気配も無く近づいてきた男に振り上げていた右腕を捕まれたダリヤは、苦虫をつぶしたような顔をしてその男を見た。

「アンタはロシアス大佐…」

「お、知っていてくれたんだ。光栄だな…俺はロシアス大佐。ユーディングの参謀で、軍法会議所所属といえばお分かりだろう?少年の行為は、明らかに逸脱している。それくらいにしておいて欲しいなあ。そいつの取り柄は顔くらいだし、それ以上傷つけるのは勘弁して欲しいんだが?」

「逸脱してる?それが何だっていうんだ?法律が俺に何をしてくれた?俺を守ってくれたと思ってるのか?もうアンタたちの大事な中将が俺に何をしたか知ってるんだろう?この男が今までのうのうと過ごして来れて、俺はこの様だ!俺が俺なりにこの男に罰を与えて何が悪い!」

 ジェスがした過去のことを考えればダリヤがしていることなど大したことがない。暗にそうダリヤが言っていた。

「少年の言うことに俺も心苦しくて、中々反論はしたくないんだが……過去がばれて困るのは、ジェスだけじゃなくて少年もだろう?だったらそれくらいにしておいてくれ」

 国家魔術師の資格を取るのははとても難しい。それは試験に限ったことだけではない。ある程度の上流階級でもなければ、推薦さえ貰うことはできないだろう。ダリヤのように犯罪者の身内がなれるものではない。もしダリヤがクライスの子だと公になれば、資格を剥奪されるのは目に見えている。
 ロシアスはそう言いたいのだろう。犯罪者の父親がいるのがばれたくなければ、これ以上ジェスに対する暴行は止せと。

「いいさ……今更どうやったところで、ユーディング中将の未来は終わったことに変わりはない。せいぜい大事な親友と一緒に保身でも考えてれば良い」

 そう言うとダリヤはジェスに血に塗れた何かを放り投げ、去っていった。床に転がったのを見るとそれはペンだった。ジェスにサインをしろと迫ったペンで、ダリヤはジェスを刺していたのだ。

「やっと会えたな。ジェス…ったく、女たらしが泣くぜ?その格好は」

 上から下までジェスの無様な様を笑いながら、止血のためにハンカチを渡してきた。綺麗にアイロンのかかったハンカチを血が汚してしまうことに躊躇しながらも、礼を言って受け取り止血をした。ロシアス自身はジェスと同じように大雑把な性格でありながら、彼の妻がとてもできた女性だからと、ハンカチを見ながらそう思った。同じ女でもどうしてこうも違うのだろうと、自分の女運の悪さに自嘲を禁じえない思いだった。

「なっかなか面会の許可が下りないんでな…参ったよ。まったく」

「だろうな…あいつ」

 憎憎しげにダリヤを唾棄すれば、ロシアスから叱責が降ってきた。

「あいつじゃねえだろう!お前が馬鹿だからこんな目にあってるんだって分かってるのか?俺は今ほどお前なんかが親友だったことを恥ずかしく思ったことないぞ!まったく、自業自得という言葉がこれほど似合う人間もいないと、俺は今感心してもいるんだがな」

「何だ、説教をしに来たのか?…それなら散々ワグナーにも言われた。時間の無駄だからさっさと本題に入りたいんだが」

 ワグナーにも同じようなことを言われ、こんなところに閉じ込められて辟易していたところに、またロシアスから同じ言葉だ。いい加減鬱陶しくもなってくる。

「あのなぁ…お前のしたことは、大人気ないただの八つ当たりだ。さっきの言葉も何だ?あれは…ハデス少佐に謝りもしないで、挑発するような真似しやがって。殺されていたらどうするんだ?あの顔、殺しかねなかったぞ」

「殺すような度胸のあるやつか。あの小娘が」
 
 大体ダリヤがジェスを殺すつもりはないことを分かっていたから、ジェスはあんな軽口が叩けたのだ。ダリヤにジェスを殺すつもりがあったのなら、もっと早く殺そうとしていただろう。殺すのでは飽き足らないからこそ、ジェスをこんな場所に押し込めたのだろうから。

