あーやっとおわった。
こういう時委員長ってめんどくさいな、生徒会が持ってきた報告書をひらひらさせながら荷物を置きっぱなしの教室に戻る。図書委員会ってなんで地味で教室での地位も低いのに仕事多いんだろう、不公平な権力社会だ。

なくしそうだしそのまま教室で書いて出してっちゃおうとドアを横に引くと、後ろの方に夕日に照らされた人影がぽつんとあった。もうこんな時間なのに何だろうとまぶしがる目を細める。


「…あれ、篤志?」

「なまえ」


やたら色気のある頬杖ポーズで本から顔をあげたのは幼なじみだった。まさかとは思う、けど、こいつわたしのこと待ってた?なんて淡い期待。もちろん悪い気はしない。
また本に視線を落とし、終わったのかとどこか弱い声で聞く。うんとうなずくとなぜか無言を返された。何こいつ。


「どしたの、篤志補習なんてないでしょ」

「今日中に返そうと思って」


長い指で示された文庫本はたしかにわたしが貸したものだ。荷物が置いてあったから読みがてら待っていた風である。もう少しだから待ってろ、と残り少ないページを繰る音。

何の行事もない、普通の放課後。暑かったのか開け放たれた窓から外を見ると、陸上部が仲良く息切れして外周から帰還してきていた。バレー部の女の子たちがお財布片手に飲み物調達へ出かけている。

職員室前にある部活予定のホワイトボードは、すべて埋まっていた。


「…篤志、」


それ明日でもいいよ。
そんなことはわたしには言えなかった。言えっこない、そんなこと。でも言わないとわたしのいる意味がない。言葉を呑んだわたしの口元をきれいな目が不思議そうに見る。制服姿の、篤志が。


「どうした、なまえ」


彼の席の前にあっただれかの椅子を引いて、聞いてくるそいつに向き直る。どうしたなんて何であんたに言われにゃならんのだ。今の自分の目がどれだけきれいに陰っているのか気付いていないのだろうか。いないんだろうな。知っていたらきっとこいつはわたしの前に出てこない。


「なに、意地張ってんの」


おでこをぺちんと叩いて読書を強制終了させる。赤くなった所をさすった篤志は本を閉じて、きっとわたしを睨んだ。全然怖くない、そんな目じゃ。


「…意地なんて」

「行きたいなら行けばいいでしょ、帰る理由わたしにしないで」

「俺がお前に甘えてると? 俺は自分の意志でやめたんだ、そんなこと」


悩んで学校に残ってる訳じゃない。
主張した目からついに溢れた。ぱたたと落ちた雫はわたしの本を濡らしていく。本気で自分の涙に気付いていなかったらしい篤志はあわてて水のしみ込んだ借り物をどけた。「…悪い」何その声、ばか。

机に乗せられたかばんは明らかに教科書じゃないもので膨らんでいる。準備万端、サッカーをしたいと訴えている彼の心の中みたいに。


「…篤志、帰ろう。駄菓子屋寄ってさ」


報告書は適当に折り畳んで机に放り込む。わたしの仕事はもうこんなのを書くことじゃない。河川敷とは真逆の道へ誘ってかばんを肩にかけると、ゆっくり篤志も立ち上がって本をしまった。

わたしだって楽しげにボールを追いかけていた昔の篤志の方がすきだった。成績のためとかかっこつけ始めた彼の瞳の揺れを知っていた。倉間くんたちがこぼす愚痴は、篤志もきっと共感できるものだったんだろうと思う。雷門の負けをばかにする何も知らない生徒が嫌いで仕方なかった。

だからこそ、松風天馬はまぶしすぎたのだ。憎いほどに。したいものとはちがくても「サッカー」を続けられればそれでよかった篤志は壊されてしまった。彼の無垢な愚かさと、蝕まれた社会に板挟みで追い詰められる。不公平な権力社会に。

ホワイトボードの円堂監督の楽しそうな汚い字は、わたしと篤志ではもう手に入らない希望だった。






BAD BYE.






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