何を言われたか分からなかった。
これまでリーセットの好意に甘えて、本当だったらとても買えない様な高価な薬を融通してもらっていた。
対価が必要なのは勿論分かっている。俺が出来る事なら何でもするつもりだった。
今は余裕がないけれど、貰った薬のおかげで医療費がだいぶ削減できている。借金を返したらリーセットにお金を払う事もできるはずだ。勿論俺の給料程度では到底買えない薬なのは分かっているが。

彼が自分に好意を持ってくれている事は分かっていた。それほど鈍くはない。ただ俺はもう結婚していて、それは彼も分かっているはずだ。だからこそ今まで決して何も言わなかったのだろう。
なのに、妻になって欲しい? もう俺は結婚している。どうやっても無理だ。

「俺は貴方に初めて会った時から、貴方を愛してしまいました。フェレシア、どうやっても俺は貴方を俺のものにしたいんだ。俺と結婚して欲しい」

「俺にはラルフという夫が……」

「そんなこと分かっている。だが俺はどうやっても諦め切れない」

言っている事が無茶苦茶だ。結婚している事が分かっていてプロポーズするなんて。この薬の対価のため何でもするつもりだった。けどできることとできないことがある。

「もう少し現実的なことを言って欲しい……リーセットの妻になることはどうやっても不可能だ」

「それは分かっている。今すぐには無理だと……貴方の夫が死んだら、その時、俺の妻になると約束してくれれば良い。予約だと思ってくれれば良いんだ」

俺とラルフは幼馴染だった。子どものころからずっと一緒で、大きくなったら結婚する。そんな子供同士の約束をしていた。
ラルフは俺よりも魔力が高く、何でも出来て、誰からも好かれていた。大きくなったらラルフと結婚するという俺に両親は苦笑をしていた。両親としてはラルフは素晴らしい少年だけど、できれば俺にはもっと裕福な男性と結婚して欲しいと思っていたのだろう。家は裕福ではなかった。貴族としての最低限の見栄も張れないほどだった。
俺は貧乏貴族にしては珍しいほど魔力が高く、これなら魔力の低い金持ちの家に婿入りすることも可能だろうと両親は期待していたのだろう。けれどラルフは俺の家と同じく平民と同じくらいの暮らししかしていなかった。

だが反対するにはラルフは非の打ち所がなく、仕方がないと苦笑していたのだ。

その頃は18歳になったら結婚などとは言っていなかった。軍に入って出世をしてある程度生活に余裕が出来てからと思っていた。

しかし、そんな未来は16歳の時砕け散った。ラルフが魔力循環不全症という難病にかかってしまったのだ。つまりもうラルフの命は何時終わってもおかしくないと宣告されたも同然だった。
両親は反対したしラルフも俺を縛るつもりはないと言ったが、残りが僅かならどうしてもラルフと過ごしたいと説得して18歳になってすぐに結婚した。
ラルフは18歳の時にはもう満足に歩く事もできなかった。けれど残りがどんなに短くても、どんなにラルフと生きる事にお金がかかったとしても結婚した事を後悔したことはなかった。

「予約……」

リーセットが薬の代価として提示したのは、ラルフがいなくなった未来にリーセットの妻になるという条件だ。
ラルフがいなくなる未来など想像したくなかった。だが薬を貰う前はそれは確実にやってくる未来だった。何度も覚悟をして、何度も危篤状態になるのを目のあたりにしてきた。
そんな俺たちにとってラルフがくれた薬は、ほんの少しだが未来が明るくなるものだった。ラルフは何時もより少しだけたくさん食事を取れるようになって、発作も少なくなり、自分で歩けるようにもなった。

完全に健康になることは不可能でも、この薬があればラルフと一緒に未来を歩んで行けるかもしれないのだ。

「そう……貴方の夫がいなくなった未来を俺に欲しい。愛している……今、貴方が夫に生涯をささげているのは分かっている。けれどいなくなった時は、俺を愛して欲しい」

どうしても薬は欲しい。薬がなければラルフは生きていけない。薬があればラルフは生きていけるかもしれない。ラルフが生きていればリーセットとの約束を果たすときは来ない。
ズルイかもしれないが、今はどうしてもこの薬が必要だ。そんな先のことまで考えてはいられない。リーセットの妻になる未来が来ないことを祈るしかない。

