取りあえずやれることはやった。このまま全部が終われば良い。

 悪夢を見ないで眠れる日が、早く欲しい。あの男のことなど忘れてしまいたい。

 どうしてあの男はあんな平気な顔をしていられるのだろう。自分のしたことも省みず『抱いてやろう』など、よくも言えるものだ。許せない。いっそのこと死んでしまえば良い。

 この胸の痛みはきっと、永遠に消え去ることは無いのかもしれない。ダリヤが生きている限り。そしてジェスが生きている限り、永遠に続くのだ。

「何だ?後悔でもしているのか?…ユーディングに情でも移ったのか?」

「まさか」

 情?あんな男にそんなものがあるはずがない。あるとしたら余りのジェスの不甲斐なさに、逆に自分のほうが情けなくなったくらいだ。

「そうか?滅多に表情を崩さないお前が、そんな顔をしている。惚れたのか?あの男に」

「そんなことはありえないと前にも言いました」

「なら、どうしてまたそんなことをしている。自分で自分を傷つけるような真似はするなといっておいただろう。お前の体は淫売だが、頭はお前になど惜しいほど優秀だ」

 押さえつけた左腕に視線を投げかけられ、反論はしなかった。包帯でグルグルに巻いた左手首。そこから覗く赤い色。

 かつてここに来たばかりの頃は、毎日のように自傷行為を繰り返して叱責を受けていた。生きていたくはなくて、大事なものを全部失って、それでもこいつらは利用価値のある自分を機械的に生かせ続けた。

「本当は、ジェス・ユーディングに助けて欲しかったのだろう?ここから救い出してと、哀れに涙でも見せてみたのか?その身体を投げ出して、乞うてみたのではないのか?」

 相変わらずこの男は人を侮辱するのが好きだ。これだけ高い地位にいながら、大総統への地位が手に届かない苛立ちを、他人を貶すことで晴らしている愚かな男だ。どこにでもこんな奴はいた。

 ローゼットの店にいた時もそうだった。皆どん底の生活の中で、それより下のものを見出してはあざ笑い、自分より不幸なものがいることに安堵する。

 彼女たちはきっと今のダリヤを見れば、私たちが言ったことが正しかったでしょうと笑うだろう。待っていたとしても来るはずは無い。子どもなど邪魔に思うに決まっている。喜ぶはずは無い。皆その通りだった。

 ジェスはダリヤを嫌っていた。いや、これ以上ないほど、触れたくもないほど汚らしいものとしてみていた。ジェスの子どもなのに、ダリヤの、そしてクライスの血を受けているというだけで、殺したほどに。

 最後に向かられた冷ややかな目でずっと見られていただろうに、それすら気が付かなかった愚かな自分。

「真実を話したところで、誰がお前のような罪深い娼婦を救ってくれる?ジェス・ユーディングが救ってくれるとでも思うか?いいや、アイツはお前のような売春婦に哀願されたところで、救い出すわけもない。せいぜい利用されるのが関の山に違いないだろう。そこだけは私も賛成するところだな…お前にはそんな価値などない」

 クライスの子。それがどこまでもダリヤに降りかかってくる。

 そして父親が殺人犯だというだけではなく、ダリヤ自身が禁忌を犯した、犯罪者だ。

 母も、自分の子どもも殺した。

 母さん、きっと誰も許してくれない。誰も許して欲しくはない。あの最後の母の顔を覚えている限り、ダリヤが許されることなどない。

「そんなこと望んでなんかいるもんか。救いなんて望んでいない」

 だが自分よりも遥かに罪深い男だっている。己の子どもを二人も殺したのだ。そんな男に救ってなどと望むわけがない。

「美しい顔に、明晰な頭脳…ここまでは完璧だというのに、正体は殺人者の娘で、売春婦だからな。実に惜しいよ」

 ネットリと絡みつくような視線が体中を這う。ダリヤは特に否定するわけでもない。その侮蔑とも言うべき見方が、ある意味ダリヤを救っていたといっても過言ではなかった。

 プライドの高いこの男がたとえ性の捌け口といえども、ダリヤのように誰彼構わず足を開いていた売春婦だと思い込んでいる者を愛人にすることは、彼の高い矜持が許さなかった。ベッドに招き入れるなら、大総統になる自分に相応しい特別な女ではなければいけない。それがこの腐った男のプライドだった。

 もっともダリヤなどを抱こうものなら、何時自分の命が狙われるか分からないほど馬鹿ではないらしい。ダリヤに怨まれていることぐらいは流石に見抜いている。ユーシスを人質に取っていなければ、確実にダリヤに殺されるだろうということぐらいは想像の範囲内だったということだ。

 しかしダリヤも必要に迫られればこの男と寝るくらい簡単だった。求められれば簡単に応じただろう。

 今もこの身体が存在しているのはユーシスのためだからだ。ユーシスのためなら、あれほど憎んでいたジェスにも抱かれたように、この男に身を投げ出すのにどんな躊躇が必要だろうか。

「まあ、良い。ユーディングのことは良くやった。本当は殺しておいて貰いたかったがな」

「ユーディングはああ見えて隙の無い男だ。殺すのは、魔術を使ってもよくて相打ち、悪ければ殺されるのがオチだ……戦場を生き抜いてきた男だぞ。純粋に戦いになれば、勝てるとは思わない。あれが精一杯だった。ああなれば、あとは将軍が好きにできるだろう、処刑するなり、秘密裏に消すなり」

 もうダリヤにジェスは関係ない。ダリヤの人生に二度とジェスが関わることなどないはずだ。

「お前の役目は、あとはクライスだ」

 そうだ。あとはあの父親で最後だ。

 あれだけ母や弟に迷惑をかけた男だ。最後くらいダリヤの役に立ってくれても構わないはずだ。

 あとはあの男は捕らえる。さもなくば、この手で殺す。それで最後だ。




  back  


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -