おやすみ前の夜 

※単品でも読めますが、おやすみの朝 と同じ人たちです。



18:36 オフィスビル1階のコンビニエンスストア

「あのっ!この近くに○○銀行のATMってありませんか?」

ミズキは首を傾げた。まさかコンビニの中でATMのことを聞かれるとは。すぐにコピー機の横を指差そうとして、もしかして手数料を嫌ってのことだろうかと考え直した。いや時間帯を見ればそれも違うし…と悩んでいるうち、その男性から何故か一緒に探してほしいと手首を掴まれてしまった。

「こ、困ります私、お会計がまだ、それに人を待ってて…」
「ミントタブレットぐらい俺買いますよ、だからね、お願い、困ってるんです」
「え?うぅん…でも、」
「ほら決まり、行きましょ」

ミズキの手首を引く男の手首を大きな手が横からしっかり掴んだ。

「テメェだけで行けや…それともどォしても連れがほしいってんなら俺が一緒に行ってやろうかァ?」
「実弥さん」
「ったく俺が着くまでオフィスの中で待てっつったろォ」
「うぅ…ごめんね?」
「…で、アンタはどこに行きてェって?」
「あ、この人○○銀行のATMを、」

ミズキが言い終える前に、男は彼女の手首を放し実弥の手を振り払ってコンビニから逃げ去ったのだった。ポカンと見送ったミズキが「あ」と声を上げた。

「あの人、ミントタブレット持ってっちゃった…」

実弥が万引きを店員に通報して、ふたりは店を出た。



19:08 和風創作居酒屋

「だし巻きって幸せのかたまりだよね」
「分かったからさっき俺の言ったことハイ復唱」

半個室のテーブルの上に、和紙のシェードに包まれた灯りが垂れ下がっている。その下のぷるぷると柔らかなだし巻き玉子をミズキは口に運んで、つるりとした喉越しに目を細めた。
実弥がビールグラスを置いてテーブルを指でトントンと打つので、ミズキも箸を置く。

「いち、実弥さんが来るまで安全なところから出ない」
「ハイにィー」
「に、声を掛けられても基本無視…でも、無視って失礼じゃない?」
「ナンパ野郎を無視するのは失礼に当たりません」
「みんながナンパじゃないったら」
「5分置いといたらナンパされる奴が言うな。ハイさーん」
「さん、少しでも触られそうになったら大声…あ、実弥さん電話鳴ってる」
「ア?…クソ、部長かよォ」
「出た方がいいよ」
「悪ィ、すぐ戻る」

スマホを耳に当てながら実弥は居酒屋の喧騒を抜けた。比較的静かな店のエントランスまで出たものの要件は別段緊急のことでもなく、通話を終えた実弥は舌を打って元の席を目指した。
恋人の待つ半個室の衝立から、短い髪の頭が少しはみ出ているのが見えた。

「実弥さーんっ!」

ナンパ撃退の心得その3、少しでも触られそうになったら大声を出す。

「やっぱな!!」


21:27 自宅最寄駅の改札付近

「今日って金曜ロードショーなんだっけ」
「3週連続ジブリのどれかだろ」
「あー予約しとけばよかったぁ」

金曜日の夜という条件と親密な人とのアルコールで、ミズキはふわふわと上機嫌で歩いていた。その彼女を見る実弥のまなじりも優しく緩んでいる。

「そんな好きならブルーレイ買うかァ?」
「そこまで本気じゃないこの感じわかる?」
「まぁなァ」

はは、と実弥は笑ってからペットボトルの水を飲み干した。透明なボトルは明らかに空っぽだけれど、残量を確かめるように軽く振って、ぐるりと辺りにゴミ箱を探した。自販機横に発見。
捨てて行こう、を仕草で伝えて進路を曲げた。キャップだけの回収ボックスにコロリと白い蓋を放り込んで、ボトル本体は丸い口のゴミ箱へ入れた。カンとペットボトルって分けて書いてあるけど中で合流してんじゃねェか、といつも通り思いながら振り返ると、胃の辺りを押さえて背中を丸めた男をミズキが心配そうに覗き込んでいた。

「大丈夫ですか?吐きそうですか?」
「座ったら多分大丈夫なんで…すみませんちょっと一緒に来てもらえませんか?」
「1人で広々座っとけェ!それでも悪けりゃキャベジンでも飲んどけやクソがァ!!」

何かのゲームかこれは。


21:42 自宅

「ア゛ー…週末に飲んで帰るだけがなんつー難易度してやがる」
「でも久しぶりに実弥さんと外で食べたの楽しかった!また行こうねっ」
「…個室な。あと次はもう俺の背中に括り付けて帰るからなァ」
「ふふー、赤ちゃんみたい」

ミズキがあまり本気にしていないのを察して、実弥は溜息混じりに上着を脱いだ。
ミズキを先に風呂に遣ってテレビをつけると、駅で話した通りにお馴染みのアニメ映画が盛り上がっているところだった。
ハンガーに掛けた上着に消臭スプレーを吹き掛けながらなんとなく画面を流し見していると、思ったより時間が経っていて、脱衣場からドライヤーの音が聞こえ始めた。やっぱりブルーレイを買うほど本気でなくても、流れているとついつい見てしまうものなのだ。
実弥がミズキと入れ替わりに脱衣場へ入ると、何故か戻ってきたミズキが実弥の背中にぴったりと引っ付いた。

「せっかく風呂入ったのに酒臭くなんぞォ」
「あのね実弥さん、今日私、新しい下着なんだけど」
「オ゛ッ」
「見たい?」
「是非ィ…」
「じゃあ映画観て待ってるね」

にこ、と化粧を落としたあどけない顔でミズキは笑って、実弥の頬に小さくキスをして脱衣場から出ていった。
ひとりになった脱衣場で半ば毟るように実弥は服を脱いだ。脱いだものは洗濯機に放り込んで浴室に入り、温度も確かめないまま蛇口を捻って少し冷たいシャワーを被った。

こんなん俺だってナンパするわァ!!と乱暴に頭を洗いながら叫びたいのを彼は噛み殺した。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -