死ねたと思った。だって100メートル近い崖を魔法で何も防御もせずに落ちたのだから。
だがロベルトに貰った結婚指輪から、魔法光が放たれて砕け散って、俺は無傷で崖の下にいた。
ロベルトが守護魔法をかけていたんだと分かった。
「マリウス! 間に合わなかったか!……指輪が助けたほうが先だったか」
「ロベルト……どうして」
「アーセルがお前の様子がおかしいって言いに来て、急いで追跡魔法で転移しようと思った瞬間に、警戒魔法が響いたんだ。お前の命の危険にあるってな」
何だか色んな魔法で俺を追ってきたのか。この指輪にもそんな魔法がかけられていたなんて気がつかなかった。ただロベルトから貰った物だから、死ぬときにもつけていたかっただけのに。死に損ねてしまった。
「崖から……滑り落ちて」
「嘘をつくな! アーセルが言っていたぞ。お前が俺をナナに返すって言っていたって。思い詰めたような顔をしていたから、自殺するかもしれないってな……こんな夕方になって狩りに行くはずないし、死のうとしていたんだろ?」
「お前をナナさんに返そうとしただけだ! お前の本来の道筋を修復しようとしただけで……」
何も悪いことはしていないのに。こんなに厳重に魔法をかけて、俺を守ろうとなんかしなくても良いのに。
「ナナに返されたって、困るんだが……俺は例え、お前が死んだってナナとやり直したりしない。変な事を考えていないか心配で、この指輪や剣やピアスに守護魔法をかけておいて良かった」
「何で俺なんか守るんだよ! 俺が死ねばナナさんとやり直せるのに、何で!」
「そんなの決まっているだろ! マリウスが俺の妻だ! 今更返品されたって、俺は承諾できない」
「今でもナナさんが好きなのに、やせ我慢するなよ!……俺は、ロベルトに幸せになってほしいのにっ」
俺なんかじゃロベルトの妻に相応しくない。ロベルトを幸せに出来ない。だって今でもロベルトはナナが好きなんだ。
ずっと見守っていて、愛している。
「もうナナは愛していない」
「そんなはずないだろ! お店を持たせてっ……パンも毎日買ってきてっ! 見守ってっ」
責める事じゃないのに、どうしても責めしまう。そんなに好きなのに、俺を選ぶなんてことを言うよな。
「大事な人は一人しか選べないんだ! お前はあっちもこっちも大事にしようって お前の一番を大事にしないといけなかったんだ! お前は優しいからこんな俺でも大事にしようとしてくれている。でも、1番も2番も大事にしたいっていっても、両立できないだろ? 不誠実だ! お前は……一番大事な人を大切にしないといけなかったのにっ。お前のしている事は……俺にとってもナナさんにとっても残酷だっ!」
「ナナにはもう会っていない。婚約破棄をしたあの日から一度もだ……お前の言うように、中途半端な優しさは余計傷つけるだけだ。だから、ナナにはもう直接関わることはしていない」
「そんなはずはっ…だってあのパンは」
毎日のように買って来るパン。ナナの所を訪れていた証拠だ。
「あの店を持たせたのも俺じゃない。マリウスお前のだ」
「俺?…」
「お前はナナに慰謝料として、全財産渡しただろう? でもナナは受け取らなかった。俺も直接は会っていないから代理人から聞いたことだが……だからアーセルが、ああアーセルと言うのはナナと一緒に店をやっているナナの幼馴染の男だ。マリウスも話ただろう? アーセルが俺が店を慰謝料にってナナにやったことにしてくれって言われて、一緒に経営することになったんだ。パンもナナが焼いたものじゃない。アーセルがパン職人だから、アーセルが焼いた物だ。いいと言っているが、貰って欲しいと言われて……経営の手助けになればと買っているが、言っておくが店屋まで行った事はない。部署まで訪問販売に来てくれているんだ」
確かに俺はナナさんに今まで働いて稼いだ金を全て渡した。謝罪にも行きたかったが、俺の顔なんか見たくないだろうと代理人に全てお願いした。
受け取ってくれたとばかり思ったが、拒否されていたのか。ナナさんもプライドは高いのかもしれない。ロベルトからのという事で、ようやく受け取ってくれたのだろう。
「俺だってお前の言いたいことは分かる。ナナがどういったか知らないが……大事にしないといけないのはマリウスお前の方だって俺はちゃんと分かっている。大事にしたいのはナナじゃ、もうないんだ。マリウス、お前だ」
「……そんな、だって……まだナナさんのことを」
「だから、もうナナのことは愛していないと言っているだろう! 俺は、お前を大事にしてこなかったか?」
「して……くれていたけどっ!」
俺のことを好きでいてはくれていない。俺はロベルトに何とも思われていなかった。
「お前は……俺のことを、好きでも何でもなかった。今でもだ……大事にしようとしてくれているけど、俺の命をまもるためにだけ結婚してっ…」
「仕方がないだろう……お前は俺の恋愛対象外だった」
分かっていたけれど、そういわれると胸が痛む。
「マリウス誤解しないでくれ。お前は俺と結婚できる人じゃなかった。だから無意識で恋愛対象から除外をしていた……一言でいうなら、高嶺の花と感じたからかもしれない」
「高嶺の花? そんなの」
「お前はそんなはずはないって言うんだろ? でも、実際はそうだろ? お前は俺よりも爵位の高い侯爵家の嫡男で、いずれ嫁を娶って家に継ぐ人間だ。嫁にもらえるような立場じゃないと思っていた。お前が家でそんなに不遇の身だって知らなかったんだ」
誰にも言っていなかった。俺は家族から見れば不出来な存在でいないほうが余程皆にためになる。俺がいなければクライスが堂々と跡取りになれた。
クライスは優しかったけれど、それ以外の家族は俺をいない者のように扱った。使用人たちもそんな雰囲気は当然分かったのだろう。俺の居場所は家にはなかった。
「おまけに、こんなに美人だ。俺なんか相手にされるはずはないって、一目見てそう思った」
「そんなはずないっ! 俺なんかっ、クライスに比べて」
「クライスと比べるのは止めろ。お前が自己評価が低すぎるのは、最近薄々と気がついていたが、それでも酷すぎる。お前は綺麗だよ……凄く。好みはあるだろうが、俺はクライスよりもマリウスのほうがずっと綺麗に見える」
「だってっ…」
「お前の弟は凄いよ。首席で卒業するくらい頭がいいし、魔力も……あの年で副隊長だしな。妻として結婚していなければ隊長職だって夢じゃなかっただろう。でも、そんな奴と比べるな。お前だって頭良かったし、魔力だって並以上だ。マリウスは弟が優秀すぎるから比べられただけだ……お前を蔑ろにした家族のためにもう傷つくな」
マリウスはそう言うと、俺を胸にギュッと抱きしめてくれた。
「お前がそんなんだから……守ってやりたいんだ。誰もマリウスを大事にしなかった。俺が、一番に大事にしてやりたい。俺が大事にしてやりたいのは、もうナナじゃない。マリウスお前だけだ」
信じられない言葉を耳にしたような気がする。信じられなくって、マリウスを見上げようとして、キスが降ってきた。あの日出来なかった、ロベルトとの初めてのキスだ。
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