真鱈の紐



「犬につけた俺の名前を変えろ」アーサーは呻いた。「可愛いジョニー。だいたいお前は兄さんとあの小難しい偏屈な豚の、どっちを愛しているんだ?」

 ワトスンは噎せた。小難しい? 偏屈な? それはどちらかといえば自分の分野だった。

「――腹肉は解消されつつあるよ」

「それはヤツの功績じゃない。まったく」

 ターナー夫人は差し入れをワトスンに持たすことがあった。アーサーは口に入る物なら毒でも皿でも食べる性格だが、彼女独特の風味の効いた料理に関してはその限りでなかった。



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「俺は構わん。だが弟はやれん。アイツはおまえに男を感じてない」

「なんの話だ……」

「わからないと思うのか」

 アーサーの悲痛な気持ちがどう伝わったのか、彼はそれ以上否定しなかった。そして静かに言った。

「――君の読みは当たっているが、どのみち私にはできない」

「やらないんじゃなくて、できないか。試してもいないのに?」

 アーサーは自分の馬鹿さ加減に腹がたった。試したらこの関係は終わりだ。

「おい、馬鹿。俺の名前を呼んだか?」

 困ったような顔は似合わない。マイクロフトは扉を振り返り、ワトスンがまだ帰らないことを寝息のような音を立てる置き時計で確認した。

「アーサー。呼んだとも」

「よしマイクロフト、一歩前進だ。間違っても弟をジョンとは呼ぶな。でっぱった腹に力を込めろ」



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 殴られるかと思ったのだろう。マイクロフトは少し顔色を変えたが、わずかに空いた部分の膝にアーサーが乗ると、軽く唸った。手のひらで大きな顔を包み込み、キスをする。

 ついばむような可愛い音に反し、彼は怯えて逃げようとした。人の温もりに慣れていないのだ。慌てれば離れてしまう。

 唇をつけてじっとした。重く垂れ下がったまぶたが俺を見ている。アーサーはそのまま言った。「今朝は何を食べたんだ? 匂うぞ」

 マイクロフトは喉の奥で笑った。唇の間を舌でなぞれば、奇妙な顔つきで少したじろぐ。無理に割り込ませず何度も口づけた。彼はようやく目を閉じてつぶやいた。



 love you.



 アーサーは顔を離した。「フランス仕込みでもないんだな。下を腫らしてどうしたというんだ?」

 マイクロフトは耳を赤くしている他はいつも通りだった。

「君がすきだ。ワトスンは知っているんだ――つまり君の聡い弟は」

「弟もあんたが好きだよ。どのような意味でだか、わかってるかはかなり怪しい」

 マイクロフトは苦笑した。

「話をしよう」

「いいとも。話せ」



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「……私はまだ小さな子供だった。好奇心猫をもころすという言葉は知っているかね? そうだな、喩えも経緯もやめて率直に言おう。大人の男が私の操を奪った。たくさんの大人たちが。気がついたら私はベッドに横たわり、父の手が……これは実の父ではないのだが」

 マイクロフトは少しつまった。当然だ。アーサーは聞かずにはいられなかった。「その話、ジョンには?」

 マイクロフトは首を横に振ったので、アーサーは率直にいった。

「犬畜生にも劣る野郎だな。そんなの親父じゃねぇ。血が繋がっていようがいまいが」

「最後まで話を聞いてくれ。――いいか。父の手は私の頭を撫でていた。私の目が醒めたことに気づいて、彼は指を宙にさ迷わせた。私はやめないでと懇願して彼に抱きついた。父は愛情を表現するのが得意な人ではなかった。彼は私を抱きしめたりはせずに、こう言った。“父さんがおまえの名誉を守ってやる”」

「――」

「父の報復で彼らは社会的に抹殺された。一人残らずと言えれば良かったのだが、若い男を一人逃した」

「いつまで続いたんだ。親父さんとのそれは」

 マイクロフトはしばらく黙った。

「さあ。それほど長くはなかった。父は早くに亡くなったからな。その後は叔父が私の父の代わりをした」

「――体のほうの世話もか?」

「まさか」マイクロフトは少し笑った。「私の話はこれで……」




番組の途中ですがニュースです

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