 激昂の余りダリヤが何か漏らすかも期待もしていたのだが、そうは上手く事は運ばなかったが、ロシアスと会えただけでもかなりの進展だ。正直言ってワグナーでは当てにならない。体力はある男だが、駆け引きのできる男ではない。ワグナーがダリヤを説き伏せると言っていたが、ダリヤのあの様子では何の役にも立たなかったのだろう。


「ワグナー中尉からだいたいの説明を受けて、調べた。元の人間が分かれば、調査は割と簡単だった…ただし表面的なことしか分からんがな。時間も少なかったし」

「構わない…分かるところだけで良い。教えてくれ」

「まず、彼女ダリヤ・ハデスが、クライスの娘ダリヤ・クライス、愛称リヤと同一人物だということを前提で話すぞ。はっきりいって、この二人の関連性を証明する証拠は何一つない。お前とワグナー少尉が同一人物だと言っているだけだ」

「同一人物だ」

 そうでなければ、ジェスにあれほどの憎しみをぶつける理由がないのだ。

「戸籍上はリヤも、その母も生存していることにはなっている。これはお前もクライスの行方を調べる上で知ってはいるだろう。ところが行方はようとして知れない。生死不明だ……」

「二人ともとっくの昔に死んだと思っていたがな」

 お荷物の母親を抱えて、そう長く生きているとは思えなかった。あの当時もジェスからの援助があって、ようやく生きていたような親子だった。身重のリヤと、病弱な母親。最後に見た光景からも悲惨な未来が目に見えるようだった。

 だから階段から落ちたままのリヤを放置しておいた。子どもは助からないことは目に見えていたし、リヤも放っておけば死ぬだろうと思っていたのだ。

 そのリヤがダリヤとして生きていること自体、驚愕に値することだった。

「お前なあ…」

「正直に言ったまでだが」

「もっと他に言い様ってものがあるだろ」

「…もう良い、早くダリヤのことを話してくれ」

 ロシアスとダリヤのことを話していても平行線を辿ることは分かりきっていた。

「順を追っていくと…お前がリヤに暴行した数日後、二人は住んでいたアパートから忽然と姿を消している。今までも一ヶ所に定住しないで、あちこちを放浪していたようだから住処を変えたといえばそれまでだが…だが、リヤは身重でおまけにお前から受けた暴力のせいで、動けるような身体ではなかった。母親も病気で同様…そう考えれば、死んだと考えるのが普通だろう。死亡届が出ていないのは、二人とも身内がいないからな…きちんとした届出がされないままでも不思議はない。まあ、これは近所の人からの証言だ……リヤが住んでいた辺りの住人は口が重いからな。それに、ほとんどリヤと母親の親子を知るものすらいなかったからな。あまり詳しい情報は手に入らなかった」

 それは当然だろう。リヤ親子はクライスと血縁関係があることが周囲に知られないように、殆ど周囲との関わりを絶っていた。それに元々あの地区は閉鎖的なのだ。ろくな情報が得られるとも思えなかった。

「だから戸籍上はリヤ親子は生きていることになっている……お前も調べてあったんだろう?一応クライスの関係者だ。やつが立ち寄らないとも限らないからな」

「ああ……一応後日調べて、行方不明で終わりだった」

 そしてそれっきり忘れた。覚えておく価値すらないと思っていたからだ。

「そして、ダリヤ・ハデスの名前が知られるようになったのは、リヤ親子の行方不明になってから半年後のことだな。戸籍はリヤよりも余程しっかりとした経歴が残っている。が、この半年という期間がどうも引っかかるな」

「ああ…リヤを別人に仕立て上げ、ダリヤ・ハデスとして存在させることが出来る、十分な期間だ」

 疑問は山ほど残っているが、ジェスの中ではもはやリヤがダリヤであったということは、否定しがたい事実だった。

 あの小さなリヤのことを思い返すと、こんなことを仕出かすような激情があの小さな身体の中にあったことすら想像するのは難しい。こんなジェスにとって一番大事なタイミングで、一番効果的に復讐をするような少年だと、あの昔のリヤからどうして想像できよう。

 もし最初からダリヤがリヤだと気がついたとしても、ジェスは鼻で笑って相手にもしなかっただろう。お前ごときに何ができるとせせら笑ってやっただろう。それで追い出しただろう。

