main | ナノ


▼ 4

書類詰めの自分の所属する部署から出て、目の前の大きな背中を追いかける。

風見裕也さん。
データベース上でしか知らない、警視庁公安部の警察官。一応、先輩。

部署内でだらだら話す先輩方の話から、彼が警察庁の警備企画課に缶詰になっていることは知っていた。なんでも、手の掛かる上司がいてそのお世話もといサポートに忙しいと。
ここ2週間前は特に忙しかったそうで、先輩方は彼と全く連絡がつかなかったとかなんとか言っていた。
この時代でも、人の口に戸は立てられぬを実感した気分だ。

ただその上司のサポートについていることだけあって、気遣いができる方なのは早々に理解した。
今だってそう。
単純に私が警察官としては低身長であるが故に、こういう誰かを追いかける状態になればコンパスの違いから小走りになるのに、そうならない。
風見さんは歩調を合わせてくれているらしい。
あと、部署から連れ出されてからすぐ、顔をじっと見られて眉間にしわが寄っていたから、きっと化粧も、その目的もばれている。
、、、よく見ている人だ。

その風見さんに連れられて、部署から大分離れた空き会議室に来た。
風見さんは迷いなく扉を開けて、ずんずん部屋のなかに入っていく。
窓も鏡も無い閉塞的なこの空間のなかで、入り口はたった1つ。
正直、私の持ち得る事前情報をもってしてもこの人を信用できなくて、入室して扉を閉めても、私は扉の前から動けなかった。
毛を逆立てる猫のように、部屋の中のこの人と、扉の向こうに人がいないか警戒している私に対し、風見さんは事も無げに向き直り、口を開いた。

「今更だが、警視庁公安部所属、風見裕也だ。
さて、さっそくだが新人、お前、何日寝ていない」
「寝ています」
「言い方が悪かった。最後に3時間以上寝たのはいつだ」
「1ヶ月以上前ですので、正確に把握しておりません」
「最後に家に帰ったのは」
「2週間前です」
「可及的速やかに帰って寝ろ」
「すべきことがあります。帰れません」
「今君が家に正しく帰ってしっかり寝ること以上にすべきことなどないと思うが」

中指で眼鏡の蔓を押し上げる風見さん。眼鏡の奥にある三白眼は、心配の色が見える。
初めて会った人間に?ハニトラならぬロミトラ?しかし本当に心配しているだけか、、、?
優しい人らしいが、この人も同部署の公安警察。判断がつかない。

、、風見さんは単に心配して、あの場から連れ出してくれただけかもしれない。
きっとその時、そこにあるのは純粋に心配である。
他に用があったときは、知らない。

ただ私は貴方に用がある。けっこうデリケートなやつ。

用を済ませるか判断するに当たって、本当はもっと駆け引きとかするべきだ。けれども、お互い時間が惜しいことは“把握している”ので、さっさと勝負に出ることする。
ダメだったときは、私もまだ未熟だったということだ。

「、、、ひろみつ、さん」
「!」

彼が息をつめた。んんん公安警察。、、、風見さんはどうにも少し、甘いようだ。
何故お前からその名前が出てくるんだと言わんばかりの様子を見るに、ここに連れ出された私は本当に、単純に、心配されていただけだったようだ。

何だこの人先輩方と違っていい人だ。疑ってごめんなさい。
けれども、この名前を出したからには止まれないので。

「覚えがあるようですね」
「、、、それはもちろん、後輩の名前だしな」
「そして、貴方の上司の潜入捜査先の相棒だから、ですか?」
「、、、、、何が言いたい」

ぴり、とここで風見さんの気配が変わる。
レンズの奥の細められた目は、視線だけで私を射殺す様だ。
さすが先輩。戦場(いくさば)とは無縁の環境で育ちながらも、それほどまでに殺気立てるとは。先程は舐めてかかってすみませんでした。

未だに伺う扉の向こうには誰もいない。また、誰かが来るような空気の動きもない。
ならいいか、とさっさと用を済ませてしまいたい私は、ようやっとドアの前を離れて風見さんに近づく。

じっと私の挙動を見つめる風見さんを気にせず、シャツの胸元のボタンをいくつか開ける。
風見さんが、ば!とかおい!とか言っているのは知らない。
大きく開いたシャツの間、ワイヤーと布に支えられた脂肪が見えるのもそのままに、肩紐にかけておいた細紐を引っ張り、その先についた小さな電子媒体をとりだす。

