわってしまう。こいつは賢いから、わたしがひとつひとつ教えなくてもわからない箇所をまとめて答えるだけで十分に基礎学習ができるのだ。
だからまあ、いいか。看護師さんはわたしがこのベッドで昼寝してるのなんて見慣れてるし、三大欲には勝てない。京くんが来る夕飯の時間あたりまで寝てしまおう。どうせわたしが寝たら優一も寝るんだから。多忙弟が前より来てくれなくなったもんだからさびしいのか、最近暇人兄はやたら甘えてくるのだ。
実況の声が京くんのゴールを伝えて、優一が微笑む吐息を感じた。わたしは京くんの代わりじゃないんだぞ。半分ふて寝のわたしを、DVDデッキを操作しながら優一はよしよしと撫でる。
「なまえ」
「んー」
「大好きだからね。おやすみ」
甘えを超越してきやがった。
家から持ってきているパジャマから柔軟剤の匂いがする。病院の中ではあまり嗅がないその異質を感じる度に、優一はまだ呑まれてないんだなあとかよく意味のわからないことを考えて安心するのだ。
ひっついた腕に頬の熱が伝わりそうで飛び起きた先には、両手を広げた優一が待っていた。
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