煉獄杏寿郎の場合
サイフォン式の利点は再現性の高さにある。ハンドドリップではどうしても淹れる人間の練度が味に影響してしまうけれど、サイフォン式なら加熱時間を決めておけばほぼ同じ品質を再現出来る。つまり、バイトの私にも、マスターとあまり変わらないコーヒーを淹れることが出来るのだ。
私はサイフォンの加熱時間を段階ごとに細かく書き留めたメモ用紙を何度も何度も読み直しながら、喫茶店のカウンターの中、ひとりでハラハラとマスターの帰りを待っていた。
ソウマミズキ、はじめてのおるすばんです。

たくさんお客さんが来たらどうしよう、同時に電話が鳴ったりしたら、と色々考えて不安になっているけど、自分でもそんな事態は早々ないと分かっている。何せここはオフィス街で、ランチタイムが過ぎてしまえばサーッと客足は遠のいて、たまに営業さんとお客さんかな?という組み合わせがコーヒーを交えて打合せをしに来ることがあるくらい。マスターだってそれを分かってて、いちばん事件の起こりそうにないこのアイドルタイムを選んで出掛けてくれたのだ。
「1時間ぐらいで戻るからね。調理が必要な注文があったら僕が不在だからと断ってくれていいし、携帯も持っていくから」と言ってくれたマスターに『お父さん!!』と飛びつきたくなったのを我慢したのが5分前。
幸いお店の中には今お客さんはいない、と思ったところでカランカランとドアベルが鳴って私はきっと傍目に分かるほどビクついてしまった。

入ってきたのは、よくお店に来てくれる常連さんだった。
この人はとにかく、一度見たら忘れがたい容姿をしている。髪が美しい黄色なのだけれど毛先はところどころ赤くなっていて、目は猛禽類のように爛々としている。男らしい立派な眉で、体つきも筋骨隆々という感じ。あと、ものすごく声が大きい。当店おすすめのスイートポテトを食べたときに響き渡った「わっしょい!!」の声には、居合わせたお客さん全員が振り向いた。一緒に来ていた身長2mくらいありそうな恐ろしく美しくて派手な男性に「うるせぇよ」と頭を叩かれていた。

私が慌てて「いらっしゃいませっ」と緊張丸出しで言うと、そのお客さんは何度かぱちくりと瞬きをした。

「今日は店主殿はご不在なのか?」
「は、はい…1時間ほど。なので、すみません、今調理の必要なものがお出しできません」
「構わない。コーヒーを頼む!」
「はいっでは、お好きな席でお待ちください」

粗相のないようにしなければ!と一層緊張しつつ、おしぼりをお出ししてからコーヒーの準備を始めた。確認しすぎなほどメモを何度も見ながら一応手順通りにコーヒーを作る。せめてあのお客さんの好きなスイートポテトがあればいいのに、生憎季節はずれだ。
温めたカップにコーヒーを注いで、スプーンを添えて、ミルクはいつも断る人だけど一応持っていこう、これでいいはず、うん。
零さないように慎重に運んで「お待たせいたしました」とお客さんの前に出す頃には、『ひとまずできた、よかった』の思いでほんの少し緊張を解くことができた。

「ありがとう。君にコーヒーを淹れてもらうのは初めてだな!」
「はい、初めてのお留守番なんです」
「そうか!不安だろうが、立派に務めている」
「ありがとうございます。ミルクは今日もご不要ですか?」
「…じゃあ、今日はいただこう!」

持ってきてよかった!とカウンターの内側へ戻りながらほんの少し前の自分を褒めた。
お客さんも笑顔でいてくれたし、ひとまず失敗せずにできた達成感でほわほわしていると、裏口から業者さんの間延びした挨拶が響いた。そういえばこの曜日この時間にはコーヒー豆の搬入があることを思い出して、裏の通用口を開きに行った。

挽く前の丸い豆はチョコレートみたいにつやつやで、ほんのり香ばしくて、手に取ると何だか愛らしいような気さえして好きだ。
いつも通りのごわごわした麻袋にぎっしり豆が詰まったものがドスンと足元に降ろされ、受領のサインをした。私がチラッと店内の方を見て新しくお客さんが来ていないか確認しているその一瞬の間に、業者のお兄さん2人はだいぶ発音の崩れた「ありがとうございました」を言い残してさっさとトラックに乗って去ってしまった。呼び止めようとするも後の祭り、大きな大きな麻袋と一緒に立ち尽くしてしまう。
いつもならこの重い麻袋を保管スペースまで業者さんが運んでくれるのだけれど、今日のお兄さんたちは見たことのない人だったから知らなかったに違いない。仕方ない、けどどうしよう、大事なコーヒー豆をいつまでもこんな裏口の床に置いておけないし、でも引っ張ったところでびくともしない。それにこんなところでアワアワしてる間にお客さんが来たら?今いるあの常連さんが飲み終わったらお会計と片付けをしなくちゃいけないのに。

「どうした?」

お店の中から声がして振り向くと、カウンターの向こうに常連のあのお客さんがこちらを覗いていた。

「あっ、ごめんなさい!追加のご注文ですか?」
「いや、何か困っているように感じたのだが…失礼するぞ!」

言うが早いかお客さんはカウンターを回り込んでつかつかと裏口までやってきて、「これを運ぶのか?」と麻袋の前にしゃがみ込んでひょいと何とも軽そうに持ち上げてしまった。
え、さっきまで床に溶接してありますか?っていうほど動かなかったのに!?業者さん2人で運んできたのに!?というか、お客さんに!荷物運びとか!