「……分かった、もし……ラルフが死んだ時は、リーセットの妻になると誓う」

「制約の魔法に誓ってくれ」

ラルフ、これは裏切りじゃないんだ。ラルフを生かすために必要な事。この薬がなかったら、毎日呼吸すら満足に出来なかった頃に戻ってしまう。これは俺とラルフの未来のためにする契約なんだと自分に言い聞かせて誓った。

「これで貴方は俺の妻だ……フェレシア、愛している」

「何をっ」

無理矢理引き寄せられると、キスされそうになったため顔を背けた。

「話が違うっ! 俺がお前の妻になるとしたらそれはラルフが死んでからで、今じゃない! 俺に触れようとするな!」

「戸籍上夫婦になるのはあの死にぞこないが死んでからだが……そんなものはただの紙の上だけのものだ。今日から貴方は俺の妻になるんだ。書類上は当分先になるかもしれないが、夫婦の契りを交わすことは出来る」

「嫌だっ!」

リーセットはおかしい。言っている事が無茶苦茶だ。俺はラルフの妻で、リーセットのことなど未来の約束に過ぎないのに。
凄い力で俺を押さえつけようとしてくる。獣のようだ。リーセットはソファに俺を投げ捨てるように押さえつけると、俺の服を剥ごうとしてきた。俺は必死になって抵抗するが、魔力はリーセットのほうが強い。力と魔力で2重に負荷をかけられ、身体が自由にならない。

「叫んでも無駄だ……結界魔法を敷いている。貴方の声は誰にも聞こえない」

「狂ってるっ!」

「そうだ……こんなに愛した貴方に夫がいて、その男を愛している貴方を見るたびに胸が切り裂かれそうで、苦しくて仕方がない! あんな男に俺の妻になるべきだったフェレシアの処女を奪われたと思うと、悔しくて眠れない! 俺が狂っているとしたら、それはフェレシア、貴方のせいだ」

絶叫するように怒鳴られ、そのまま俺の唇にその狂った口を合わせようとしてきた。

「お願いだっ……ラルフとだってしたことないのにっ……俺に触れないでくれ!」

「……なん、だって?」

ラルフとだってキスをしたことはない。愛した男ともした事ないのに、夫にも許していない唇を奪われるのはどうしても嫌だった。

「何故? あの男とキスもしたことがないのか?」

「……ラルフは病気だから……俺の魔力に触れることは、弱った身体には致命的だから」

もう結婚する18歳の時には病魔に犯されきっていた。16歳で発病したラルフは、魔力が上手く循環しなくなっており、ほんの少しの魔力でさえ危険だった。服の上から触れる程度だったら短時間なら大丈夫だから介護なら出来た。だがキスなど直接肌を触れることはできなかった。
俺たちは夫婦と言いながら、結婚して8年、発病して10年、触れ合ったことすらなかったのだ。勿論夫婦生活など一度もない。

「だからっ……お願いだから……止めてくれ」

俺の懇願は受け入れてもらえるだろうか。リーセットがほんの少しでも情があるのなら、夫を裏切ることなどできないと分かってくれるのではないだろうか。
ラルフに嫉妬をしていたのなら、そのラルフに嫉妬することが無駄な事だと理解してくれるはずだと思った。

「そうか……嬉しいよ。本当に幸せだっ!……フェレシア、俺のために処女を守っていてくれたんだな。やはりフェレシアは俺の妻になるべき人だったんだ」

俺は知らなかった。自分の欲望だけに忠実で、他人を思いやる事のできない、余りにも利己的過ぎる人間が存在する事を。それがリーセットという男だった事を。

「愛しているよ……フェレシア。早くあの男が死ねばいいのにな」

俺はその言葉を、俺を犯した男の下で聞かされた。

愛とは……何なのだろう。愛ってこんなに痛いものなのだろうか。愛していると言いながら、夫に貞節を誓う俺を笑って犯すことが愛なのだろうか。

夫を裏切ってしまった俺への代価は、夫を生かすための薬だ。だったら俺は犯されたことも黙って受け入れないといけないのかもしれない。



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