ロベルト、お前本当に配慮がないな。ナナさんの作ったパンを俺に食べさせるなよ。ナナさんだって俺なんかに食べられたくないだろうに。



「ロベルト様がお店を持たせてくれたんです。この店、僕のものにって……」

「……そうか。当たり前だよな」

あのロベルトが婚約破棄をしてそのままにしておくほうがおかしい。彼が不自由なく暮らせるように世話をするのは当たり前だ。

「ロベルト様、僕が作るパンを美味しいって言ってくれてました。時々来ては買って行ってくれるんです」

俺もそのパンを食べているとは言えなかった。
そのパンは美味しいと思ったはずだけど、今は味は思い出せない。

ロベルトは悪いことをしているわけじゃない。誠意を持って、ナナに対応しているだけだ。だって当然だろう。結婚を止めた、さようなら、と言えるような男じゃない。
ナナがちゃんと生きていけるように、責任を取ることは男として当然だろう。けれど、何故か裏切られたような気分がしてならない。俺がどうこう言えるような立場じゃないのに。

「本当だったら、毎日僕が焼きたてのパンを食べさせてあげれるはずだったんです……」

「……そうだよな。ごめん」

ごめんとしか言えない。どう言い繕ったところで、俺がナナの人生を180度変えてしまったんだ。

「どうしてここに来たんですか? ここはっ……僕の再出発の場で宝物なんです! 貴方なんかに踏み込まれたくない!」

「ごめん……すぐに出て行く」

「貴方なんか! 全部持っているのに! ロベルト様に相応しいもの全部持っているのに! 僕の大事な物の最後まで汚そうとしないで下さい!」

「ナナ、止めろ。彼は貴族だぞ? 不敬罪で罰せられる可能性もある」

店の中にいたパン職人だろう青年が出てきてナナを静止しようとしていた。でも、俺は罵倒されて当然の男で、これまでナナに正面から向き合わず、誰からも俺は非難されてこなかった。
だからむしろナナから罵倒されるのは心地が良かった。

「良いんです……ナナさんが怒るのは当然なんです。こんなことで処罰なんかしようとは思いません」

「そうやってロベルト様に相応しいのは自分だって思っているんでしょう! だって貴方はそんなに綺麗で、ロベルト様と同じ貴族で! きっと僕の時と違って誰からも祝福されているんだ!」

誰からも祝福なんかされていないけど、でもそんなことをナナに言ったところで自己満足にしか過ぎないだろう。ナナはそんなことを聞いても嬉しくないだろう。俺はナナにとってロベルトを奪い取った悪人でいたほうが、きっと彼のためになる。

「僕はちゃんとっ……勇気を出してロベルト様に好きだって言ったのに! 貴方はそうしなかった! それで最後の最後に奪っていった卑怯者だ! せめてもっと早く言ってくれていれば、僕だってこんな夢を見なくてすんだのに……っ」

「だからもう止めろ! ナナ! お前が余計傷つくだけだ!」

「嬉しいでしょう? ロベルト様と結婚できて……今幸せなんでしょう? ロベルト様は、僕よりも貴方を選んだんだから」

幸せだったのは、ロベルトを一夜自分の物にできた時だ。あの時はだけはとても幸せだった。
あとは死ぬだけだと思っていたからだ。

信じてくれないかもしれないけど、俺は心底ロベルトと結婚したいと思っていなかった。いまもだ。あの一夜だけロベルトが欲しかっただけだ。
俺が消えて、後はこのナナがロベルトを幸せにして欲しかった。

「貴方が死んでしまえばよかったのに! そうすれば今ロベルト様は僕と一緒にいてくれたはずなのに!」

「ごめん、ごめん! ちゃんと返すから! ロベルトをナナさんに返すから! だから、お願いだからロベルトを幸せにしてやってくれ」

俺という人間がいたことを蒸し返さずに。


今もロベルトは間違いなくナナを愛している。結婚した今、俺を裏切っているわけじゃない。彼なりにちゃんと結婚生活をして未来に進もうとしてくれている。俺が拒否しているだけだ。

フラフラと店を出て家路につこうとした。


「待ってください! ナナは……今、貴方を見てちょっと興奮しているだけです。もう、あいつなりに整理はつけたはずなんです。ただ貴方を見て、あの日のことを思い出しただけなんです。もう会わないでやったら、きっと忘れられますから、許してやってください」

ナナの同僚の男性は追いかけてきてそう話した。

「俺は、ああ言われるだけのことをしたんだ。俺のほうが許してもらうほうなんだ……そんなふうに頭を下げないで下さい……ナナさんに言ってください。今日まで、ロベルトを奪ってすみませんでしたと。ちゃんと返しますから」

「返しますって……どうやって? 離婚なんかできないのに」

「結婚の経緯をしっている人はいるから、どうにかできるよ……もっと早くこうするべきだったんだ。ナナさんに今日会えて良かった。自分のするべきことが、はっきりと分かったから」

俺がするべきことは、ちゃんと罰を受けることだったんだ。ロベルトが優しかったから、今日まで過ごしてしまったけど、あの日すべきことは今しなければいけない。

まだロベルトとナナは思い合っているのに、俺がいるせいで二人は結婚できない。

俺が時の魔法を使えたら、あの日に戻ってロベルトに抱かれたら、すぐに命を絶つだろう。でも時を遡れても、申し訳ないが、何もなかったことには戻したくない。一度だけでもロベルトに触れて死にたい。

もう俺はロベルトに触れられたのだから、何時死んだって構わなかったんだ。いいや、ロベルトの負担になる日々を過ごすくらいだったら、死んだほうがずっと良かったんだ。

もう、お前が買ってくるナナさんのパンを食べたくないから死にたい。お前をナナさんに返してやりたいんだ。優しいお前だから、こんな俺とも未来を作っていこうと努力してくれたけど、俺には無理だ。

お前のやったことは、俺にとってもナナさんにとっても最悪の選択だった。俺はあの時死ねたほうが幸せだった。

家に戻ろうと思っていたが、俺が家で死んではロベルトは気にするだろう。それこそナナさんとやり直そうとは思えないかもしれない。

今日狩りに行った場所に戻って、崖の前に立った。ここで滑り落ちたことにすれば、事故だと思ってくれるだろう。
今から死ぬと思っても、不思議と怖くはなかった。きっと俺はもうあの日に死んでいたはずで、心はもう死んでいたのだろう。

俺の死でロベルトが幸せになってくれると思うと、とても嬉しい。だから飛び降りても痛みも何も感じなかった。





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