【事件簿】


『怪盗と変態2』




 ラウールは、呆気なく気絶したバニーを腕の間から滑り落とした。義賊はその名に相応しくない紳士の出で立ちをして、床にのびた相棒を見下ろす。物憂げな目は、まるで尊い犠牲を払った親友に別れを告げる風にも見えた。

 しかし忘れてはならない。この男は、かの尊敬すべき私立探偵の足元にも及ばぬほど非道な性格だ。


 ――かたや死の淵にあって相棒を逃がし、かたや捕まるとなって相棒を捨てて自分だけ逃げた。

 ――かたや相棒が足を打たれただけで縋りつき、かたや自殺しようとする相棒に死ぬところが見たいからとかじりつく。

 ――かたや犯罪をするときは一緒だよという仲で、かたや盗みはもちろん最終的には殺人もやろうねと凶器を手渡すような奴だ。


 ホームズよりは若く、ラウールよりは少し上だった。同じ中年でもバニーは可愛いげがあるのに対して、ラッフルズにはおよそ可愛い部分は爪の先ほどもない。イタリアでの苦悩により真っ白になったらしい髪が、黒髪になってるのもラウールは気にくわなかった。自分も染めているし、同じくコテで五時間かかって伸ばしているが……二人とも天パのままである。

 どちらも見合ったまま一言も漏らさない。考えていることは同じだった。

 構えたままのラウールに肩をすくめ、ラッフルズはサリヴァンの煙草を取り出すと、火をつけて煙を吹いた。

「そこの面白い落書きのことなんだが」

 SHの銃痕を示す。外套も脱がずにバニーを足で転がして、椅子に座った。「センス悪いよ、ルパン君」

 下から上目使いで言う。色気が数段上だった。

 年の差のせいか? いや、自分のほうがたくさん書籍になってるぞと、ラウールは自信を取り戻した。モンブランのことは棚に上げて。

「言ってくれますね。貴方のパリでの住家は我が家よりかなり狭いので、風通しをよくしてあげただけなのに」

 ぐっと詰まった声をあげて、ラッフルズは組んだ足で相棒を踏み潰した。バニーがウウ! と寝言をいった。

「文句を言うならガニマール警部に引き渡してもいいんだよ。僕は困らない」

「でしょうね。貴方のしょぼい活躍に注目している新聞がフランスではひとつもないんですから」

 ラッフルズが、むぎゅうとまた踏み付けた。バニーがアア! と嬌声をあげた。

「君は派手なことが大好きだが、全体の質が悪すぎる。泥棒は量ではなく質だ」

「質。殺人とか? 僕は絶対にしません」

「甘いなあ。よし、手始めにこいつで練習しよう! どうだい? ヴァイオリンの弦で人は殺せない」

 ラウールは狂喜に眦尻の潤んでいるラッフルズを黙れ変態と一喝して、一歩前へ出た。椅子の肘掛けをガッと掴む。相手は余裕でくわえた煙草を突き出した。

「ほら、そこは乗ってあげないと」

 下を見ると、気絶したまま悶絶しているバニーがいた。彼の足の間に自分の足がある。義賊と目を合わすと、うながされた。なるべく見ないようにして、股間を踏み付ける。

「イイッ!」

 誰がこの場で一番の変態か知ると、さすがの怪盗も腰が引けた。足を外すと手がそれを捕らえた。いきなり引き倒され、床に転がされる。

 ラッフルズは両足を椅子ごとあげて下がった。

「必殺技のひとつだ。バニーは意識を朦朧とさせてから上手に虐めると、非常に喜ぶという一風変わった体質でね。練習にはもってこいだよ。貸してあげよう」

「れ、練習って。何の。うあ!」

 ラウールはなぜか身の危険を感じた。さっきと逆だ。トロンとした眼で覆いかぶさる生き物は、異様に力が強い。「あっ。さ、触るな! マンダース君」

 ラッフルズが外套やマフラーや上着を椅子にかけ、シャツの袖を丁寧に腕まくりする間。バニーに同じくらい脱がされたラウールが喘いだ。

「男の寝技に決まってるじゃないか。あの人はそっちが得意らしいのは僕も聞いてるよ。取り合うならフェアにいこう。ああ、ちなみに」

 バニーは真性ドMだが、後ろには気をつけたまえ、と言った。

 後ろ?

 後ろって、寝技の意味の後ろ?

 バニーの寝ぼけた目がすがめられ、ギランと一瞬だけ光った。

 ――ゾクッとした。 

 硬直して動けない怪盗をよそに、ラッフルズは背を向けて机の前に座る。アイリーンの写真を見て、ぱたっと閉じた。

「探偵には僕からということで手紙を書く。ヤバそうだったら呼んでくれ」

「は、い?」

 選んで貰おうじゃないか本物の探偵に、といった。ペンをサッと回す。唇の上に乗せて、うーんと天を仰いだ。

「考えてもみなさい。あの人と僕はキャラが被るけど、職業が違う。君と僕はキャラが被る上に、本職まで同じだ」

 この機会にどちらが泥棒として上か、冷静に見て貰えるチャンスだろうと笑う。

 ラウールがラッフルズと共に行動しているのは、他の理由があった。共通の目的のためだ。パリとロンドンを行ったりきたりしているのも。どの口が探偵と似ているなどと言うのか、ラウールは理解に苦しんだ。探偵は常識人だ。少なくなくとも我々のような――、

 我々?

 ひとくくりにするのは躊躇われた。この義賊二人をモデルに自分の職業及び書籍での人物像が出来上がったことを、彼も知っている。しかしだ!

 天下のアルセーヌ・ルパンが変態紳士二人の餌食にかかったとなれば……その汚名は末代まで語り継がれることになるだろう。

「離せ! はなせ!」

 ラウールは激しく抵抗した。

 しかしバニーはこう見えて、探偵に対して医者の役割・あからさまに言うと体力だけ担当の頭からっぽタイプであったから、体は動かなかった。助手としての役割は完璧に果たしていると言えるだろう。つまりあれだ、夜のお世話係としても。

 シャツの中のいずこかでクリクリと探る指先が、ラウールの首筋にウフフと息を吹き掛けた。

「可愛い。可愛いよラッフルズ。君は最高だ!」

 ラウールは首を巡らして名前の主はあっちだっ、と指を出したが。そのことがあだとなって完全に手首を床に縛りつけられた。

 まあ十数分ほどで正気に戻るから、とラッフルズは振り向きもせずに片手を挙げ、手紙に染みがついてないか確認した。

「ええと――『愛しの名探偵シャーロック』」

 名前を呼んで、こちらもうふふっと含み笑いをする。その後ろではぎゃあああと大きな叫び声があがった。待っててね、と今この瞬間助けを求めている同居人ではなく、長年対決を心待ちにしていた相手を想い窓から空を見上げた。


「泥棒紳士が三名ほどそちらへ行くから。どうぞよろしく、ホームズ君!」






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