油断も隙も余裕もない 

おやすみの朝おやすみ前の夜 のふたりの馴れ初め話



会社帰り、駅ナカのコンビニ前を通りすがったところで実弥の端末に着信があった。ディスプレイを一瞥した彼はムッと軽く口元を曲げて人の流れを外れてコンビニの前へ進み、雑誌コーナーと窓ガラスを挟んで背中を合わせるように立って応答した。

取引先からの電話とあれば、定時後でも無視は出来ない。しかし用件は大したことのない、今日提出した見積書の内容についての確認で、確実に明日でいいような件だった。丁寧に受け答えしながらも実弥は内心悪態を吐いていた。この取引先の担当者、中年に片足突っ込んだ未婚女性なのだけれど、雑談まがいの電話を勤務時間外に寄越しがちなのである。

その時、実弥の隣に立つ女性が一歩後ずさって、コンビニのガラス面に背中を預ける形になった。その動きの違和感が視界の端に引っ掛かって、実弥は横目に彼女を見た。若い女、困り顔、彼女の目の前に立つ男とカップルかと思いきや違うらしい。
金曜の夜に女を引っ掛けて酒でも飲みに行こうという男の魂胆が見えて実弥を更に苛立たせた。

取引先の雑談、隣のナンパ男、困る女性、駅の雑踏、構内放送、改札が残額不足のアラームを上げた。

「うるっせェ…」

気付いた時には口から本音が漏れ出ていて、電話の相手が「え?」と聞き返した。実弥は慌てて取り繕って電車の時間を理由に通話を終えた。
隣のナンパは続いていて、女性はガラス面に当たってそれ以上後退出来ないでいる。
「おい」と吐き出した声が正義感よりも苛立ちを乗せていたことは否めない。

「俺の見間違いじゃなけりゃ、相手は迷惑そうに見えるんだがなァ」

ナンパ男は喧嘩腰の表情で実弥を見たけれど、彼の顔に走る大きな傷や腕っ節の強そうな見た目に恐れをなして勢いが萎んでしまい、ごにょごにょと言い訳がましい音を漏らしながら去っていった。骨の無い野郎め、と実弥は内心吐き捨てた。

「あ、あの」

恐る恐る発せられた声に実弥が隣を見ると、成程ナンパされ易そうな可愛らしい器量と押しに弱そうな雰囲気の女性だった。

「ありがとうございました、助かりました」
「ア?あー別に…変なのに絡まれる前に帰れよォ」
「実はいま友達を待ってて。しなずがわさんもお気を付けて」

実弥ははたと止まって女性の顔をまじまじと見た。

「さっき電話に出るとき『しなずがわです』って言ってたから」

そういや名乗ったか、と実弥が少しの気まずさから襟足辺りを掻くと、女性は少しいたずらっぽく笑った。

「すごーく嫌そうな声だなぁって思って、ごめんなさいちょっと聞いてました」
「アンタ意外と余裕じゃねェか」
「だって、相手が喋り終わったら『友達を待ってるので行きません』って言おうと思って待ってたんです。だけど全然話し終わらないんだもん」
「世の中礼儀正しい人間だけじゃねェって覚えときな」
「しなずがわさんは良い人っていうの、今日の収穫です」

女性はほわほわと笑った。実弥は『そんなホワホワしてっから変な野郎が寄ってくるんだ』と説教でも垂れたいような、悪い気はしなくてむず痒いような、何とも微妙な気分で彼女から目を逸らした。
そこへ、コンビニから出てきた別の女性がずんずんと強い足取りで寄ってきて実弥に食ってかかった。主張を聞くに実弥のことをナンパ野郎だと勘違いしたようで、そのことはすぐに元の女性が訂正を入れた。

「なぁんだ、アンタのことだからまたナンパされてたのかと思った」

いやナンパならされてたぞコイツ、と言ってしまおうか一瞬考えて、実弥は間柄の薄さから何となく口を噤んだ。きっともう会うこともない。

「そんじゃ、気ィ付けてな」
「しなずがわさんありがとう。バイバイ」

幼く親しい別れの挨拶。就職してからそうそう使うことのなくなったその言葉に、実弥は笑いながら軽く手を上げて別れた。
別れて改札を通ってから、そういえば相手の名前も聞いていないことに気が付いて振り向いて見たけれど、当然彼女の姿はもう見えなかった。
まぁいい、きっともう会うこともない。

