次の日学校に行っても、わたし達の会話頻度は女装を見る前と変わらなかった。学校にいるのは霧野とみょうじ。わたしが仲良しになったのは霧野じゃなくて蘭ちゃんなのだから当たり前と言えば当たり前である。

そのかわりにメールはよく来た。他愛もないデートもした。でも霧野とみょうじの繋がりは携帯の中とデートの最初と最後数十分だけで、「出かけないか」と誘われても大半の時間は蘭ちゃんと一緒である。女装を解いた姿とはあまりしゃべることが出来ないままわたしと霧野の奇妙な関係は数ヶ月続き、真冬だった季節は気付けば立春を越えた。




「おまたせ」
「いえいえ。どこいく?」
「あ、ミスド今100円だぜ」

すっかりスカートに慣れてしまった蘭ちゃんがトイレから走り出てくる。ちなみにトイレというのは男子用でも女子用でもない、いわゆる車椅子でも入れる共用のもの。後ろめたいのかいつも5分かからず着替えて出てくる。
学校帰りのエナメルに合わせたらしく、今日の服はボーイッシュにまとまっている。2回目のデートで二人でユニクロに寄った時のやつかな。「ポニーテールにしてあげようか?」聞けば蘭ちゃんは、すこし緊張した面持ちでお願いしますとわたしに背中を向けた。そういえば髪を触るのは初めてだ。いつもの黒ゴムを解いて、相変わらずいい匂いのする桃色を梳いた。ドーナツの油とチョコレートの中に混ざる女子みたいなシャンプーの香り。お母さんとおなじものを使っているのかもしれない。

「あ、汗かいてないか?」
「女の子みたいなこと気にするね…そういや今日部活ないんだ、めずらしい」
「明日はまた朝からある。今日休みな分みっちりだよ」

ポンデショコラを飲み下して、蘭ちゃんは困ったような口調なのに楽しげに笑った。サッカーそんな楽しいのかな。確かにサッカーをしてる毎日の霧野はきらきらしている。
でも女の子の服を着てわたしとドーナツを食べる時の蘭ちゃんだって同じくらいきらきらしている気がする。女装で外出、楽しめてるのかな。それならわたしも本望だけど。

彼がわたしとデートしているのは、「蘭ちゃん」として一緒に行動出来るのが世界にわたししかいないからだ。あの日すれ違って目が合ってしまったのがわたしじゃなかったら、きっと彼は今までどおりそこまで仲が良いわけでもないただのクラスメイトとしてわたしを扱っただろう。そう考えると最近切なくなる。なまえちゃん、そう親しげに呼んでくれるのは霧野ではなく蘭ちゃんなんだから。持っていたシュシュで髪を飾ると、蘭ちゃんはいっそうフレッシュでかわいい女の子に見えた。わたしとは違うなあ。蘭ちゃんも霧野も。

「今日休みなら、はやく帰ってゆっくりしなくて大丈夫?」

着席し直したわたしに礼を言った蘭ちゃんは、質問に対してぽかんとした顔をした。釣られてこっちも口を半開き。サッカー部は特に練習が厳しいと聞く。朝から真っ暗になるまで毎日走り回っているわけだから、貴重なお休みくらいは家でぽけっとした方がいいんじゃないの。わざわざ何駅も離れたミスドでわたしとお茶しなくても、サッカー部のやつらとラーメンでも行ったほうが楽しそうだ。

口半開きの蘭ちゃんは早くも二つ目のドーナツに手をかけていた。彼はとにかくたくさん食べる。デートするようになってから知った「霧野」の一面。チョコレートで溢れたトレイを眺めていると、蘭ちゃんはからっと笑った。


「逆。せっかくの休日なのにもったいないだろ」
「まあ、女装できる機会だもんね」
「…そうそう」

ドーナツをかじるポニーテールが揺れる。蘭ちゃんのかわいい顔がすこしだけむくれたように見えたが、もう一度見直すとそのままなにも言わずに生クリームを口端にくっつけていた。落とした視線の先に新メニューの広告がある。チョコレートをふんだんに使ったそれは、まさに蘭ちゃんの好きそうなもの。霧野が、好きなもの。

「バレンタイン」

ぴく。学校にいるときよりも心なしか丸い気がする肩が弾んだ。「もうすぐだね」「…そう、だな」…………。会話は弾まない。なにかバレンタインについて気がかりなことでもあるんだろうか。チョコレート好きな蘭ちゃん、もとい霧野にとってはなかなかハッピーなイベントなんだろうと思ったのに。
何といったって霧野は雷門サッカー部のeveryスタメン、エースディフェンダーなのだ。そしてこれでもかというくらいの端麗な容姿。短髪にしたら多分ただのイケメン。今の時点でもシャイニーフェイス、性格だってがさつな所もあるけど優しくて男前である。女も男も黙っているわけがない。

「お返し大変なんじゃない?」

ジュースを啜るわたしに蘭ちゃんは何とも言えない顔をした。…嬉しくないのかな。悔しいことに彼レベルなら本命も義理もむちゃくちゃもらえるだろう。そう考えるとお返しは金銭的にも精神的にも相当な重荷だ。去年はクラスが同じじゃなかったから分からないけど反応を見るかぎりは2桁なんて余裕だと思う。
今年はわたしからもあげるつもりだけどどうしよう。お返しは結構ですなんて言うのも何だかあざとい。それにわたしは、

「受け取らない」

……え。また口をあけるわたしを、蘭ちゃんは真面目な目で見た。見つめてくるきれいなマリンに酔う。女装してるくせにどうしてそんなに男前オーラを出すの。あの日の白いワンピースの時は、天使のようなお姫さまのようなふわふわ空気だったはずなのに。

「今年は14日、本命もらわないつもりなんだ。俺」

ぽてりとドーナツが手からこぼれた。そこらの女子みんなの気持ちは受け取れない。そういうことなんだと思う。彼なら多すぎて応えようがないとか言われても想像はつく。今は恋愛する気分じゃないとか、そういうの。確かに全部受け取ってひとことで適当に済まされたりするよりはマシだしチャラくもない。義理だって見栄を張って渡す切ない女の子が多発するのが目に見えているけど、多発したところで責任は彼にはまったくないのだ。
覚えていたつもりだった。霧野が、大人気の雷門サッカー部のモテ野郎だってこと。お姫さまなんかじゃないこと。

「…もてる男は大変ですねえ」

霧野はみんなの王子さまだ。わたしが仲良しなのは、お姫さまの蘭ちゃんだけ。
「そんなことない。神童とか南沢さんに比べたらな」霧野の顔をした蘭ちゃんは、むずかしい表情のままゆっくりやんわり言葉を否定した。






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