予想外に予想外が重なったせいか、びしりと固まった風見さんの手を取ってそれを握らせると、そのまま真正面から背伸びをして抱きついて、まるで恋人のように耳へと顔を寄せた。
別に寄りかかるだけでも問題ないけれども、流石に見られたまんま話すのはちょっと、というのと、万が一扉から様子を窺ったりしてもこれなら、すぐには邪魔は入らないだろうという打算から。
まあ、これも結構スキャンダラスだけれども、これから話す内容に比べれば些細なことだ。
聞き耳を立てても聞こえない声量で話し始める。

「彼に関連して、ここ数日で集めた情報が入っています。彼らに繋がっている先輩なら、うまく使ってくれると信じています」
「!?、、、なぜ」

意図を察してくれたのか、サッと切り替えて同じように返してくれる風見さん。今思ったけれどいい声ですね。
場違いにも程がある感想を浮かべながら、彼の質問に答えることにする。

「つい1か月ほど前、本当に偶然、彼を拾いまして。現在、我が家で心身ともにケア中です。
あんまりにもぼろぼろなので気にかかって、どんな任務だったのか色々調べているうちに、どうにも天井からきな臭いものがゴロゴロ出てきまして。
大掃除に繋げられればと、もろもろ突っ込んでいます」
「なんて、ことだ、、。、、、あいつは?」
「怪我は大きいものはありません。私の拙い手当で足りる程度です。
ただ、傷が浅いにもかかわらず、外に一歩も出られなくなる程度には、疲弊していました」

それをいいことに、非常用端末を渡して連絡を取りつつ、家に猫達と一緒に放置しているのだけれど。
ここ2週間の私の庁舎内缶詰の原因だ。
通常?業務の最中に情報収集していたから、定時上り出来なくなってからの1日1回の1時間の帰宅時間が取れなかった。
ギリギリ取っていた30分の仮眠が15分になった。この時点で流石にきつい。
自分ですることを増やしているのだから、仕方ない負担分ではあるのだけれども。

が、拾った先輩のためである。
自分は命の危険は(過労死リスクを除いて)さほどないが、先輩は一歩外に出るだけで危険度Maxである。どこのメタルギア。

つまりは自分と彼の状況を比較して絆され、先輩の様子に絆された。
あれだけぼろぼろだと、さしもの私も情がわく。
実は好みのイケメンだったし、拾ってから2週間程度の期間だったが、私が帰ってくると心底嬉しそうな顔をするのだ。絆されない道がない。
現在、彼は家のお猫様同様、私の癒しである。

「そ、うか」

生きているか、よかった。ほう、と風見さんの吐き出す息がくすぐったい。
と、いうか。

「、、、信じてくださるんですね」

やけにあっさりと納得してくれたので、不思議になって言ってみる。
ちょっと皮肉ったようになったのは申し訳ない。
しかし風見さんはそこは気にもせず、むしろキョトンとした様子で話し始めた。

「?新人は公安の人間で、俺の後輩だろう」
「?はい」

そうですね、と頷く。何が言いたいんだろう。

「ならば、信じない理由はないだろう。信じる以外の選択肢もないがな」

至極当然に言われた。
理解して、ここ最近表情筋がボイコットしていたはずの顔が急激に真っ赤になるのを自覚する。
羞恥と歓喜と、綯い交ぜになってどうしようもない。

この人は、私が初対面なのに自分に対していい感情を持っていない上、疑っていたのを知っていながら、こういうことを平気で言うのか。

抱き着いていて顔が見えなくてよかったと思う。脈拍は、体が密着しているのでバレバレだろうけれど。くそう、未熟。

ぎゅうう、と腕に力を込めて、とりあえず赤が引くのを待っていると、わかっているのか風見さんも待ってくれた。
ついでに背伸びをして不安定な私を支えて、背中をポンポンしてくれた。
そのまま、大変だったろうによくやった、と頭を撫でてくれた。
決して断じてセクハラではない。
性的なものは一切感じない、あえていうなら子どもをなだめすかすような、そんな労わり方だった。
癒しに会えず、四面楚歌かつ過労死リスクMaxからこんなことをされれば、荒んだ心にとても染み入るわけで。

この瞬間、私の風見さんへの懐き度信頼度、更には優先度が爆上がりしたのは言うまでもなかった。

え、何だこの人。すごくいい人。好き。
昔自ら仕えるべき人を見つけた時と同じような、そんな高揚を覚えたのである。
今世、仕えるべき人はこの人。決めた。今決めた。
刷り込みのように、そんな気分になっても、仕方ないのだ。
後に深く知ることになる主人は、このとき感じたように素敵な御方だったし、後悔はしていない。
prev / next

[back]
[ back to top ]