 月日があれ程までに少年を変えたのか、それともジェスの仕打ちが彼女をここまでにしたのか分からない。

「それで……ダリヤ・ハデスをスパイとして送り込んできたやつの招待はわかったか?ダリヤをここまで仕立て上げた黒幕は」

 ダリヤをジェスを潰すためだけに送り込んだ、ダリヤの背後にいるはずの男。どうやってダリヤの才能を見出し、引き込んだのかは分からないが、それでもジェスのところに送り込んでくるあたり、ダリヤとジェスの過去は知らないはずだ。知っていたらこんな遠まわしな方法は取らないはずだ。

 ダリヤを表に出してでもジェスをスキャンダルで潰そうとするだろう。そのほうが早くて確実だ。ダリヤ個人が騒いだところで、醜聞にもならない。丸め込みだけの力はあったし、何の証拠もない。だが背後にジェスと同じほどの権力を持った者がいれば別だ。

「デュースか?」

 だいたい想像はついてはいたが。この時期で、これほど圧力をかけてこられる者は数限られる。

「たぶん、な…ダリヤ・ハデスの書類上の上司は記録には残っていなかったが、ずいぶん昔にデュース中将の部下だった奴だ。おまけにお前が殺人事件の容疑者として拘留させていることを吹聴して回っている……最大のライバルだったお前がいなくなれば、奴もチャンスが増えるからな」

「……確かに…私がいなくなれば、随分と大総統への距離が近づくことだろう」

 能力のない家柄だけでこの地位まで来た男だが、裏工作だけは得意な男だった。ジェスがいなければ、もしかしたら、という可能性がないわけでもないだろう。

「それで…お前反省しているのか?」

「何のだ?」

「だから!お前がダリヤ・ハデスにしたことだよ!」

 先ほどから散々嫌味を言われていたようだが、まだロシアスは言い足りないようだった。

「大したことはしていない……お互い納得してのことだ。あっちが逆恨みをしているんだ」

「あのなあ!たった12歳の子どもに納得も何も無いだろう!…家の娘とほとんど歳の変わらないような子どもなんだぞ?おまけにその子どもを弄んだ理由が、クライスの娘だからか?お前のほうこそ逆恨みも良いところだろう!」

「そうだ……クライスの娘だ。私は彼女に金も払っていたし、あの男の娘にしては破格の扱いをしてやったくらいだ」

本来だったら触れるのさえおぞましいというのに、仮面を被って最後以外は優しい男としてダリヤに接してやっていた。こんな娘など妻と同じようなに死に方で、殺してやろうかと何度思っただろうか。それをしなかったのは、最後の理性だった。こんなところで、クライスの娘などに自分の人生のキャリアを台無しにしてどうするのだという。

だから弄んで捨てるつもりだった。妊娠させてしまったのは、計算外のことだった。

「お前、このままだとヤバイこと分かってるのか?無駄かもしれんが、彼女に土下座くらいして謝れ…そうすれば」

「無駄だな…デュースに飼われている以上、私が謝罪くらいしたところで、何も変わらん。だったら、無駄なことをする気も起こらないな」

 ジェスが全く悪いなどと思っていない立場で形ばかりの謝罪をダリヤにしたところで、何も変わるとは思えない。だったらクライスの娘に形ばかりとはいえ謝るのもご免だった。

「じゃあ、お前はここで変なプライドのために無駄死にする気なのか?あの内戦で誓った決意よりも、そのプライドのほうが大事なのか?」

「まさか」

 あの時誓った思いを決して忘れたりはしない。それはジェスの今までの生き様全てであり、ジェスの人生そのものだからだ。

「このままダリヤ・ハデスの思うままに事が進むと思うか?アイツが急ぐ理由は、“時間”だ」

「時間?」

「そうだ……だが、どのくらいその時が来るまで時間が掛かるか分からない。だいたいの予想は付くが…だからといって、このまま大人しくこんな所にいてやる義理もない…デュースの弱みをいくつか握ってある。ロシアス、お前はそれを突いてくれ」

 このままダリヤに付き合って落ちていく気などジェスには更々なかった。




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