と、思っていたら、袖を引かれた。

具体的に言うと、ナンパを追い払った件から5日後の同じ時間帯、助けた相手から。

「やっぱり、しなずがわさんだ」
「…お前」
「あ、覚えてないですか?先週末にコンビニ前で助けてもらったんですけど」
「イヤ覚えてっけど…」

実弥は気を抜くと声が裏返りそうになるのを、腹に気合いを入れて鎮めていた。何せ『バイバイ』で締め括られた初対面を終えて以来、ずっと彼女の顔が脳裏にチラついて、せめて名前ぐらい聞けば良かったという後悔と共に気付けば雑踏にその姿を探していたから。有り体に言うと、非常に好みのタイプだった。
彼女は初対面の時と同じ柔らかな笑顔で実弥との再会を喜んでいる。

「よかった、また会えたらお礼しなくちゃって思ってたから」
「別に見返り求めてやったんじゃねェ」
「ほらやっぱり良い人」

彼女はそう言ってふくふくと笑った。飴玉を口に入れた子どもみたいに。
実弥は髪を掻き毟りたいような腹の底から声を上げたいような気分で、最早恋を自覚せざるを得なくなっていた。ついでに、先日コンビニ前で彼女をナンパしていた男の気持ちが少し分かってしまった。こんな可愛らしくてふわふわとした女性がコンビニ前で手持ち無沙汰に立っていたら、声を掛けたくもなる。

彼女は実弥の時間の都合を尋ねて食事に誘った。

「その前に」
「はい」
「名前ぐらい聞いときてェんだが」

彼女はそこでようやく名乗ってもいないことに気付いたらしく、笑って謝った。
ソウマミズキというそうだ。
それから連れ立って入った居酒屋で、実弥は連絡先の交換を内心期待しつつメッセージアプリのプロフィールを表示して名前の漢字を伝え、平仮名的な発音だった呼び方を改めさせたし、希望通り連絡先も得た。

そこから親しい知人としての付き合いが始まり、たまにふたりで酒を交えて食事をする仲になった。その内に懐っこいミズキは呼び方を『実弥さん』に変えた。
ただ初対面がナンパ撃退だった手前、下手に告白を早まろうものなら『やっぱり男の人って』と失望の目で見られるのが実弥には恐ろしかった。だから彼はいつもほんのり酒が回ってくると頬杖をついて柔らかくまなじりを下げ、「うん、うん」とミズキの話を聞きながら彼女を眺めるようになった。

「あのね実弥さん」
「んー?」

いつも通り、退勤後に落ち合って居酒屋で酒と料理を啄んでいる時だった。唐突にミズキが言った。

「私の勘違いだったら笑ってほしいんだけど」
「おォ言ってみ」
「実弥さん私のこと好きなんじゃないかな」
「ンブッ!?」

あわや含んだばかりのビールを噴くところだった。実弥が少々咽せつつ何とか飲み下していると、ミズキはグラスの結露を指でなぞりながら不満げに口を尖らせた。

「私ね、友達によく『警戒心なさすぎ』って怒られるんだけど」
「あァうん」

確かに。

「好きじゃない人をお酒に誘ったりしないよ」
「アー…その、うん」
「私のこと大好きーって顔で見るくせに」
「バレてらァ…」
「ばればれ」
「格好悪ィな」

ミズキが表情を緩めてふくふくと笑った。
「でもやっと両想いだよ」、違いない。

改めて恋人として食事を再開したところで、実弥にまた例の取引先から着信があった。
ミズキに笑って促されれば無視も出来ず、席を立って応答するとまた世間話が始まった。今回は居酒屋の音を拾ったらしく、落ち合って飲まないかと誘いがあった。

「申し訳ないのですが、またの機会にさせてください。今日は恋人と来てますので」

これを言ってやれば、さすがに相手も察して波が引くように遠ざかって通話が終わった。
二度と掛けてくんなと内心毒づきながら実弥が席に戻ると、半個室のそこに他の客と思しき男が入り込んでミズキを連れ出そうとしていた。
瞬間実弥のコメカミに青筋が立って、男の肩を握り潰さんばかりに力を込めた。

「俺の恋人に用があんなら俺が聞いてやらァ」

転がるように逃げていった男の背中を睨んでいると、実弥の裾がついついと引かれた。彼が見るとミズキが嬉しそうに笑っている。

「実弥さん、恋人って言った」

めっっっちゃくちゃ大切にする、と実弥が決意した瞬間である。





ネタポストより『【おやすみの朝】【おやすみ前の夜】の実弥さんカップルの出会いや馴れ初め話』

この話の特色なので、存分にナンパネタで書かせていただきました!


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