「だっだめですお客さんにそんなこと!」
「もう持ち上げてしまった!どこに置いたらいいか教えてくれ」

ここまで言われてしまえば床に戻せと言うのも失礼で、申し訳ないながら案内していつもの保管場所まで運んでもらってしまった。

「これでいいだろうか!」
「はい、あの、ありがとうございます…正直途方に暮れてました」
「気にすることはない、居合わせた甲斐があった」

はっはっは!とその人は明るく笑って客席の方へ帰っていく。何かお礼、あるいはお詫びを!と思うのだけれど、その人はずんずん戻っていってしまう。咄嗟にワイシャツの腰辺りを抓んで引き留めると、その人は元々ぎょろりと大きな目をさらに丸くして私を見た。

「あのっ!何かお礼を、私本当に申し訳なくて、」
「さっきも言ったが本当に気にしないでほしい。ただそうだなぁ…それなら、コーヒーのお代わりをもらえるだろうか!」
「そ、そんなことで…?」
「無論だ。君のコーヒーが飲みたい」

そう言うとその人は、いつもハキハキと快活な表情をしているのに、このとき急にゆるゆると目を細めて穏やかに笑ってみせた。
いつもお日さまみたいに明るく堂々としているのに、不意にこんなしっとりと静かに微笑まれてしまって、鏡を見るまでもなく私は赤面の自覚があるし、心臓が肋骨の内側で跳ね回っているみたい。声が裏返りそうになりながら「すぐにお持ちします」と言えば、またその人は優しく微笑んで「席で待っている」と歩いていった。

スイートポテトはないけれどせめて何か、と冷蔵庫から一番人気のチーズケーキを出して、サイフォンスタンドの首を持ってお客さんの席へ。
お客さんの前にチーズケーキを置くとキョトンとした顔(何だか可愛い)をするので、「お嫌いでなかったら、召し上がってください」とお願いすると困ったように笑ってくれた。

「お礼目当てではなかったんだがなぁ」
「足りないくらいです。私ならあんな重いものを運んで、チーズケーキひとつじゃ納得しないです」
「はっはっは!君にあんな重いものを運ばせはしないさ!」

何とも漢気溢れる良い人だ。
空になっていたカップにコーヒーを注ぎ直して「ごゆっくりどうぞ」と戻ろうとすると、手首を引き止められた。

「…良ければ座って、少し付き合ってもらえないだろうか」
「え?でも…」
「勿論他の客が来たらそちらに対応すればいいし、迷惑でなければどうだろうか」

今度は急に凛々しい眉をハの字にして心細そうに見上げられてしまえば、「じゃぁ…ちょっとだけお邪魔します…」しか、出てこなかった。

そこで初めてお名前を伺ったのだけれど、その人は煉獄杏寿郎さんというのだった。
近くの会社で営業職をしているそうだ。
煉獄さんはさすが営業職というところで私に色々質問して喋らせてくれた。
近くの大学の3回生だとか、専攻が何だとか、このカフェのサンドイッチは卵サラダだけ私が作らせてもらっているだとか。煉獄さんはゆったりと目を細めながら「うん、うん」と聞いてくれた。

ふと時計を見るともうじきマスターが帰ってくる時間で、同時にはたと気付いた。煉獄さんのお時間は?こんなにノンビリ私の話なんか聞いてる場合じゃないのでは!?

「ごめんなさい、お喋りが過ぎました!煉獄さんお仕事に戻られないといけないんじゃないですか?」
「あー…うん、」

何やら珍しく歯切れの悪いお返事だと思ったら、煉獄さんは目を逸らして後ろ首をガリガリと掻いていた。

「…今日は休暇を取っている」
「え?」

丁度そのときマスターが帰ってきて、私は何だか事が飲み込めないまま仕事に戻ったのだった。




それからというもの杏寿郎さんは来店するたび卵サンドを注文してくれるようになったし、目が合うと秘密を共有するみたいに笑ってくれるようになった。
寝顔を知る仲になった今はよくよく知っているのだけれど、彼はとても逞しくて、大きな優しさと温かさを持っていて、あと同じだけ可愛らしい人なのだ。
朝私がコーヒーを淹れていると香りにつられて起きてきて、私を後ろから抱き締めて「ベッドから君がいなくなるのはいやだ」と言っちゃうくらいに。


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