おやすみの朝 

ミズキはぱっちりと目を覚まして、休日の朝のわくわくとした空気を呼吸した。カーテンの向こうには爽やかな朝が来ているようだった。
隣の恋人は強面の割にあどけない顔で昏々と眠っている。この1週間日付を跨ぐような残業が続いて、ようやくひと段落だと落ちるように眠る前に言っていたから無理もない。実弥を起こさないように、ベッドのスプリングが鳴らないようそっと布団から出て、ミズキは猫のように伸びをした。

先週末は実弥が休日返上で仕事をしていたから、一緒に休日を過ごせるのは久しぶりな気がする。疲れてるだろうから家でゆっくりがいいかなぁ、と観たい映画やドラマを頭の中に思い浮かべながら洗面所に入り、なるべく静かに身支度をした。
普段なら実弥の方が早起きだけれど、今日は何時まで寝るか読めない。
朝ご飯何にしよう、と考えたとき、ふとミズキは最近すぐ近くに新しいパン屋がオープンしたことを思い出した。時間を確認すると彼女はにっこりと唇で弧を描き目を輝かせて、スマホと財布だけを持ってなるべく静かに家を出たのだった。

まだ温かいパンの入った紙袋を大切に抱いて、ミズキは鼻歌混じりにエレベーターを降りた。軽い足取りで部屋へ続く外廊下を歩いていると、突然目指していた扉が内側から荒っぽく開き、転がるように実弥が飛び出してきたので思わず立ち止まって目をまん丸に見開いたのだった。
実弥の方は廊下の先にミズキの姿を捉えて一瞬ぴたりと動きを止めた後、あまりに慌てた様を見られた羞恥心が湧いたようで、妙に真顔になってずんずんと彼女との距離を詰めた。

「…どこ行ってたァ?」
「近くに新しいパン屋さんができたでしょう?ほら見て、まだ温かいの」
「…おォ」
「一緒に食べよ?ね、おはよう実弥さん」
「…ん」

ミズキが促して部屋に戻ると、扉の内側に入った途端に実弥が彼女の小さな背中を抱き締めた。

「実弥さん?」
「…目が覚めたらいねェんで、焦った」

実弥は普段きちんと自立して甘えるよりも甘えさせることを好む人で、耳の後ろ辺りに彼の柔らかな髪が擦り寄せられると、ミズキはその甘えを含んだ仕草に喜びを覚えた。手を上げてその頭をふわふわと撫でた。

「黙って出ちゃってごめんね。後でお昼寝しよ、そしたら実弥さんが起きたとき絶対隣にいるから」
「ガキか俺ァ…情け無ェな」
「私嬉しいよ?ふふ、さっきだって探しに出なくても電話くれたらいいのに」
「…咄嗟に、人攫いにでも遭ったかと」
「飛躍の飛距離が」

ミズキはからからと笑って、やっと靴を脱いで室内へ上がった。実弥が溜息混じりにその背中を追う。
ミズキは実弥の発想を飛躍していると笑うけれども、彼は至って真面目だった。ミズキはとても愛らしい容姿をしているし、いつもにこにこと笑顔で、『強く頼めばどうにかできそう』とは彼女の女友達の所感だけれど実弥は心底同意した。要するに心配性メーカーなのである。

手を洗い、昨日作っておいたスープを火にかけ、コーヒーの準備をする間、実弥は近くに立って滑らかに作業の手伝いをした。ただ時折彼の腕がぴくりと持ち上がって、ミズキに触るのを我慢してすごすごと戻っていくのを何度か感じ、ミズキはコーヒーをマグカップに注ぎ終えたところで振り向いて実弥にぎゅぅっと抱き着いた。

「続き、ごはんの後でね」
「…ア゛ー…今すぐ」
「ほらパン選んで」
「へーへー」

ふたりでダイニングに着くと紙袋からまだほんのりと温かいパンをミズキが順に取り出して並べた。

「明太フランス、くるみチーズ、あんパンもあるよ、ベーコンエピ」
「朝飯にあんパンて最高だな」
「うふふー背徳的でしょ、あ、」

空になった紙袋を畳む前にちらっと中を確認したミズキが小さく声を上げて、袋の中から何か小さな紙を取り出した。

「お店のフライヤー入ってる、かわいい」

クラフト紙に店名の入ったその紙片をミズキはにこやかに眺めていたけれど、向かい合わせに座る実弥は彼女の指に隠れた紙の裏面が気になった。
何か走り書きしてある。こういうのは大抵実弥にとって喜ばしくないものだという前例が豊富にある。

「…ミズキ、見せてみ」
「うん?どうぞ」

案の定手渡された紙の裏面には男性の名前と電話番号が書かれていた。実弥のこめかみが引き攣った。

「店のレジ、男だったかァ?」
「うん?えーっと、たぶん?大学生くらいの」
「やっぱな!!」

実弥は吠えてぐしゃりとフライヤーを握り潰した。一瞬でも目を離すとすぐに何やら変なのに絡まれているのに本人には危機感がない、という意味の『やっぱ』である。

「午前中にもっかいそのパン屋行くぞ」
「あ、おやつ買う?甘いのもたくさん種類があったよ」
「うんミズキはそんな感じで買い物しててくれなァ」
「うん?」

やっぱりいくら激務の後でも可愛い恋人を放って寝てるのは良くない、油断も隙もない、もういっそ職場にも連れて行ってデスクの足元に隠しておきたい、と実弥の頭が変な方向に飛びつつある正面で、ミズキはくるみチーズを手に取った。「あ、そういえばね」と彼女。

「今日は実弥さんをとことん甘やかす日にするから、そのつもりでいてね」

にこにこと嬉しそうにしているミズキを見ると、苛立ったままではいられない。店の男を許すかは別として。
というか『甘やかす』って何をしてくれるんだろうと考えると途端に男性のサガというかいやらしい事柄が頭を過ぎって、実弥は首を振って煩悩を払い、目の前のほんのり温かいあんパンを割った。

「…うめェ」
「美味しいね」
「ありがとなァ」
「あのね、えっちなことでもいいよ?」

含んだばかりのコーヒーを噴きそうになったけれども、実弥は堪えた。


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