隊長はその日夜勤だった。俺はそんな日は公爵家の夫婦の寝室で一人で眠っていた。
誰かに抱きしめられた。でも、俺は夢見心地の中で、隊長だと思っていた。
「クライス……」
「…んっ、隊長?」
勿論隊長だろう。背後から抱きしめられ、項にキスを落としてくる男が夫以外にいるはずない。
「クライスに会いたくて戻ってきた」
暗闇の中、男の欲情を帯びた声だけが寝室に響いたが、そのまま灯りをつけるわけでもなく、ただ何時ものように俺は夫に身を任せていた。
夜中に突然起こされたからか、無性に眠い。半分夢の中で隊長を受け入れていた。
「っ…ん、駄目ですよ。俺、明日早番なのでもう無理です」
一回終わったはずなのに、終わる様子のない隊長に静止の声をかけた。これ以上されたらもう起きれなくなる。
「大丈夫だよ、体力回復の魔法をかけてあげるから。だからもう一度クライスをちょうだい」
「え?……」
声は……隊長だ。この体温も間違いなく、隊長のはずだ……。でもこの口調は……隊長じゃない?
有り得ない、有り得てはいけない。そう思いながら夫だと思っていた男を見るために振り返った。
「ユーリ……隊長っ」
頭が真っ白になった。
「ど、どうしてっ!」
隊長のはずだった。隊長のはずだったのに!
俺は馬鹿だ。兄弟なんだ。声だって良く似ているはずだろう。体格だって、体温だって似ているかもしれない。
寝ているところだったとはいえ、何の疑いもなく夫と弟を間違えてしまうなんて、どうかしているだろう。
彼はずっと挑発していたのに。どうして危機感の欠片も持たなかったのだろうか。
裏切るつもりはなかったのに、隊長を裏切ってしまった。
ただの姦通ではない。夫の弟と関係を持つなんて、絶対に許されない事なのに。
「震えているね……ああ、可哀想なクライス。兄さんを裏切ってしまったって、罪悪感に駆られているんだろ? でも大丈夫、内緒にしておいてあげるから」
分からない。どうして兄の妻を寝取っておきながら、これほどの笑顔でいられるのか。
「言わないでおいてあげるよ。クライスが自分から俺を受け入れてくれたってことは、誰にもね」
「お前がっ! 無理矢理っ……」
「俺が? 無理矢理した? クライスは抵抗しなかっただろう?」
「そんなもの、隊長と間違えてっ…」
駄目だ。いくら言い訳したって、俺は隊長を裏切った。ユーリだとは思っていなかった。そんな言い訳が通用するはずもない。分かってくれるかもしれない。でも、夫以外と関係を持った事実はどうやっても消す事はできない。
「分かっているだろう? どんな言い訳をしても、俺に抱かれたことは変えようがないよ。クライス……ひょっとして俺の子を身篭った可能性だってあるんだ」
「そんなのっ……たった一回であるわけない!」
あるわけない。ただ可能性としては有り得ないことはない。いくら魔力的に相性が悪いからといって、0%になることはない。
「……もう、生きていたくない」
どうせ世間に露呈すれば死刑なのだ。裏切ってしまった身体で生きていきたくない。隊長に顔をあわせる事なんか出来ない。
「死んで逃げるの? じゃあ、俺も後を追って一緒に死ぬよ。クライスと一緒に死体があればきっと心中だと思われるだろうね。兄嫁と弟に心中された兄さんは良い面の皮だろうね。皆から笑いものになるかな?」
「お前と一緒になんか死ぬものか!」
「でも俺はそうする。できないとでも思っている?」
この男ならそうするだろう。きっとこの男ができないことなど数えるほどしかない。
「だからクライスは死ねないだろう? 兄さんをそんな目にあわせたくないよね? だって悔しいけど兄さんを愛しているんだもんね? だから俺は二番目でいいよ。今はね……クライス愛しているよ」
俺はユーリを拒絶したかった。少なくても心は拒絶していたと思う。
でも、一度心ならずもユーリを受け入れてしまった身体はいくら俺が抵抗しようとも、ユーリの意のままになってしまう。
夫婦の寝室で、夫ではない男に簡単に蹂躙されてしまう自分の弱さに、泣きたくないのに涙が出てきて止められなかった。
「兄さんがいないときは、こうやって愛し合おうね。兄さんがいるときは俺の官舎にクライスが来るんだよ。俺と一緒の時は、兄さんの妻じゃなくって、俺の奥さんになるんだから。俺といるときは兄さんのことを考えたら駄目だよ?」
俺は目の前の男は、最早人間とは思えなかった。
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