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風見裕也は、警視庁公安部所属の警察官である。

警察庁との合同捜査のため、普段こそ潜入している上司のサポートとして上司の所属する警察庁にいるものの、本来の机は警視庁にある。
今日は久しぶりに警視庁の自分の席の書類を進めるべく、何かと事件だと忙しない警視庁の中を歩いていた。

目的の警視庁公安部のフロアはいつもはしんとしているか、パソコンの打音がする部署だ。
が、今日は扉を開けて部署に入る前から、部署内が騒がしい。
眉を顰め、苦言を呈そうとガチャリと開けた扉の向こうは、入る前と同じく様子がおかしかった。
どうにも一か所、誰かの机の周りに部署内の人間が群がって、何やら騒いでいる。外へ漏れていた音の原因はこれのようだ。

「帰れ」
「帰りません」
「頼むから帰れって」
「おいこいつ徹夜何徹目だ。だれか知らねえか」
「仮眠は取っています」
「嘘こけ、お前一時間以上席離れたことねえだろうが」
「しっかり行動を把握しているんですね、驚きですよ先輩方。いつもの書類はそこの箱の中へどうぞ。机にはもう乗りませんので」
「そう言うこと言ってるんじゃねえよバカ、家帰って寝ろ!お前いつもの定時上りはどうした!!」

かたん、とその机の持ち主と思しき人物が幽鬼を思わせる仕草でふらと立ち上がって、パーテーションの入り口や周囲からやいのやいのと言っていた同僚たちへ向き直った。
一つにまとめられた長い黒髪と、いやに小柄で細い後ろ姿が印象的だ。
未だに入り口付近から動けない自分に、彼らに向き直るべく振り返る彼女は一瞥もよこさなかった。
そうしてそのまま、周囲を囲む部署の人間に向かって静かに口を開いた。

「お言葉ですが。徹夜でもなんでもして、先輩方に遠慮し気を使って仕事しろと言って、頷いたのは皆さんです。
1時間以上席を離れたことがないのは、それ以上離れると追加された書類を本当にさばききれないからです。
お手洗いに立った、たった15分で山が2つ、上司に呼ばれて離席して30分で机一杯、書類を各部署に届けに行ったりして1時間も離れれば足の踏み場は無くなっています。
正直、席から離れたくないんですよ」
「だから、」
「誰があの場で頷いて、誰が私の机に仕事を積んでいるのかを私が把握していないとでも?
1カ月前、流石に体力的に厳しくなり家の様子も気になって、一応一声かけて、定時ではないにしろ一度家に帰って休んで翌日出勤してみれば、おはようよりも先に何故帰ったのかと罵声でお迎えしてくださり、椅子も引けないほどに書類をプレゼントしてくださったことは忘れもしません。
私に自分のやらかした始末書すら押し付けて、タバコ休憩と称して短くない時間をゲームしたり、無駄話している人達の話なんて今さら聞きたくもないですし、そもそも」

「この部署の皆さんなんて、もう信じられないんですよ」

分かってくださったなら、業務に戻らせてくださいません?机の上の書類、今日までのなので。

冷え切った声で痛い言葉を吐いて、冷たい目をしてパソコンに向き合おうとする、画面越しで知っていた今年入ったという新人。
その新人の目の下、化粧で巧妙に隠されたクマに気づいて、風見は大股で近づいてその腕をとった。
何故気づくかって?察しろ。ヒントは上司だ。
風見、と己を呼ぶ同僚を睨んで黙らせ、邪魔をするなと今度は自分に噛みつきにかかりそうな新人を見下ろす。

初めに思ったように、小柄な女だ。
染めたことがなさそうな黒の長い髪、掴んだ腕は正直少し力加減を間違えれば折ってしまいそうだし、そんな彼女を包むスーツがモノクロのコントラストを作っており、よりその印象を強調しているようにも思う。
警察官らしく肌は多少日に焼けているものの、白い部類だし、画面で見た時よりも心なしかやせた彼女は、格好が格好であればどこぞのご令嬢と間違えられてもおかしくはない儚さだ。
ただその目に宿る意志の強さは、己のサポートする上司のそれと遜色ない。
先ほどの言動といい、見た目に反して骨のある人間のようだ。

「離してください」
「来い」
「、、、ご命令ですか」
「そうだ」
「、、、、、わかりました」

不満を隠そうともしないあたり、席をはずしたくないという先程の言動は本音のようだ。
そのまま連れ出そうとすると、お待ちくださいと新人が言い、パソコンをロックしてから戻ってきた。
情報管理もしっかりしている。良いことだ。

ただ、今現在の新人と部署内の雰囲気は良くないことだ。
距離が空くどころの話ではない。次元が違うレベルで心理的に距離がある。

先ほどの話から推測するに、同僚は後輩である新人に対し、皆結託してパワハラを行なったらしく、それを長らく容認していたらしい部署内に対し、新人の信用信頼はゼロどころかマイナスに振っているようだ。
もはや他人の方がマシなレベルだ。
近くにいた同僚からの伝聞で、内容をただ軽く聞けばいじめの類だが、正直度を超えている。
彼女がストレスで壊れるか、過労死待ったなしだ。

確かに我々は捜査のためなら徹夜もするが、彼女のはそれですらない。彼女の不在の時間までおそらく全員が把握しているあたり、悪質すぎる。
、、、本当にお前らは警察官か。
そうか、俺がきっちり証拠、書類をそろえて、手続きも踏んで逮捕してやるからそこに直れ。

実に腹立たしく胸糞悪い。

部署を出て、素直に自分についてくる彼女を、横目でそっとうかがう。
自分が警察庁に缶詰めになっている間の出来事であり、参加どころか感知していなかった自分に対しては、彼女は同僚ほどのマイナス感情は持っていなさそうだ。

そもそも初対面だからだろうか。

現に非常に不本意そうだが、さほど抵抗もせずに素直についてきた。
だが、部署内すべてが敵であったが故に、たとえ今回初対面の自分であっても信用する選択肢は無いやもしれない。
、、、初対面で信用してもらうどころか、関係性がマイナスに振り切った状態から始まる後輩とかそうそうないケースだと思う。とても胃が痛い。

いずれにせよ、危険な捜査が多い公安部において、仲間を信用、信頼できないという状態は命の危険を格段に跳ね上げる。
それは新人にとっても、同僚たる公安職員にとってもだ。

、、、本当に、馬鹿なことをしてくれたものだ。

主動した同僚達と、容認し諫めるでもなく加担し続けた上司を思い浮かべて、ため息をついた。
勘弁してくれ。本当に。
信じた仲間が、それ程までに愚かだったとは思いたくはない。
後悔もある。もっと早く、こちらに足を運んでいれば、など考えなくはない。
が、すぎてしまったことに固執はできない。
あの頃は立て込んでいて、警視庁にはどうしても足を向けられなかったし、そもそもどうしようもないからだ。

それよりは今、次だ。

彼女の現状把握、できればケア。
自分はそこまで器用な部類ではないので、専門家にお願いすることになるだろうが。
すべきこと、やること、やらなくてはならないこと。
それらを考えながら、静かについてくる背後の新人の強張った表情を少しでも和らげるため、とりあえず部署から彼女を物理的に引き離すべく足を進めた。
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