俺はどんなことがあっても婚姻誓約書にサインをするつもりはなかった。
いくらロベルトが責任をとって結婚すると言い張っても、俺がサインをしなければ結婚は成立しない。
だがユーリ隊長は、俺がサインをしないのだったら、ロベルトを同罪で処刑をすると言い出した。そのため、サインをしないわけにはいかなかった。
俺なんかがロベルトの妻……ロベルトの結婚の邪魔をして、ナナから奪って、ロベルトの人生を台無しにしてしまった。
そんな資格あるはずないのに。
幸せなカップルを壊して、どんな顔をしてロベルトと一緒になれというのだろうか。あそこで処刑されたほうが、よほど楽だった。
ずっと片思いをしていた男を無理矢理別れさせた結婚できたんだ。成功したんじゃないか、喜べと言われるかもしれない。
でも俺はロベルトがナナをどんなに好きだったか、この目で見て知っている。俺のことなんか何とも思っていないことも。俺のした事は皆から非難され、ロベルトには軽蔑され憎まれて当然のことをしたんだ。そんな男と結婚したって針のむしろでしかない。
「マリウス……ついたぞ。今日から一応ここが新居になる」
隊員同士が結婚するなら大き目の官舎が宛がわれる事もあるが、ナナは一般市民なのでロベルトは城の外に家を購入したと言っていた。それがここなのだろう。
俺はあんなことをしでかしたので、流石に隊においておくことは出来ず、除隊となった。だから俺も官舎には住めない。
「ここは……ナナさんとの新居のはずだろう」
「仕方がないだろう。いきなりだったし、貯金はたいて購入したんだ。他に住む場所を用意するのは難しいし……ナナはまだ一度も住んでいないし、問題はないだろう?」
問題ないはずない。彼と住むために購入した家に俺が住む?
「お前が……嫌だろう?」
「俺は別に……お前がどうしても嫌なら、俺の実家に住むか?」
ロベルトの実家の伯爵家。ナナとの結婚は反対されていたが、ナナという花嫁が俺に代わって、だからと言って賛成されるとは思えない。
「それとも、お前の家のほうで住むか?」
「聞いていただろ? 俺は、元々侯爵家を継げる人間じゃなかったんだ。出来損ないの俺なんかよりもクライスを跡取りにしたかったのに、俺がいたせいでそれも難しかった。今日の騒ぎで喜んで、放逐するだろうな……」
だから俺にはもう帰る家はない。元、侯爵家の一員というだけになる。だからロベルトの実家からしてみれば、侯爵家から勘当された俺が嫁になっても、何も喜べないだろう。むしろナナのほうがマシだったとさえ思うだろう。
「俺から侯爵に取り成しを頼もうか? こんな形になったが、知っている人間はそれほどいない。お前を放逐するほどのことじゃないと」
「無駄だ。これから生まれる優秀なクライスとユーリ隊長の子どもを当主にできるんだぞ? しかも正当な理由で。今頃祝杯をあげているだろうよ……」
「だったら、やはりここしかないだろう。お前には少し居心地が悪いだろうし……配慮が足らなかったかもしれないが」
「配慮って何だよ!? お前本気で言っているのか? 配慮なんかなくたって当然だろ? ここはナナさんとお前のうちになるはずで、俺が突然お前たちの間に割り込んだんだ! 何言ってんだよ! 何で俺に配慮する必要なんかあるんだよ! 逆だろ?」
さっきから、ロベルトが言っている事はおかしい。正気とは思えない。
「何で、俺を責めないんだよ!? お前の結婚を無茶苦茶にしたのに! お前の人生も! なのにっ……殴って、お前なんか死ねって言えよ! 責めろよ!」
「……そんなことをして何になるんだ?」
「何にって……少なくてもお前の気は晴れるだろう? ほんの少しでも……」
「こうなってしまったのは、マリウスだけが悪いんじゃない。俺もだ……ナナと結婚する前日に堂々と裏切った。俺の意思で。お前だけを責めるのは筋違いだ」
だから、俺が迫らなければ、無理矢理乗らなければ、そんなことはロベルトだって言われなくても分かっているだろう。
「お前だけが悪いんじゃないのに、お前を責めたって何になるんだ? お前は多分……もう充分すぎるほど傷ついている」
「……お前のその気配りは俺なんかじゃなくって、ナナさんにするべきはずのものだ」
「ナナは……こんな俺が一緒にいてやっても傷つくだけだ。いないほうがナナのためになる」
「だから……ナナさんと結婚しなかったのか? たった一度だ! 俺のせいにして、いいや、実際俺のせいなんだから、全部なかったことにして結婚すれば良かっただろう!? 何で俺なんかと結婚したんだよ!」
ロベルトは俺なんかと結婚して不幸になっていい男じゃないんだ。
ナナなんてどうでもいい。ただ、ロベルトが幸せになって欲しいんだ。
「ナナとは……もう、どうやっても無理だ」
「分からないだろ! 試してもいないのに!」
「本当はマリウスだって分かっているだろう? 結婚前に裏切った男がナナを幸せにできるだずがない。一生、ナナは今日の日を忘れないだろう。いや、結婚したとする。けど、それはお前の死と引き換えだ」
「そんなの分かっている!」
「お前の墓の上で結婚生活をしろって言うのか? ナナも俺も一生お前を殺したと、罪悪感を抱きながら生きていく事になる。無理だ……どうやってもな。ナナとは結婚できない。そしてお前を生かすためには、マリウスと結婚するしかなかった。それも分かるだろう?」
分かっている。俺は本当に酷いことをしてしまった。
ロベルトは優しい。優しすぎてイライラするほどに。
俺を抱いてしまったロベルトは馬鹿正直にナナと結婚できるはずがないのに。
俺が死ぬと分かっていて、自分だけナナと幸せになれるはずないのに。
俺を見殺しにするくらいなら、自分の幸せを犠牲にする男だって、知っていただろう。だから俺はロベルトを好きになったのに。
「どんな縁か分からないが、こうやって夫婦になったんだ。だからもう、俺はマリウスを責めたくないし、お前にも罪悪感を抱いて欲しくない。幸せになることを考えよう……な?」
無理だ。
こんな優しいことを言われる資格なんかない。
どうして責めてくれないんだ!
お前なんか死ねと、お前のせいでナナと結婚できなかったと、責めて欲しいのに。
こんな俺に……優しくされたら、生きていけない。
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